ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年08月18日(日) つくつく法師

久方の曇り日。猛暑は和らいだが風もなくかなりの蒸し暑さだった。

夕方のこと。ツクツクボウシが声を限りに鳴き逝く夏を感じる。

やがてヒグラシも切なげに鳴き始めることだろう。

どの蝉も儚い命である。八日目の蝉の姿を思わずにいられない。


娘達があやちゃんを残し高知市へと出掛ける。

私達も何処かへ出掛けようかと思っていたのだが

あやちゃんを独り残すのも気掛かりであった。

夫も運転が億劫らしく気が進まない様子である。


朝のうちに買い物に行っていたが相変わらずの酒類の多さ。

冷房の効いている店内であっても汗だくになってしまう。

ドラッグにも行っていたので帰宅が少し遅くなってしまった。

「もう出掛けるのはよそう」夫の一言に迷わず頷いていた。


お昼にほか弁をと思いあやちゃんに声を掛けたら

酷く機嫌が悪く「要らない馬鹿」と声を荒げる。

馬鹿は余分だと思い少しお説教をしたら増々怒るのだった。

何度目かの反抗期だろうか。ストレスも溜まっているのだろう。


夫が「もう相手にするな」と言うので以後一切口出しをしない。

夫と二人分だけの「鶏そば」を買って来て昼食を済ませた。

なんとも虚しい。なんとも寂しい。可愛い孫でありながら

なんだかとてつもなく大きな距離を感じた。


夕食も夫と二人で出来合いの物で済ませたが

娘達が帰ってくると誕生日らしくお寿司を買って来ていた。

もちろん私達は完全無視で家族団欒を絵に描いたような様子である。

同居を始めてもうすぐ10年になるがとうとうここまで来たかと思う。

私と夫はもはや居候で家族とは認められていないのだろう。

お寿司が食べたかったのではない。いじけているわけではないが

「ここまでするか」と思うととてつもなく寂しくてならなかった。


昼間あれほど機嫌の悪かったあやちゃんがにこにこの笑顔である。

それはそれでほっとしたがあまりの変わりように戸惑う。

祖父母の存在などもうどうでも良いのだろうと悲しくもあった。



43年前の夜を思い出す。産声を上げなかった娘に泣き叫んだこと。

助産婦さんが娘を逆さにしお尻を叩きやっと泣いてくれたこと。

夏に生まれた子はおひさまの匂いがし愛しくてならなかった。

朗らかで優しい子に育ってくれてただただ感謝しかなかったのだ。


娘はもう私を母とは呼ばない。

「おばあ」と呼びながらつんつんとぶつかってくるばかりである。


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