薄雲が広がっていたが概ね晴れ。爽やかな風が吹いていた。
そろそろ梅雨入りではないだろうか。明日は雨になりそうだ。
待ち侘びていた紫陽花が少しずつ色づき始めた。
種類によって違うのだろうか額紫陽花が一番早いようだ。
ご近所の庭先に咲いていてほっこりと心を和ませている。
土の庭が欲しくてならない。真っ先に紫陽花を植えたいと思う。
秋ならば秋桜。春ならば桜の木も良いだろう。
しかし手入れも出来ないくせにと夫に叱られてしまいそうだ。
会社は休みであったが急ぎの仕事があり駆けつけていた。
お客さんの要望でどうしても今日車を使いたいと云うこと。
昨日のうちに車検整備を済ませ車検済みの書類を書かねばならなかった。
義父の田植えが一段落しており何よりである。
終っていなかったらお客さんに迷惑を掛けるところだった。
いくら田舎だとは云え信用問題に関わることである。
9時に出社。義父の姿が見えなかったので準備をしながら待つ。
田んぼの見回りに行っているのだろうと思っていたが
10時半になっても帰って来ないので仕方なく電話をしてみた。
そうしたらどうやら二日酔いで寝ていたらしく
ぼさぼさの髪でしんどそうに事務所へ来てくれた。
昨夜は恒例の「打ち上げ」だったのだろう。
手伝ってくれた友人達もそれが楽しみと云っても過言ではない。
義父もついついの飲み過ぎてしまったらしい。
口にこそ出さなかったが義父らしいなあと愉快であった。
書類を書き終え納品書を作成し車に点検済みのステッカーを貼る。
後始末をしてから11時半に退社した。
「じゃあまた明日ね」義父に声を掛けると「おう!」と笑顔である。
帰り道のなんと清々しいこと。些細な事でも達成感があった。
自分に出来ること。必要とされていることは本当に嬉しいことだ。
ゴールを考えるよりよぼよぼになっても続けたい仕事である。
入退院を繰り返していた母もきっと同じ気持ちだっただろう。
長期の入院中に私が母の仕事を取り上げてしまったので
母は一気に「する仕事」を失ってしまったのだった。
今ならその頃の母の気持ちがよく分かる気がする。
もう必要とされなくなるのはとてつもなく寂しいことなのだ。
介護医療院に入居してからの母はいつも仕事の事ばかり話していた。
もう手も足も出せなくなっていても心配でならなかったのだろう。
コロナ禍になってからは面会も叶わなくなったが
ある日の電話では「もう仕事のことは忘れた」と言ったのだ。
私はその言葉にとてもほっとした。やっと楽をさせてやれるのだと。
かれこれ50年近い歳月ではなかっただろうか。
義父と二人三脚で会社を起ち上げ苦労の多い人生だったと思う。
特に資金繰りに悩まされ多額の借金に追われる日々だった。
私は平成元年に入社したが母は母でありながら上司でもある。
言い争いは絶えずもう辞めてしまいたいとどれほど思ったことだろう。
全ての事が過ぎ去った昔のことになってしまったが
今思えばそんな母だったからこそ今の私があるのだと思う。
会社を経営することは並大抵のことではない。
母は身をもってそれを教えてくれたのだろう。
母の遺影に朝に晩に手を合わす日々である。
「今日もやったよ」と今夜も手を合わせて眠ろうと思う。
母はきっと黄泉の国で微笑んでいることだろう。
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