しとしとといかにも春らしい雨が降っている。
恋をしているわけでもないのに雨音が心に沁みる。
何が切ないのかよく分からないけれど今夜はそんな気分だった。
高知城下の桜が今日開花したそうだ。
四万十の桜もすぐに後を追うだろう。
この雨が上がればと明日のことを考えている。
夫71歳、母85歳の誕生日だった。
今朝はめいちゃんがもじもじしながら「おじいちゃん」と呼びつつ
小さな包み紙を手渡していた。夫のなんと嬉しそうな顔。
手紙には「なにをおくろうかすごいまよったよ」と書いてあり
チョコレートとマシュマロが添えられてあったようだ。
なんと優しい子に育ってくれたのだろうと感動せずにはいられなかった。
居間の壁にはめいちゃんの描いた絵を貼ってある。
「わたしのかぞく」と書いてありそこには私と夫も描かれてあった。
娘には家族ではないと言われ続けているけれど
めいちゃんだけは私達を家族だと認めてくれているのだと思う。
ずっといつまでもとは言い切れないけれどとても有難いことだった。
母には何も出来ずせめて電話をと掛けてみたけれど繋がらない。
30回もコールしてみたが諦めるしかないようだ。
母は自分の誕生日を憶えているのだろうか。
そうして何よりも今幸せなのだろうか。
訊けば「幸せよ」と応えるかもしれないけれど訊くことも出来ない。
夫の71年の人生。母の85年の人生に思いを馳せる。
夫とは縁あり共に人生を歩むことが出来ているが
母との人生は私が13歳の時から途切れてしまっている気がする。
それはきっともう家族ではなくなってしまったからだろう。
私は妻であり娘であるけれど私にも残された人生があるのだった。
寄り添うこと。共に生きること。そうして愛すること。
それぞれの人生が終着駅に向かって旅をしているように思う。
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