ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年08月25日(日) スローライフ

猛暑日の一歩手前。江川崎では37℃を超えていたようだ。

陽射しは強かったが心地よく吹き抜ける風に秋の気配を感じた。


台風10号は進路を少し西寄りに変えそのまま北上すると

高知県に上陸するかもしれないとのこと。

一気に不安がつのり心細くてならなくなった。

自然の猛威には逆らえずもう受け止めるしかないだろう。


今朝は庭先の花に水遣りをしていたら朝顔が発芽しているのを見つける。

毎年こぼれ種から芽が出ていたのだが今年はもう駄目だろうと諦めていた。

まさか晩夏になり芽が出るとは思ってもいなかった。

大切に育てたら秋の真っ最中に花が咲くかもしれない。

種が生きていたのだ。なんだか感動で胸がいっぱいになった。




朝のうちにサニーマートへ。昨日に懲りて開店と同時に行く。

駐車スペースさえ確保していたらもう安心である。

日曜日恒例の酒類の買い出し。今日も多くカゴにてんこ盛りだった。

セルフレジで精算を済ませたらなんと9千円を越し痛い出費である。

マイカゴに荷物を入れカートに載せようとしたが上手くいかない。

床に少し傾斜があるのだろうかカートがするすると逃げて行く。

いつもなら店員さんが気づいて駆け寄って来てくれるのだが

忙しかったのだろう。今日は気づいてはくれなかった。


そうしたら隣のレジに居た茶髪のサーファー風の青年が気づいてくれて

重いマイカゴをカートに載せてくれて何と助かったことだろう。

丁寧にお礼を言ったら「いやいや」と言いながら照れ臭そうに笑っていた。

足を悪くしてから親切が有難く身に沁みることが多くなった。

それも決して当たり前のことではないことを肝に銘ずる。

私も誰かに手を貸すことが出来るだろうか。

親切に声を掛けることが出来るだろうかと思う。

杖に甘えてはいけない。もっともっと障害を抱えている人もいるのだ。




午後は2時間程寝ただろうか。加賀市に向かった義父達が気掛かりであった。

早朝7時に出ても10時間は掛かるのだそうだ。

神戸だろうか京都だろうかと頭の中でルートを辿っていた。

友人はまだ60代だが義父は80歳の高齢である。

遠距離運転がどんなにか堪えるだろうと心配でならなかった。


午後5時。加賀市内のホテルに到着したと電話があり胸を撫で下ろす。

いつもの元気はなくすっかり疲れ切った様子の声であった。

今夜は軽く酒盛りとのこと。明日に響かないことを願っている。

道中どうか安全に。きっと無事に帰って来てくれますように。



今日も午睡後に短歌を書いたが時間の余裕があるのが嬉しかった。

ふと毎日がスローライフならと夢のようなことを考える。

平日の気忙しさに追い詰められている自分を感じずにいられない。

それでも書くことを諦めずにいるのは性(さが)なのかと思う。

生きていく上でこれだけは譲れないと思う大切なことであった。


一生掛かっても認められることはないだろう。

それは大きなジレンマであるが負けるわけにはいかなかった。

私は「わたし」以外の何者でもないのだ。

その私の生きた証をなんとしても残したいと思っている。


水浴びる子の傍らで母の声遠い昔の私と娘

秋匂う風は踊りて口笛が吹き抜けていく切なき午後に

琴線に触れるばかりの君の声波長は縁と思い知ること




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