雲一つない晴天。風は涼しく感じたが気温は30℃を超える。
10月に真夏日などかつてあっただろうか。
明日からしばらくは雨の日が続くとのこと。秋が深まるかもしれない。
昨夜もここに記したが福井沖の日本海で行方不明の少女が見つかったようだ。
まだ正式な発表はないが間違いないだろうと思う。
ご両親は着衣の写真だけしか見せてもらえなかったらしい。
たとえ遺体であってもどんなにか抱きしめたいことだろう。
DNA鑑定をしなければいけないらしくなんとももどかしく感じる。
悲痛としか云えない。悲しみよりももっと大きな痛みであった。
どんなにか怖かったことだろう。激流に呑み込まれた尊い命を想う。
雨が憎い。神様が憎い。どれほど憎んでも失った命は還って来ない。
朝一の納車があり幼馴染の家の前を通った。
そうしたら先日命日に届けたカランコエがそのまま放置されていた。
どうしよう困ったことになったと気が焦るばかりである。
騒ぎ立てるのも気が引けたが幼馴染のお姉さんに連絡をしてみた。
住んでいるはずのご主人も娘さんも移転していることを知る。
今は空家状態になっているそうで全く知らずにいたのだった。
お姉さんの計らいで無事にご主人の元に届けることが出来た。
水遣りもしてくれて仏壇に供えてくれたそうで何ともほっとする。
ほんのささやかな気持ちだったのだが伝わって本当に良かった。
四万十市役所に用事があり2時半に退社する。
申請用紙を記入していたら職員の男性が優しく声を掛けてくれた。
お互いが顔を見合わせなんと驚いたことだろう。
バドミントン時代の仲間であったM君である。
会うのは10年ぶり位だろうか彼はもう40歳になったのだそうだ。
M君は右半身に障害があったがそれは熱心にバドを頑張っていた。
私とダブルスを組んで試合に出たこともある。
もちろんぼろ負けだったがなんと懐かしいことだろうか。
仕事中のM君と長話も出来ず後ろ髪を引かれるように別れた。
障害があるためにずっと就職に苦労していたことを思うと
市の職員に採用され本当に良かったと思う。
まだまだこれからの人生なのだ。きっと素晴らしい未来が待っているだろう。
今日はもうひとつ嬉しいことがあった。
義父が猪の被害に遭った稲「十和錦」を作っている農家を探しており
もしかしたらと旧友に電話をしてみた。何とほぼ20年ぶりである。
米農家をしており昔「十和錦」を買ったことがあったのだ。
しかし残念ながら今は他の品種を作っているとのこと。
義父がすぐ横で返事を待っていたので用件だけのあっけない電話であった。
4時に帰宅。Gパンを短パンに着替えていたらその旧友から着信がある。
あまりにあっけない通話だったので掛け直してくれたのだった。
ゆっくりとお互いの近況を話すことが出来て嬉しかった。
車でほんの一時間の町に住んでいるのになんと疎かにしていたことか。
お互いに老いたけれど会おうと思えば会える距離である。
けれども若い頃のように颯爽と出掛けることが出来なくなってしまった。
ふと私のお葬式には来てくれるだろうかと思う。
縁起でもない話だけれどそんな年頃になったのだろう。
高校時代、文芸部の仲間でもあった。
彼女はもう詩を書いていないのかもしれない。
彼女の詩がとても好きだったことを一気に思い出す。
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