ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年10月07日(月) 平和な国の民

今日も天気予報が外れおおむね晴れとなる。

山里では午後にわか雨が降ったが市内は降らなかったそうだ。

「洗濯物がかり」の夫にとっては乾く乾かないが重要な問題のようだ。

今朝はどんよりと曇っていたのでまた乾燥機に放り込んでしまった。


7時50分出勤。外に出ると朝顔が咲いており嬉しくてならない。

愛でる時間はなかったが声を掛けてから出掛ける。

花にも「こころ」があるような気がしてならない。

目も耳も口もあるのではないだろうか。


昼間は10月とは思えないほどの暑さとなった。

まだ事務所にはエアコンが必要でいったいいつまでだろうと思う。

長期予報では11月になると一気に寒くなるのだそうだ。

このままでは冷房と暖房がバトンタッチしそうである。




さあ仕事と意気込んでいただけになんと面白いことだろう。

後から後からする仕事があり忙しさを愉しんでいた。

金曜日には一日がかりで登録に行っていた義父もほっと寛いだ様子。

新しい運搬車のナンバーは「1010」であった。

古い運搬車も車検があるのでこれからは2台となるのだが

自動車税など経費を考えると少しばかり頭が痛い。

けれども義父の嬉しそうな顔には負けてしまうのだった。

義父と相談し古い方は農機具用に。新しい方は顧客専用とする。

事故車などを運搬するとかなりの利益が生じるのだった。

義父と顔を見合わせ「どんどん儲けようぜ」と笑い合った。




市役所に臨時ナンバーの返却に行かねばならず2時半過ぎに退社。

M君は対応中で忙しそうにしていたので声を掛けられず残念だった。

仕事ぶりはとても頼もしく若い頃のM君とは別人にも思える。

情報処理の専門学校を出ており頭脳明晰と見た。

しかも明徳義塾高校卒である。身障者であっても彼は本当に凄い。

若い頃にはまともな就職に恵まれずどれほど苦労したことだろう。

障害者施設で毎日リサイクルの空き缶を踏み潰していた頃もあった。

今思えばどんなにか惨めで辛かったことだろうと思う。

障害者雇用は社会的問題になっているが彼は「光」になったのだ。



4時に帰宅。洗濯物を畳みながら夫と「破れ奉行」を見ていた。

私は子供の頃から血を見るのが苦手であった。

残虐なシーンなどあると逃げてしまいたいほど怖くてならない。

目を背けてはならない史実であってもそれは同じである。

それがどうして許されないことなのか分からなかった。

SNSのその人は「太平楽」と言ったのだ。

「平和な国の民の特権」だとも言った。


確かに私は平和な国の民である。もちろん戦争も知らない。

それではいけないと云うのなら私はどう生きれば良いのだろう。

毎朝般若心経を唱えながら「どうか家族をお守りください」と手を合わす。

それはおそらく私が死ぬまで続くことではないだろうか。






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