夜明け前には檸檬のような月が見えていた。
私はそれを「見られている」と表現する。
そうして詩が書けるのならそれで良かったのだろう。
月の光は果汁である。今にも零れ落ちてしまいそうだ。
夜が明けると雲ひとつない青空が広がっていた。
なんと清々しいことだろう。そうして私の一日が始まる。
職場に着くなり義父がまたそわそわと落ち着かない。
開口一番に「田んぼへ行ってもええか?」と私に問うのだった。
昨日は逃げるように出掛けて行ったのに今日はどうしたことだろう。
まるで小学生が母親に「遊びに行ってもええ?」と問うようであった。
私は愉快でたまらない。「宿題をしてからね」とはもちろん言えない。
お昼過ぎに一度戻って来て契約に行った。
先日の事故のお客さんが新車を買ってくれることになったのだ。
30分もしないうちに「売れたぞ」と上機嫌で帰って来る。
そうしてまた長靴を履くと大急ぎで田んぼに向かったのだった。
おそらく日が暮れるまで農作業をしていたことだろう。
とても80歳とは思えないパワフルな義父であった。
少し早めに仕事を終えられたので3時過ぎにはサニーマートへ着く。
今夜のメニューは八宝菜に決まっておりちゃちゃっと買物をする。
むき海老が半額だったので助かった。椎茸も特売である。
5時になり夕食の支度を始めようとしたらあるはずの白菜がない。
昨日娘が友人から貰ったので冷蔵庫に入っているはずだった。
春らしくなったので鍋物よりも八宝菜だと閃いたのだが
冷蔵庫の野菜室には白菜の菜花のような物が入っていた。
それはそれでざっと湯がいてポン酢マヨで食べたら美味しい。
しかしどうしてそれで八宝菜が出来ようか。
よくよく考えたら今の時期に路地物の白菜があるはずがなかった。
しばらく台所で狼狽えていたが何か他の物を作らなくてはいけない。
豚バラ肉で生姜焼きを作る。むき海老は天婦羅にすることにした。
お風呂上がりの夫がビールを飲み始めたので
大急ぎで鰹のお刺身を作る。まるで小料理屋の女将のようだった。
6時前にやっと娘が帰って来て海老天を揚げてくれ助かる。
夫は八宝菜が好きで中華丼を楽しみにしていたようだが
あやちゃんはあまり好まず海老天の方が嬉しかったようだ。
今日も機嫌がよく笑顔で食べてくれて嬉しかった。
お風呂上りに血圧を測ってびっくり。上が170もあった。
最近はずっと落ち着いてたので「まさか」と疑う。
自覚症状は全くないがおそらく台所で奮闘し過ぎたのだろう。
ストレスではなくパニックだったのだ。
まあどんな日もあるだろうとあまり気にせずにこれを記している。
大丈夫。これくらいで死にはしない。
「春に三日の日和なし」とよく云われるが
今日の快晴が嘘のように明日はまた下り坂なのだそうだ。
明後日には春の嵐になるのかもしれないが
咲き始めた桜のなんと健気なことだろう。
彼女らは何があっても咲くのだ。決して挫けることはない。
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