ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年04月10日(水) 母と北風

もう花冷えとは云えないが肌寒い朝となる。

まだまだ暖房器具が必要なのだろう。

日中は晴天に恵まれたが北風が強かった。


ふと「ふゆさん」を思い出す。

転校して行ったのだが元気にしているだろうか。

友達は出来ただろうか。いじめられて泣いてはいやしないだろうか。

今朝はそんな詩を書いたらある方が宮沢賢治の作品世界に通じると

感想を述べてくれてなんと身に余ることだろう。

怖れ多いと云うか私のような者にはもったいない言葉であった。

そう云いつつ私は「ふゆさん」が好きでならない。

自分なりのシリーズとして何作か書いたがどれも好きであった。

しかし松下育夫氏いわく「少年詩か童詩の影響を受けているようだ」と。

それはまるで「ふゆさん」がいじめられたかのように悲しかった。

ここではっきり言わせてもらうが私は何からも影響など受けていない。

私は私の「こころ」から影響を受けながら書いているのである。

松下氏は決して貶した訳ではないと思うが踏みにじられたように感じた。

そうしてそれは「詩の通信教室」を止めるきっかけになったのだった。




今日は午後から損害保険募集人の資格更新試験があった。

5年ごとの更新だがもう何度目なのかは記憶にない。

はっきりと憶えているのは5年前にもうこれが最後だと思ったことだ。


以前は高知市内の試験会場まで出向かなければいけなかったが

コロナ禍の影響もあり今はオンラインで受験することが出来る。

一日がかりだったのが僅か40分で終わるので随分と助かっている。


朝からそわそわと落ち着かなかった。全く学習をしていないのだ。

常識問題だとしてもこの歳であるから物忘れも酷くなっている。

おまけに今は募集人の仕事を一切していなかった。

全て提携先代理店のY君にお任せしているのである。


こればかりはいくらあがいても仕方なく試験に臨むことになった。

今回は試験中にテキストを見ても良かったのだが

いざ問題が出て来るとテキストの何処を見れば良いのか分からない。

あたふたしているうちにどんどん制限時間が迫って来るのだった。

終った時には冷汗が出ていた。当然のことながら自信はゼロに等しい。

合格発表は来週の火曜日とのこと。不合格なら再試験となる。


あれは12年程前だったろうか。母が試験に臨んだ日のことを思い出す。

パソコンを全く使えないため「パソコン教室」に通っていたのだった。

その頃には仕事もパソコンを使うことが多く母は手も足も出せない。

それがよほど悔しかったのだろう。毎日のように言い争っていた。

私が少しでも教えようとすると「今はいい」と言って拗ねるのだ。

そうして挙句には私がパソコンを占領していると言い怒るのだった。


思い出していたらきりがないほど母との確執は絶えなかったが

母は試験に合格した。75点の合格ラインぎりぎりであった。

あの時の母の喜びようはなかった。もちろん満面の笑顔である。

それからしばらくは機嫌が良かったが結局は元の木阿弥となった。


「お母ちゃん懐かしいね」事務所に置いてある母の遺影に話し掛ける。

閉め切っていた窓を開けるとまるで母であるかのように風が吹き抜けた。










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