朝のうちは小雨だったが次第に本降りの雨となる。
空の気分をそのままにしんみりと過ごしていた。
気分転換をしたくてならず夫に外食を願い出たが敢え無く却下。
その理由が私の咳だと云うから唖然とするばかり。
確かに所かまわず咳き込むことが多いので反論は出来なかった。
「そのうち治るだろう」と言ってくれたが今は到底無理な話である。
夫は昨年私が禁煙に成功したとすっかり信じているようだ。
だからしつこい咳の原因が煙草だとは思ってもいないのだった。
困ったことになったとすっかり途方に暮れるばかりである。
やはり再び禁煙を志すべきだろうか。酷く追い詰められたような気分だ。
私があまり好きではない「母の日」が今年も来てしまった。
それは少女の頃からの辛い記憶しかなかったのだ。
どれほど母を恨んだことだろう。愛しさは少しもなかった。
まして母に感謝するなどもっての外に思える。
二十歳で母と再会したがもう子供の頃の母ではなかった。
その現実に苛まれながら歳月を乗り越えて来たのだろう。
私はいったい母に何を求めていたのか今もって分からずにいる。
長い闘病生活の果て母は昨年秋に黄泉の国へと旅立ったが
私はあくまでも薄情な娘を貫き涙を流すこともなかった。
悲しくなどなかったのだ。むしろほっとしていたのかもしれない。
最後の最期まで母を赦すことが出来なかったのだろう。
母はそんな私の気持ちを知っていたのだと思う。
義父一人だけに看取られ安らかに息を引き取ったのだった。
18歳の若さで私を産んだ母だった。
初めての子育てでどんなにか戸惑ったことだろう。
それが母の青春だったのかと思うと憐れにも思えて来る。
お腹が空けば泣いただろう。おむつが濡れたら泣いただろう。
母の乳房の温もりさえ知らずにすくすくと育って来たのか。
幼い頃の記憶は殆ど無い。抱かれたことさえ憶えていないのだ。
真実はひとつだけである。母が私を産んでくれたことだ。
母が存在しなければ今の私は存在しない。
そう思うと私の人生は母からの贈り物だったのだろう。
波乱万丈な人生であったがその試練も母が与えてくれたことだ。
辛い思いをしてこその幸せなのだと思う。
涙を流してこその笑顔なのだと思う。
そうして母あってこその私がこうして生きている。
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