ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年05月12日(日) 母からの贈り物

朝のうちは小雨だったが次第に本降りの雨となる。

空の気分をそのままにしんみりと過ごしていた。


気分転換をしたくてならず夫に外食を願い出たが敢え無く却下。

その理由が私の咳だと云うから唖然とするばかり。

確かに所かまわず咳き込むことが多いので反論は出来なかった。

「そのうち治るだろう」と言ってくれたが今は到底無理な話である。

夫は昨年私が禁煙に成功したとすっかり信じているようだ。

だからしつこい咳の原因が煙草だとは思ってもいないのだった。

困ったことになったとすっかり途方に暮れるばかりである。

やはり再び禁煙を志すべきだろうか。酷く追い詰められたような気分だ。




私があまり好きではない「母の日」が今年も来てしまった。

それは少女の頃からの辛い記憶しかなかったのだ。

どれほど母を恨んだことだろう。愛しさは少しもなかった。

まして母に感謝するなどもっての外に思える。


二十歳で母と再会したがもう子供の頃の母ではなかった。

その現実に苛まれながら歳月を乗り越えて来たのだろう。

私はいったい母に何を求めていたのか今もって分からずにいる。


長い闘病生活の果て母は昨年秋に黄泉の国へと旅立ったが

私はあくまでも薄情な娘を貫き涙を流すこともなかった。

悲しくなどなかったのだ。むしろほっとしていたのかもしれない。

最後の最期まで母を赦すことが出来なかったのだろう。

母はそんな私の気持ちを知っていたのだと思う。

義父一人だけに看取られ安らかに息を引き取ったのだった。


18歳の若さで私を産んだ母だった。

初めての子育てでどんなにか戸惑ったことだろう。

それが母の青春だったのかと思うと憐れにも思えて来る。

お腹が空けば泣いただろう。おむつが濡れたら泣いただろう。

母の乳房の温もりさえ知らずにすくすくと育って来たのか。

幼い頃の記憶は殆ど無い。抱かれたことさえ憶えていないのだ。


真実はひとつだけである。母が私を産んでくれたことだ。

母が存在しなければ今の私は存在しない。

そう思うと私の人生は母からの贈り物だったのだろう。

波乱万丈な人生であったがその試練も母が与えてくれたことだ。

辛い思いをしてこその幸せなのだと思う。

涙を流してこその笑顔なのだと思う。


そうして母あってこその私がこうして生きている。


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