ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年04月21日(日) 雨だれが歌っている

春の長雨のことを「菜種梅雨」と云うが

3月から4月にかけて降る雨のことなのだそうだ。

じゃあ4月から5月にかけて降る長雨はなんと云うのだろうか。

今日は一日中小雨が降り明日も明後日も雨になるらしい。


気圧のせいか気分が沈みがちであった。

鬱ではないと思うのだがどうにもすっきりとしない。

自室でパソコンに向かえば鎖のように煙草を吸ってしまう。

これではいけないと思い茶の間へ行けばすぐに寝てしまうのだ。

行動力はもちろんのこと活気が全くなかった。

生きながら死んでいるような気がしてならない。


明日になれば例の宅急便の真相も分かるだろう。

仕事も忙しくなり精一杯に働くことも出来るだろう。

明日が待ち遠しくてならない。





お昼過ぎに地区の副区長さんが訪ねて来て

4月29日に「お大師さん」の行事を執り行うのだそうだ。

我が家を頭に3軒が当番で段取りや準備をしなければいけない。

夫が私の足を気遣い「お前は無理だろう」と言ってくれたが

たとえ足手まといになっても参加したくてならなかった。


最後にお大師堂にお参りに行ったのは一昨年の暮れだったか。

信心も何処へやらあれ以来すっかり足が遠のいている。

Sさんに訳を話しお大師堂の管理を全て任せたのだった。

快く引き受けてくれたが一人ではさぞかし荷が重いことだろう。

お参り仲間の従兄弟、ちーちゃんも既に亡くなってしまった。

ひっそりと寂しくなった光景が目に見えるようである。


地区の当番は約3年ごとに回って来るが行事は沢山あって

「お大師さん」の当番は今回が初めてだった。

これも縁なのに違いないと思っている。

ちーちゃんが背中を押してくれているようにも感じるのだ。

夫が何と云おうと私は行かなければいけない。


おそらくお大師さんに会えるのは今度こそ最後になるだろう。

そんな弱気ではいけないのだがもう高望みは出来なくなった。

これまでどれほど守ってくれたことだろうか。

しっかりと恩返しをしたいと心からそう思っている。



雨は今も降り続いている。

夜明け前に「雨だれが歌っている」と詩を書いたが

いったいどんな気持ちで書いたのか自分でもよく分からない。

でも好きだなと思った。希望なくしてどうして書けようか。



         雨だれが歌っている
         
         軽やかのようでいて 
         
         せつない歌のようだ

         

         それはいつかの哀しみ
          
         涙色の幕が開いたとき
          
         観客席にあのひとがいた

        
         真っ直ぐに見ている
          
         その瞳に映るのは
         
         儚い夢の結末であった

        
         歌は希望でなくてはならない

         
         空は知っている
          
         雨は知っている

         
         歌い続けていれば
         
         きっと光に満たされると


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