ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2023年03月03日(金) この儚さに

弱くてもいい在りのままそこに居てきみに寄り添う私も弱い


心細くてならない

きみに触れようとしたら

今にも壊れてしまいそうだ


それでも生きて在りながら

息を数え続けている

確かなことを信じようと

どれほど耐えたことだろう



きみの傍に居させて欲しい


肩を寄せ合いながら

今を生きていこうよ





また「きみ」と書いてしまった。

何度も言うが特定の誰かを指しているわけではない。

じゃあ何なんだと訊かれても困るが「きみ」は何処かに居るのだろう。

それはもしかしたら私とよく似た人なのかもしれない。


いま咄嗟に「妄想」と云う言葉が頭に浮かんだが

そうだそれなんだと思った。私はどうやら妄想するのが好きらしい。




仕事を終えて帰りながらラジオを聴いていた。

色んなラジオネームの人が居て愉快ではあるけれど

どうして本名を名乗らないのだろうとふと思ったりする。

そういえば昔からそうだった。私も「青い鳥」と名乗っていた。

でも日本でラジオ放送が始まった頃はどうだったのだろう。

放送局に葉書を出す時は住所と本名を記していたのではないだろうか。

匿名希望の人は別としてもっと堂々としていたのではと思う。

堂々と云う表現は間違っているかもしれないが言い換えれば

自分の身元を隠さずに公にすることを心掛けていたのだと思う。



ラジオに限らずネット社会のSNS等でも同じことが云える。

SNSが特に酷いと思うのは性別さえも公表しない人が多い。

もちろん年齢も不詳。その上に住んでいる地域も不詳である。

言葉はとても悪くなるが「何処の馬の骨やら分からない」のだった。

そんな人達とはなるべくなら関わらないに越したことはない。

距離は遠いほど良い。そうして決して親身にならないことだ。


SNSが楽しい。繋がりが嬉しいとよく耳にするが

私は楽しいと思ったことなど一度もない。

繋がりも求めてはいないしむしろ一匹狼で居たいとさえ思っている。


それでは何故SNSを続けているのだろうか。

それは今の私にとって唯一の発信場所だからだろう。

大げさかもしれないけれど自分で選んだ道なのだった。


ある日突然に途絶える時が来ることだろう。

それはこの日記も同じことである。


ネット社会はとても儚いけれどそれは私の命にも等しい。


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