生きている限り明日があるならば今を希望と呼ぶべきだろう
いつかは終わる
限りある命だとしても
精一杯でありたいと思う
今を生きていると
辛く苦しいこともあるけれど
与えられた試練ではないだろうか
嘆いても何も変わらないのなら
信じてみたらどうだろう
明日こそが希望なのだ
辿り着こうよ
今朝は苦労なくすらすらと書けたが
なんだか綺麗ごとを並べ立てたような詩になってしまった。
ひとは本当に辛くて苦しい時に明日を信じられるのだろうか。
たとえ試練だと分かっていても乗り越える強さが必要である。
そんなにひとは強くはない。弱さも認めてやらねばならないのだ。
そう思うとなんと無責任な詩なのではないだろうか。
今日は穏やかな晴天に誘われるよう出掛けていた。
四万十川を遡り県境を越え愛媛県の鬼北町まで行く。
山間の小さな町だがあちらこちらに菜の花が咲き乱れていて心が和む。
なんだか菜の花の町のようなイメージがあった。
お昼時になり国道沿いのこじんまりとしたお店で昼食を摂る。
食堂でもなく喫茶店でもなくなんと呼べば良いのだろう。
「お食事処」と書いてあったが民家のようでもあった。
メニューが面白い。「ラーメン屋さんではないけどラーメン」とあり
私は迷わずにラーメンを頼み、夫はオムソバを頼んだ。
繁盛しているのか後から後からお客さんが入店してくる。
運ばれてきたラーメンは決して不味くはなかったけれど
市販のラーメンスープに蒸し麺を入れた物のようだった。
チャーシューの代わりに豚肉の炒めた物が入っている。
やっぱりラーメン屋さんではないのだと愉快な気持ちになった。
夫は可哀想。オムソバに大嫌いなピーマンが入っていたのだった。
それでも食べ終わるまでその事を言わなかった。
宇和島経由で帰路に就くことにしナビにお任せをしたのだけれど
ナビは最短距離を教えてくれるのでそれも良し悪しであった。
国道441号線を初めて通る。それがなんと酷道なのである。
車一台がやっと通れるような細い峠道をくねくねと走る。
やっと民家が見え始めたと思ったらそこはまだ鬼北町なのであった。
もう一度ナビを設定し直しやっと宇和島市へ辿り着くことが出来た。
そこで緊急事態が発生する。私が便意を催してしまったのだ。
高速道路に入いる直前にコンビニが在りそこへ飛び込んでいた。
出すものを出してしまえばなんともすっきりと心地よい。
コンビニでアーモンドチョコを買ったので食べながら家路に就いた。
「ちょいと疲れたけど面白かったな」夫と笑い合っていた。
二人で行けるうちにといつも思っている。
独りでは私は何処にも行けないだろう。
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