ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年03月31日(日) 弥生尽く

快晴かと思いきや午後から花曇りとなった。

昨日初燕を見たばかりだがなんと元気に飛び交うことだろう。

長い旅を終えたばかりとはとても思えない。

さえずりも可愛らしく聴いているだけで心が和む。

  
いつもは朝から寝てしまう日曜日だが

今朝は冬物を片付けようと押し入れを開けていた。

まだ花冷えもあるだろうがもう着ることもないだろう。


母のもはや形見になってしまった衣類も沢山あった。

アパートを引き払う時にかなり処分はしていたのだが

衣装持ちの母のことである。とても捨て切れなかったのと

施設に入居しても普段着の必要な時もあり残して置いたのだった。

高価だった衣類が多く状態はとても良かったが心を鬼にする。


一枚一枚確かめるように手に取り母を懐かしく思い出す。

ああこれは好きだったな。ああこれもよく着ていた。

懐かしんでいたらきりがなく思い切ってビニール袋に詰め込む。

もちろんゴミではなく市のリサイクル施設へ持ち込むのだ。

繊維資源として何か他の物に生まれ変わるのかもしれない。

衣類のまま発展途上国へ送られるのかもしれなかった。

これも断捨離なのかと思う。母を断つ。母を捨てる。母と離れる。


空っぽになった衣装ケースに夫と私の冬物を入れた。

もしもの時には娘が処分してくれるだろう。

無事に生きていればまた寒くなったら着れば良いのだ。




午後は2時間ほどお昼寝。暖か過ぎて炬燵も要らない。

いつの間にか曇っていたので早めに洗濯物を取り入れようとしていたら

外で遊んでいためいっちゃんが駆け寄って来てくれて手伝ってくれた。

背が伸びたのだろう。高い所にも手が届きなんとも頼もしい。

洗濯物を畳んでいたら台所からがちゃがちゃと音が聞こえる。

なんとめいちゃんが流しにいっぱいだった食器を洗ってくれていた。

こんなに嬉しいことがあるだろうか。思わず目頭が熱くなるばかりである。

自分から進んでお手伝いが出来るようになった大きな成長だと思う。



その後、冷たいコーヒーを飲みながら短歌を書く。

このひと月のあいだ最後には「あの子」のことを書いて来たが

今日で終わりにしようと思っていた。

わずか31首であったが少しは供養になったのだろうか。

身勝手な自己満足に過ぎないが書くことで救われたようにも思う。


「毎日が命日だった弥生尽く忘れぬことが供養だろうか」





6時半に娘が帰宅。やれるだけのことをやったのだろう機嫌が良い。

心身ともに疲れ切ってしょんぼりして帰って来るのではと思っていた。

もしかしたら空元気かもしれないが鼻歌まで聞こえているのだった。

あれこれと訊ねてはいけないと思いただ微笑むばかりの母である。


明日はもう卯月四月。きっと新鮮な春になることだろう。

弥生三月は去ろうとしている。そうしてやがて過去になるのだ。


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