今日は昭和99年の9月9日なのだそうだ。
平成、令和と年号が変わったが昭和の時代を感慨深く思い起こす。
私は昭和31年に生まれたが戦後の復興期だったようだ。
ベビーブームでもあり沢山の子供達が命を授かった。
戦争の傷跡も知らず誰も教えてはくれなかった気がする。
悪く云えばぬくぬくと育って来たのだろう。
父は16歳で終戦を迎え母はまだ7歳の子供だった。
もし終戦が長引いていたら父は戦地へ行っていたことだろう。
今朝は夏すみれにたっぷりと水を遣り出掛けた。
しかし帰宅して愕然とする。もうぐったりと枯れ始めていた。
土から根が浮き上がっているのだ。水の遣り過ぎだったのかもしれない。
なんとも憐れで涙が出そうになった。そうして自分を責めるばかり。
やはり私は花を育てるのが無理なのかもしれない。
手入れが行き届かず結局は可哀想な目に遭わせてしまうのだ。
仕事の手を休めながら母の一周忌の段取りをしていた。
そろそろ親族に案内もしなければならず手抜かりがあってはならない。
実は義祖母の7回忌も一緒にすることになっており
それは義父と話し合って決めた事であった。
弟が家族総出でやって来るらしくそれとなく相談したのだった。
今回は弟夫婦だけが良いのではないかと話したのだが
私の言い方が悪かったのだろう。弟を怒らせてしまったのだった。
「もう行くのは止める」と言い出し困ったことになった。
弟としては娘達夫婦、孫も一緒にと楽しみにしていたのだろう。
けれどもそれでは決まりが悪く遠慮すべきだと思ったのだ。
総勢6名である。法要後の会食の段取りもあり頭を悩ませていた。
弟達は「お供え」のお包みを一切しないのである。
それが当たり前のように思っておりいささか非常識であった。
しかし決して裕福ではない弟達に強制することは出来ない。
亡き母は実母であっても義父とはあくまでも義理の仲である。
義父は大らかな人であるがやはり義理を通すべきだと思うのだ。
そんな私の気持ちは残念ながら弟には伝わらなかったらしい。
「来ないならもういい」と思う。弟とはしばらく距離を置くことにした。
仕事が一段落していたので2時半に退社する。
時間の余裕があることは嬉しいことであった。
4時前には帰宅しており焦ることもなく短歌を書く。
良し悪しなど全く考えずに好きなように書いた。
いつだって自然体で在りたい。自分らしく在りたいと思う。
誰かに認められるために書いているのではないのだ。
私が「わたし」を認めるために書いているのだと思う。
夕立ちを連れて来るのか夏雲は山にぶつかり涙を流す
朝顔がまだこれからと手を伸ばす季節外れの花となるため
夏すみれとうとう尽きて憐れなり奇跡の雨を待つ定めかな
午後7時53分渇いた心を潤すように雨が降り始めた。
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