夜明けとともに雨が止みゆっくりと晴れ間が広がっていく。
ご近所さんの庭先にドクダミの花が咲き始めていた。
匂いを嫌う人もいるけれど花は純白で十字架のような形をしている。
昔から医者要らずと云われ薬草として重宝されていたそうだ。
嫁いですぐのことだったか姑さんがドクダミ茶を作っていて
おそるおそる飲んだことがあるが臭みは無くとても美味しかった。
今はドクダミを刈り干す光景も見られなくなったが
昔は何処の家でも軒下に吊るし干していた記憶がある。
今朝は少し暗い詩を書いてしまって鬱々としていたのだけれど
いつも読んで下さっているK子さんからコメントを頂き
読んでいて心が苦しくなったと記してあった。
「自己への語りであり内省である」と。
それは自分ではまったく気づかないことであった。
「自己にしがみつかず心の殻を破るように」と言って下さり
目から鱗が落ちるようにはっとしたのだった。
もしかしたらそれが私の最大の欠点かもしれないと思う。
ずっと固い殻に閉じ籠っていたのだろう。
そこにはおそらく希望の欠片も無かったのかもしれない。
母と同い年のK子さんに大切なことを教わった気がする。
母がもし私の詩を読んだら同じことを言ったかもしれない
「母の日」であったが母には何も出来なかった。
まだ面会の許可も下りず施設を訪ねることも出来なかった。
母が恋しいわけではない。会いたいとも思っていない薄情な娘である。
少女の頃、母の日なんて無くなれば良いと思っていた。
いっそ死んでしまえばいいと何度思ったことだろう。
けれども私を生んでくれたのは他の誰でもなかったのだ。
自分が「母の日」に何もしないものだから
当然のように私にも「母の日」は無かった。
カタチではなく気持ちの問題なのだなと思う。
娘と肩を並べて夕食の支度を出来ただけでも幸せである。
そう思えば私にとっては毎日が「母の日」なのだった。
朝からあやちゃんの顔も見ないまま夜になった。
声だけは少し聞こえて明るい声だったのでほっとする。
今も隣の子供部屋に居るが決してドアを開けてはならない。
干渉しないのは会話をしないことと同じなのだろうか。
そうではないのかもしれないけれど臆病になってしまうのだった。
あれこれ考えていると煙草を吸いたくてたまらなくなる。
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