「書けない」と云うことを書こうとしている
この悶々とした苦しさが分かるだろうか
崖っぷちに立っているようだ
海の青さが目に沁みるばかり
一歩踏み出すことが出来ない
それでも私は存在していて
ありったけの命で叫び続けている
「書けない」と書いた
「生きたい」と書いた
書ける日があるのにどうして書けない日があるのだろう。
何か精神的なモノかなと思うのだけれどよく分からない。
とにかく今朝は書けなかったので「書けない」と書いた。
くだらないことかもしれないけれどこれが精一杯なのだ。
限界はいつも感じている。その限界が怖くてならない。
午後、短時間ではあったが雷雨に見舞われた。
ずしんずしんと地面を揺らすような雷鳴におののく。
空が春を告げに来た「春雷」なのだなと思う。
山里では義父が稲のモミ蒔きを始めている。
もうそんな季節なのかと感慨深い。
いつものことだけれど稲作の事となると本業を忘れる。
一切口を出してはいけないのでピリピリと緊張するのだった。
それが少なからずストレスになっているようだ。
今日は煙草が吸いたくてたまらなかった。
でもそれをしてしまえば今までの苦労が水の泡になってしまう。
とにかくひたすら我慢をしなければいけない。
それがまたストレスになり精神的に追い詰められていくのだ。
煙草には関わりたくないと言いながらなんと矛盾していることか。
そんなストレスに足の痛みが拍車をかける。
これでは二重苦ではないかと情けなくてならない。
職場の近くの商工会に行くのに杖を付きながら歩いて行った。
近所の人に会って「体裁なんて言ってられんよ」と声を掛けてもらった。
痛みを我慢するよりも杖に頼りなさいと云うことなのだ。
この先「絶好調」と云う日はおそらく無いだろうと思っている。
精神的なストレスは気の持ちようでなんとかなるが
足の痛みだけはどうしようもなくずっと我慢の日々なのだろう。
我慢は試練と似ているがそっくり同じではないような気もする。
これを記しながら娘のシケモクにまた火を点けてしまった。
「この馬鹿野郎めが」情けないのと悔しいのともうごちゃごちゃだ。
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