ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年07月15日(月) それぞれの夏

雨の予報だったが降らないまま日が暮れようとしている。

湿度がとても高く今日も不快な蒸し暑さであった。


「海の日」で祝日。昔はカメラを携え海へ行っていたが

20年の歳月はそんな行動力をそぎ落としてしまったようだ。

せめてもと昔撮った海の写真を眺めながら感慨に浸っていた。

おそらくもう砂浜を歩くこともないだろう。

「海」はおんなである。どうしようもなくおんなだと思う。


19歳の夏だったか死ぬ気で夜の海へ入ったことがある。

私は泳げないのだ。だから簡単に死ねると思っていた。

遠浅の海であった。やっと胸まで浸かったところで

叫び声が聞こえ私はしっかりと抱きかかえられていた。

「速水」という名の人だった。「死んでたまるか」とその人は言ったのだ。




今朝は昨日植えた花たちをうっとりと眺めながら心が癒される。

つい欲が出てしまいまた花苗を買って来ようかとも思う。

夫に叱られてしまうだろう。娘にも迷惑を掛けるだろう。

出来ていたことが出来なくなるのはとても切ないものだ。


朝のうちに買い物に行ったきり後は殆ど寝て過ごす。

ふとこんなスローライフも良いものだと思った。

仕事は好きだがなんと時間に追われていることか。

時間を気にせずのらりくらりと暮らせたらどんなに楽だろうか。

「退屈」は辛いものだが好きなように過ごすことが出来る。

そこまで考えたところで現実に引き戻されてしまうのだった。


パート収入であるがそれで我が家の生活費を賄っている。

その収入が途絶えれば僅かな年金だけが頼りになるだろう。

とてもやっていけるはずはない。現実はとても厳しいのだ。

だからゴールが見えない。生きて在る限りの仕事のように思う。


海苔養殖の収入が途絶えもう三年が経った。

すでに廃業状態で今後の望みは皆無に等しい。

もし再開できることが出来ても夫一人ではとても無理だろう。

自然相手の仕事はそうそう容易いことではなかった。


思い起こせば40年以上もの家業であったが

若かった私達の歴史の一部になろうとしている。

やったらやっただけの事があったのだ。

どれほど励み苦労を重ねて来たことだろうか。

「もうえいよね」と夫と頷き合うことが多くなったこの頃である。





「こころを打たれたい」と昨夜ここに記したが

今日は例の山上秋恵さんが心に沁みるような俳句を発信していた。

素晴らしい感性の持ち主だと思う。才能が溢れ出ている。


短歌を詩をどうして遠ざけてしまったのか残念でならないが

山上さんなりに思い悩み考え着いた結果なのだろう。

私はとても見守るような立場ではないが

心惹かれることで少しでも寄り添えたらと願って止まない。


それぞれの夏である。私も夏を精一杯に生きている。


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