ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年04月14日(日) 最後の法要

雲が多かったが概ね晴れ。爽やかな風が吹き過ごし易かった。

窓から川向の山を眺めていると山全体が笑っているように見える。

つい先日まで山桜が沢山咲いていたのだがいつの間にか

椎の木の花が満開になったようだ。クリーム色ではなく黄な粉の色である。

むくむくとそれはそびえ大きな木であることが見て取れた。

今まで近くで見たことがないがいったいどんな花なのだろうか。



姑さんの7回忌。位牌を抱くようにしてお寺に向かった。

義妹、義弟と相談のうえ今回の法要で「上げ法要」とする。

「弔い上げ」とも云うらしいが故人の最後の法要である。

お寺の住職さんはまだ13回忌までは出来るでしょうと言ってくれたが

夫も義妹達も正直なところ自信がなかった。もちろん私もである。

自分達が元気なうちにと思う。それが子の務めではないだろうか。

上げ法要をするともう仏様ではなくご先祖様になるのだそうだ。

「まだ早いことないかい」と姑さんの声が聞こえて来そうだった。


読経、焼香が終わり墓前に向かったが私はお寺の境内で待っていた。

毎朝聞こえている鐘。赤い前掛けをした5体のお地蔵様。

藤の花、八重桜、ツツジも咲いている。

そうして水子地蔵もありはっと胸が締め付けられそうになる。

以前から知ってはいたが人目を気にして手を合わせたことがなかった。

ゆっくりと向き合うこともなかったのだ。なんと薄情なことだろう。

境内には私しかおらず心の中で「いま」しかないと思った。

あの子の50回忌である。母として他に何が出来るだろうか。

そっと手を合わすと胸に淀んでいた灰汁のようなものが流れて行く。

それはあの子の最初で最後の法要であった。





今夜は義妹宅で小宴。身内が集まり賑やかに過ごす。

本来なら長男である夫が段取り我が家で行うべきなのだが

恥ずかしながらお布施を準備するだけで精一杯であった。

だから義妹にはいつも甘えさせてもらっている。

「遠慮せんといっぱい食べてや」と言ってくれて

滅多に食べられないスシローの握り寿司をお腹いっぱいご馳走になった。

夫や娘達はまだ居座っているが私は一足先に帰って来たところである。

いくら目と鼻の先でもあやちゃんを独りにさせておくわけにもいかず

何よりもこの日記が書きたくてならなかった。


「こんなもの」と思ってしまえばいくらでも疎かに出来るだろう。

しかしいつ最後になるやもしれずそれだけは避けたかった。


昼間2018年の4月の日記を読み返していた。

その年の10月にはお舅さんの37回忌で上げ法要をしていた。

もしそれを最後にしていなければ今年は43回忌だったのだ。






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