ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年05月23日(木) 綺麗ごと

朝方まで小雨が降っていたが直ぐに止む。

そのまま陽射しはなく20℃程の気温で随分と涼しく感じた。

明日は晴れて30℃の予報である。寒暖差がとても激しい。

おまけに南海上の熱低が間もなく台風一号になるのだそうだ。

まだ5月なのに台風とは驚き戸惑うばかりである。



SNSのタイムラインに紫陽花の花が見られるようになった。

過去写真なのかもしれないがこちらはまだ色づいておらず

いったい何処に住んでいる方なのだろうと不思議でならない。

桜前線があるように紫陽花前線もあるはずであった。


そのSNSで今朝はいささかストレスを感じることがあり

ついくよくよと考え込んでしまった。

「思い煩うことなかれ」ではなかったのか。自分が情けない。


その方は毎朝声を掛けてくれていたので楽しみにしていたのだが

今朝はそれがぷっつりと途絶えてしまった。

その上に昨夜から「いいね」も全く見えなくなっていたのだった。

もしかしたら昨夜の私の発信が不愉快だったのかもしれない。

そう考えだしたらきりがなくどんどん卑屈になって行く。


たまたま多忙だったのかもしれないと思い直してみたが

その方の発信はいつも通りに発信され続けていた。

そのひとつに「綺麗ごとを並べるのなら実行するべし」とあり

誰かを批判するような言葉を見つけたのだった。

どうしてもさらりと読み流すことが出来ない。

あれこれと考える前に私のことに違いないと思うに至った。

昨夜の私の発信が正にそれだったからだ。


私ほど綺麗ごとを並べる人間もないだろう。

実行も出来ないくせに言葉を巧みに飾り立てようとしている。

正直どころか大嘘つきなのだ。その方はそれを見抜いたのだと思う。

ストレスと云うより大きな自己嫌悪に他ならなかった。

悲しくてやり切れない。今日ほど自分が情けなく思ったことはない。


だからどうするなのである。私は起き上がり小法師ではなかったか。

親友だったRに言わせれば「何処の馬の骨か分からない」のだ。

そんな馬の骨の云うことをいちいち気にしていたら果てが無い。


馬の骨はあまりにも酷過ぎるがそう思えば気が少し楽になる。

批判や攻撃はネットの世界では日常茶飯事なのだろう。

それをどう受け止めるかが肝心なことなのだと思う。


さらりさらりと水に流す。あっけらかんと受け止めることだ。

そうして私は私であることを貫かねばならない。

誰に何と言われようと自分の言葉に責任を持って書き続けて行く。


実行できない綺麗ごとであっても立ち向かうために生きているのだから。




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