ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年05月02日(木) 川辺の野ばら

晴れたり曇ったり。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

さすが風薫る五月である。なんとも清々しいものだ。


今朝は10匹ほどのカメムシ。おそらく昨日の生き残りだろう。

殺虫剤で殺めることも出来たが敢えてそうしなかった。

義父は昨夜早めに事務所の電灯を消し門燈も点けなかったそうだ。

しばらく油断は出来ないがもう昨日のようなことは無いと思われる。


カメムシ情報があり一昨日近所で大木を伐採したのだそうだ。

その時に大量のカメムシが見つかったらしい。

突然居場所を失ったカメムシが一斉に飛んで来たのだと思う。

カメムシにも蜂のように巣があるかは定かではないが

その大木が棲み処だったのは間違いないようだ。

カメムシにとってはこの上ない災難だったことだろう。

例え害虫であってもいのち在るものには違いない。

彼らも生きるために必死なのだった。





週一のリハビリのため今日も3時前に退社する。

明日からGW後半であるが工場の仕事は完了出来ないままとなる。

もう部品が手に入らないのだ。仕方なく諦めるしかなかった。

大手は10日間も休業である。なんと贅沢なことだろう。


いつもの整形外科に着き受付で何気なく診察券を見たら

初心がちょうど2年前の5月2日であった。

もう2年と思うよりまだ2年なのかと思う。

ずいぶんと前から足の痛みがあったような気がしたのだ。

今はもう痛みも薄れて苦痛を感じることも少なくなったが

痛み止めが効かず毎日が辛かったことを一気に思い出す。

杖を付くようになったのはいつからだったのだろう。

それもずいぶんと前からのように思えてならなかった。


帰宅して2年前の日記を読み返していた。

その日は祭日振替で仕事は休みだったようだ。

意を決して整形外科を受診したことが記されていた。

「持病が増えた」とかなりショックだった様子である。


足を痛めたきっかけは何だったのだろう。

5月の日記には何も記されておらず4月の日記も読み返した。

それは海苔養殖場の撤収作業である。よほど無理をしたのだろう。

40年以上も続けて来た家業でもう慣れているはずであった。

それを歳のせいにするのも情けないことだが現実は厳しかったのか。

川の中を歩き回りおそらく水圧が足に負担を掛け過ぎたのだと思われる。


その年の青さ海苔は全滅であった。もちろん収穫はゼロである。

その虚しさを希望に変えるのは並大抵のことではなかった。

そうして休業を決めて2年目の春となったのである。

諦めずに続けていた同業者も多いが今年も全滅だったそうだ。

それでも撤収作業はしなければならない。もう希望どころではあるまい。

掛ける言葉も見つからなかった。なんと気の毒なことだろう。


夫は「おまえの足がきっかけだったかもしれんな」と云う。

私もそう思っている。もう限界だったのだろうと。


手術以外に完治の見込みはないと医師は云うが

私の目下の目標は杖を付かずに歩けるようになることだ。

リハビリを頑張っていればそれも夢ではないだろう。


「野ばら咲く川辺の道を思い出すあの頃は幾らでも歩けた」







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