ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年07月11日(木) ただ生きるため

ぽつぽつと雨が降ったり止んだり。

幸い大雨にはならかったが山陰地方では豪雨になったようだ。

水害もあったようで心を痛めている。とても他人事ではなかった。

高知県もしばらく雨の日が続きそうだが一日も早い梅雨明けを願っている。



仕事は今日も小休止状態だった。

義父はお葬式へ。友人のお父様が亡くなったのだそうだ。

お昼過ぎには帰って来たが2階の居室から一切下りて来なかった。 

たまには骨休みも良いだろうと思う。雨の日にしか休めないのだ。


事務所の軽水洗トイレの水道が水漏れをしており大変なことに。

床は水浸しになっておりその水が便槽へと流れ込んでいた。

義父に助けを求めたが「バケツでも据えて置け」である。

水道修理の技術があるのに直す気はないようであった。

とにかくやる気になるまで待つしかない。明日だろうか明後日だろうか。

なんだか気疲れしてしまって仕事も手に付かなかった。


リハビリのある日だったので2時半に退社する。

週一の癒しの時間である。足だけではなく心も解された気がした。

今日は特に心に沁みる。気分が酷く落ち込んでいたのだろう。




午前中に参加している同人誌の主催者であるD氏に電話したのだった。

次号から詩の掲載を認めてもらおうと思っていたのだが

3年の歳月は自分が思っていたよりも短かかったようだ。

3年前と同じことを言われる。私の詩は「詩になっていない」と。

D氏は高知新聞詩壇の選者もしていて何度か投稿したのだが

「ダメ駄目、あんなんじゃ詩とは言えない」とはっきり言われた。

おまけに私の詩は「愚痴みたいなもんだ」と言うではないか。

それにはさすがに反論せずにはいられなかった。

「私は愚痴なんか書いていません」ときっぱりと告げる。

D氏曰く「今のままじゃいつまで経っても同じことぜ」と。

私は変わらなければいけないのだろうか。

どうすれば変わることが出来るのだろう。

頭ではなく心で書いているつもりであった。

その「こころ」を変えることなどどうして出来ようか。


私は変われないと思った。私以外の誰になれと云うのだろう。

悲しくてならなかったが結局D氏の言いなりになるしかない。

「短歌16首ね」「はい、分かりました」と電話を切った。


結論から云うと一生かかってもD氏に認められることはないと思う。

私がD氏の詩を好きでないようにD氏も私の詩を好きになれない。

相性が悪いと云ってしまえばそれまでだが

まさか再び三下り半を押されるとは思ってもいなかった。


私は私の詩が好きだがそれはきっと思い上がりなのだろう。

悪く云えば自己満足であり自己陶酔に他ならない。

それでも書かずにはいられないのはただ生きるためである。

やはり私は花にはなれずに種を蒔き続けなければいけない。


母が死んでも涙一つ流さなかったのに今日は少しだけ泣いた。






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