ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年04月07日(日) お目汚し

曇り日。花曇りと云いたいところが桜はほぼ散ってしまった。

そうして季節は巡って行く。桜の季節は永遠に訪れるだろう。

ふとそんな季節に逝けたらと思う。花弁のように散ってしまいたいものだ。



低迷が続いており気分転換をしたくてならない。

「退屈たいくつ」と何度も口にしてみたが

夫は聞こえないふりをして無視をするのだった。

そうなると余計に気分が沈んでしまって何もする気になれない。

ひたすら寝る。おそらく5時間ほど寝ていたのではないだろうか。


娘は店舗の後片付けに行ったが夕飯は要らないと言い残す。

だからあえて買い物にも行かず余計に退屈であった。

早く明日になればいい。仕事をしたくてたまらない。





ここに書いて良いものかとずいぶんと迷ったが

SNSは決して楽しい場所ではない。

今日は少し不愉快なことがありもやもやとした気分が収まらずにいる。

以前はミュートしていて発信に目が触れることはなかったが

最近になって解除してしまったのがいけなかった。

一日に何度も発信がある。言葉は悪いがうんざりする程である。

「虫が好かない」と言って良いのかどうにも共感出来ない。

じゃあ再度ミュートすれば済むことだがそれも迷ってしまうのだ。

フォロー解除、ブロックという手もあるがそれは良心が咎める。

決して悪意がある人ではなかった。だから尚更のことである。


あれこれ考え込んでいてはっと気づいたのは

私も誰かから同じように思われているかもしれないことだ。

毎日好きなように発信を続けているが気に食わない人もいるだろう。

誰もが共感してくれることは決して在り得ないことである。


私はよく「お目汚しを」と口にするがそれは謙遜ではなかった。

不愉快な思いをしている人が少なからずいることを感じているのだ。

そうして劣等感は強まりどんどん自信を失くしてしまう。

それでも私は書くことを諦めずにいる。

一握りの光を求めSNSの海を漂っているようなものだ。

この日記もそうだが他に私の居場所は無いに等しい。

だから失うことが怖くてならない。それは死んだも同然に思う。


ゆるしてはくれまいか。認めてはくれまいか。

これからも生きている限り私は在り続けたいと願ってやまない。





あやちゃんがパスタを湯がいていた。

「すごいね、えらいね」と褒めたら「別に・・」と応える。


明日は入学式もありいよいよ新年度が始まる。

めいちゃんはとても楽しみにしていてテンションが高いが

あやちゃんはどれほど複雑な気持ちだろうと気遣わずにいられない。

しかし迷っているふうには見えない。おそらくもう決めているのだろう。

「行かない」選択をどうして周りが責められようか。


新鮮な春である。桜は散ってもまた新たな花が咲くことだろう。

あやちゃんのこころにそっと一輪を添えてあげたいものだ。


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