おおむね晴れ。今朝は22℃と随分と涼しかった。
暑さ寒さも彼岸までである。厳しい残暑もあと少しだろう。
こぼれ種から芽が出ていた朝顔がぐんぐんと育っている。
なんと逞しいことだろうかと感動さえ覚えるのだった。
花が咲けば感激である。涙が出てしまうかもしれない。
咲かそうと思い植えた花よりも思いがけなく咲く花がいい。
ひともそうで在りたいものだ。思惑など一切ないのである。
私は欲深い者だからついつい大きな期待をしてしまうのだが
それが思い通りに行かなかった時の落胆は大きい。
かと云って全く期待しないのも虚しいものである。
仕事中に酷い眠気に襲われ机に突っ伏す。
そのまま15分程眠っていたようだった。
その後も気怠さが続き仕事が全く手に付かない。
幸い義父が稲の消毒に出掛けていたので早退することにした。
例の部品は新品を注文したのでもう一段落である。
しかし諄いことに「探せばきっとあったはずだ」とまだ言っていた。
いかにも私の手落ちのように言うので少しむっとする。
機嫌を損ねないように接するのは並大抵のことではなかった。
義父の性格は分かり切っていてもそれがストレスになっていく。
とにかく逃げるように帰った。煙草を二本も吸ってしまう。
声は擦れる一方でもう鼻歌も歌えなくなる。
手遅れにならないうちに歯止めをと思うがなんと情けないことだろう。
止められない止まらないジレンマとの闘いである。
買い物を済ませ3時過ぎに帰宅。つかの間のスローライフであった。
短歌を書き終えてから夫と一緒に「銭形平次」を見る。
最初から見ることはめったにないことでわくわくと嬉しい。
今日も一文銭が勇ましく飛ぶ。なんとも爽快で好きな場面だった。
見終わってから夫が「もう今日でお終い」と言うので驚く。
知らずに見ていたのだが今日が最終回だったのだそうだ。
まだまだ見たい番組だったので残念でならない。
明日からは「子連れ狼」とのこと。それも良いかもと思う。
夫と少しでも一緒に見られる時間を大切にしたいものだ。
5時半を過ぎ夫と夕食を食べていたらお向かいの奥さんが思いがけず
こんがりと焼けた「鰻の蒲焼」を持って来てくれた。
ご主人と「はえ縄漁」をしていて四万十川の天然鰻である。
買えば高価な物でまるで夢のようであった。
娘婿が度々「素潜り漁」のお裾分けをしておりそのお礼だと言う。
勝手に食べて良いものかと思ったが夫と一切れずつご馳走になる。
帰宅した娘婿に報告したが機嫌が良かったのでほっとした。
天然鰻は身が引き締まっておりとても美味しい。
そうしてとても懐かしい味がした。
昔はこれでもかと云うほど食べていたのだから当然のことである。
先日夫が四万十川の「漁業組合」を脱退した。
40年以上も続けて来た「川漁師」とももうお別れとなる。
苦労ばかりの歳月であったがなんと感慨深いことだろう。
乳飲み子の娘を背負って私も必死で頑張って来た。
「思い出」と云うより私達夫婦の「歴史」のように思えてならない。
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