今朝は何も書けず。悶々としていたが潔く諦めることにした。
頭の中が白紙状態で落書きさえも書けない時がある。
苦しみよりも酷く焦ってしまう。焦れば焦るほど言葉は逃げていく。
しばらくどん底の気分になっていたが落ち込んでも仕方ないことだ。
明日は書けるかもしれない。そう思うと少し気が楽になっていた。
高校時代にも毎日詩を書いていた。
昼休みになると図書室へ行き隅っこで黙々と書いていたのだった。
同じ文芸部だった西沢君に放課後詩のノートを渡すと
次の日にノートが返って来て西沢君の詩が書いてあった。
今思えば交換日記のような物だったのかもしれない。
私は西沢君の詩がとても好きだった。
「きみ」と書かれていると私のことかもしれないと思ったりもした。
でもやがてそれが大きな勘違いだと判り辛い思いをしたけれど
西沢君は私の詩のいちばんの理解者だったことに変りはなかった。
50年の歳月が流れ西沢君の消息は未だに分からない。
ただ今もきっと詩を書いているのに違いないと信じているのだった。
それはどんな詩だろう。出来ることならば読みたくてたまらない。
会うことは叶わなくても西沢君の詩に再会したいのだった。
短歌にしても詩にしても私は孤独だと言って良いだろう。
「一匹狼」などと言えば恰好良く聞こえるがまず仲間が誰一人居ない。
それは理解者が一人も居ないことにも等しいのではないだろうか。
それを寂しいことだと言ってしまえば私はお終いだと思う。
私には私なりに貫くべきことがありそのために生きている。
理解者を求めるよりも自ずから自分を理解するべきなのだ。
とことん守ってやろうではないか。最後の最期まで。
独りぼっちだからこそ書けることがきっとあるのに違いない。
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