2024年09月03日(火) |
あと幾日か誰も知らない |
晴れたり曇ったり。残暑は厳しく今日も真夏日となった。
関東ではゲリラ豪雨とのこと。冠水した道路の映像が流れる。
突然の豪雨にどれほどの人が戸惑ったことだろうか。
いったいいつになったら安定した天気が続くのかと思う。
職場の百日紅が散り始め小豆のような小さな実が成っている。
以前にも思ったのだがその実を土に埋めてみたらどうだろう。
もしかしたら芽が出て大きな樹になるかもしれない。
思い立ったら直ぐにと思うが結局は何も出来ないのだった。
子供のように純真な心があればと思う。好奇心のかたまりである。
事務仕事はさほど忙しくなかったが義父に振り回された一日。
運搬車の「ABSセンサー」を交換しなければいけなくなり
新品は驚くほど高価なので中古部品を探すことになった。
取引先の部品屋では見つからず私に矛先が向かって来たのである。
とにかくネットで探せと言い渡され血眼になって探していた。
専門の部品屋が見つけられないのをどうして私が見つけられようか。
お昼休憩もそこそこに3時過ぎまで探したがやはり駄目である。
けれども義父は諦めずまた明日探せと言うのであった。
いっそのこと新品をとも思っている。痛い出費であるが仕方あるまい。
買い物を済ませ4時半に帰宅。どっと疲れが襲って来る。
短歌どころではなかったがどうしても休む気になれない。
自室に籠り15分で3首書き終えた。我ながらたいしたものである。
まるでお湯を注げば3分で出来るチキンラーメンのようだ。
良し悪しはともかくとして「臨む」姿勢が大切なのだと思う。
休むことは容易いかもしれないがそれでは全う出来ないのだ。
茶の間で洗濯物を畳みながら「銭形平次」を見た。
ラストの10分であったが一文銭が飛ぶところが見れたので満足である。
せめて以前のように2時で仕事が終われたらと思うが無理な話だった。
スローライフは夢のように遠い。死ぬまで働く運命かもしれない。
朝は7時50分に家を出ているが一日はあっという間だった。
最低限の家事だけは疎かに出来ず精一杯の日々である。
そんな暮らしの中で如何にして自分を貫くかであった。
時間が足らないなどとどうして嘆くことが出来ようか。
一生認められなくても「わたし」を貫く。
それこそが生き甲斐のように思えてならない。
空白のこころに咲いた百日紅あと幾日か誰も知らない
雑草も憐れに思い水を遣る春には確か花だったこと
向日葵の種を啄む鳥がいる咲かせる夢を見るかのように
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