二十四節気の「芒種」稲や麦などの種を蒔く頃のことだが
今ではあまりぴんと来ない節気である。
高知県は特に田植えが早く高知平野では二期作も行われている。
西部の山里でも田植えはほぼ終わっており8月にはもう稲刈りなのだ。
やれ草だ。やれ田螺だと義父は狂ったように田んぼに走る。
草には「クサトッタ」といかにもそれらしい除草剤を使う。
田螺には「椿油」が効くらしく中国産のものを使っているようだ。
今年も異常発生をしておりてんやわんやの日々である。
それにしても稲作のなんと苦労の多いことだろう。
苦労の割に収入は少なくその上に農機具の高価なこと。
義父も新しいトラクターを欲しがっているが6百万円もするらしい。
「宝くじでも当たらんかなあ」が日頃からの口癖であった。
その義父が今日はお昼に帰って来てくれてとても助かる。
おかげで午後から車検済みの車を納車することが出来た。
仕事をしながら運転資金の話になったが今日も「そうか」である。
おそらく金庫番の私が何とかするだろうと思っているようだ。
今日はなけなしの定期預金を解約した。もう最後の資金である。
本日の売り上げ5千円。いくら田舎でもあんまりではないか。
けれども私はまるで「肝っ玉母さん」のような顔をしている。
嘆いても何も変わりはしない。もうやるっきゃないと思う。
3時に退社。買い物を済ませ4時には帰宅していた。
洗濯物はよく乾いており夫が取り入れてくれており助かる。
その大量の洗濯物をせっせと畳んだ。
相変わらず娘とあやちゃんの靴下の区別が出来ない。
足の痛みはあっても正座はなんとか出来る。
しかし立ち上がることが出来ないのだった。
いちいち夫の助けを呼ぶわけにも行かず自力で立ち上がる。
「よっこらしょ」と大きな掛け声が私を助けてくれるのだった。
これ位のことでへこたれてどうする。これから毎日のことなのだ。
5時半には夫が晩酌を始めるのでなんと気忙しいこと。
とにかく先に酒肴をと急いで鰹のタタキを作った。
「後は急がんでもええぞ」と言ってくれたが苛々が止まらない。
夫のことを「なんと憎たらしい客だろう」と思った。
もぐもぐと食べている口元が妙に気味が悪いのだ。
ずっと昔から見慣れているはずなのに最近気になってしょうがない。
この人とキスをしたのかと思うとぞっとするのだった。
と、これはあまりにも言い過ぎだろう。ごめんなさいと言っておく。
心配していた娘が帰宅したのは6時だった。
思った通りげっそりと疲れ切った顔をして帰って来る。
慣れない上にとても忙しかったのだそうだ。
聞けば助手は一人きりらしい。個人病院はそれが当たり前なのだろう。
右も左も分からずまるで外国のようだったと嘆いていた。
この先続けられるかと心配でならないが娘を信じようと思った。
最初からテキパキと仕事が出来る人なんていないはずである。
一週間、ひと月と日が経てばきっと慣れて来るだろう。
ようは最初から頑張り過ぎないことが肝心である。
質素な夕食であったが何とか作ることが出来てほっとした。
私も頑張り過ぎてはいけない。無理せずぼちぼちである。
あやちゃんに明日から家庭科クラブに入らないかと言ってみたが
「めんどくさい」の一言で笑い飛ばされてしまった。
本当は当てになどしていない。そうかと云って自信もないのだが
私の得意な「こつこつ」を貫いてみようと思っている。
肝っ玉はけっこう逞しい。それでこそ私なのではないだろうか。
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