雨のち曇り。気温は朝から殆ど上がらず涼しい一日だった。
紫陽花にはやはり雨が似合う。色もいっそう鮮やかに見える。
雨合羽を羽織ったお遍路さんが俯き加減で歩いていた。
車窓から会釈をしたが残念ながら気づいてはもらえなかった。
同行二人とは云え独りで山道を歩くのは心細いことだろう。
窓を開けて声を掛ければ良かったと後から悔やまれる。
いつもそうだけれどタイミングが悪いのだ。
そのうえに縁もあるのだろう。その縁は決して目には見えない。
午前中に月末の支払いを済ませる。
買掛金ばかりではなく自動車税や固定資産税もあった。
現金はもちろんのこと預金もわずかの残高となる。
「いちかばちか」と思ったのだ。後は野となれ山となれだ。
同僚のお給料だけはなんとか確保。これは一番大切なことである。
義父は全く関与せず完了の報告をすれば「そうか」の一言だった。
「もう底を着いたけんね」と言えばまた「そうか」である。
これにはさすがの私も気が抜ける。まるで私が社長のようだ。
大口の売掛金回収はゼロ。今日の売上金は一万二千円だった。
来週からまたこつこつと蓄えていかなければならない。
とにかく自転車を漕ぎ続けることだ。漕ぐのを休めばアウトである。
いかにも苦労話のようであるが私はこの緊迫感が好きだった。
なんだかいつかは枯木に花が咲くような気がするのだ。
簡単に乗り越えられるような山であってはならない。
必死の思いで登ってこその「山」なのではないだろうか。
今日も2台の車検が完了。書類を作成していたらすっかり遅くなる。
4時半に退社。もう買い物をする時間は無さそうだった。
こんな時は「ほか弁」に限る。電話をして5時過ぎに取りに行く。
夫の晩酌にぎりぎり間に合った。冷蔵庫にイカの塩辛があり助かる。
家族は誰一人文句を言わない。むしろ「ほか弁」を喜んでくれた。
今日も心地よい達成感である。やり切った感が半端ない。
試して頂いたのだと感謝の気持ちが込み上げて来る。
私はどうやら追い詰められるほど力を発揮するようだ。
若い頃からだてに苦労を重ねて来たわけではない。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と云うくらいである。
買いはしなかったが沢山頂いたのだと思う。
もちろんタダなのでなんと有難いことではないか。
やがて定命が尽き一生を終える時が来るが
苦労した甲斐があったと思えるような最期でありたい。
その時には枯木にいっぱい花が咲いていることだろう。
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