ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年05月04日(土) 同じ日は二度とない

爽やかな晴天。午後には入道雲が現れまるで夏のようだった。

明日は立夏である。季節はもう初夏と云って良いだろう。


昨日植えた花たちのなんと可愛らしいことか。

今朝は水遣りをしながら「よしよし」と声を掛けていた。

「みどりの日」それは緑に限らずすべての植物を指すようだ。

自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心を育む日である。


見渡す限りのみどりだった。なんと清々しいことだろうか。




先日から届いていた階段の手摺を夫が取り付けてくれることになった。

面倒くさがりではあるがよく思い立ってくれたと嬉しく思う。

しかしそれが思うようにはいかなかった。

階段の壁が板張りではなく石膏ボードのため補強が必要とのこと。

ホームセンターへ行って合板を買って来なくてはいけないのだ。

夫は直ぐに買いに行く気になっていたが娘がストップを掛ける。

GWで混雑が予想されるため日を変えた方が良いと云うのだ。

娘も今日は出掛ける予定があり手伝えないらしく

夫も一人では心細かったのだろう即延期が決定する。

意気投合するところは流石に親子だなと可笑しかった。



午前中にシーツを洗い久しぶりに敷布団を干す。

私は布団を抱えることが出来ず夫が手伝ってくれて助かる。

たっぷりの陽射しであった。わくわくしながら干した布団を見ていた。

今夜はおひさまの匂いがする布団で眠れるのだと嬉しくてならない。


午後は3時前まで寝ていたが「そろそろ入れないとな」と

夫が取り入れてくれて大助かりである。布団はふかふかになっていた。

掛け布団のシーツや枕カバーも洗っていたので少し忙しくなる。

やっとベットに設えるとまたすぐに眠りたくなってしまった。




夕方までにと短歌を三首書き終え暇つぶしに昨年の5月の日記を読む。

自分で云うのも何だが私の日記は大いに暇つぶしになるようだ。


そこには禁煙を決意しダイエットに励む私がいた。

今の私とはまったくの別人のように思える。

意志よりも「医師」だと禁煙外来にも通い始めていた。

おそらく必死の思いだったのだろう。文面からそれが伝わってくる。

「変わりたい」と記してあったがその時の気持ちは何処に行ったのか。

変わるどころか元の木阿弥となりなんと情けないことだろう。

いつの間にか開き直ってしまったのだ。もう我慢はしないと決めている。

それが堕落でなくて何だろう。そうして今はその堕落を愉しんでいるのだ。

リバウンドは半端ではなかった。煙草の量は増え体重は一気に増えた。


一年前の自分を遠い目で見ている。もう戻れないとさえ思える。

生きてさえいればと覚悟を決めたのかもしれなかった。

どうなっても良いとは思っていないがなるようしかならないのだろう。



意外だったのは5月3日の日記だった。

あやちゃんの11歳の誕生日なのに一切そのことに触れていない。

おそらく複雑な事情があり書くことを躊躇ってしまったのだろう。

ほんの一年前のことなのにその時の心境が思い出せないのだった。

「どん底」ならそう記すべきだったのだ。真実を書くべきである。

けれどもそうすることであやちゃんを傷つけてしまうことも在り得る。

触れたら壊れてしまいそうな硝子細工のようだったのだ。


日々こうして書き綴りながら歳月は流れて行くのだろう。

いや流れるのではない。積み重ねて行くのだと思う。

同じ日は二度とないのだ。だからこそ真実を書き残したいものだ。


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