冬枯れた野にささやかな春として若き緑の匂い立つ頃
あたり一面の雀色
どれほど踏まれて
耐えて来たことか
草として生きている
名は確かにあるけれど
誰にも呼ばれたことがない
けれども嘆くことをせず
緑の胸を張り続けて来た
ささやかな春である
きっと救われる日が来るだろう
生きて生きて
少しまともなものが書けたような気がするのだけれど
どうなのだろう?やはり駄目なのだろうか。
所詮私は名無し草だ。踏まれ続ける運命なのかもしれない。
苛々感はないがどうにも落ち着かずそわそわしている。
集中力が無いのを煙草のせいにするのは卑怯だろう。
馬鹿野郎バカヤロウと呟きながらこれを記している。
いったい私はどうなってしまうのだろうと不安でもある。
犬や猫が餌を欲しがるのとは違うのだ。分かっているけれど
土地の方言で「かつえど」という言葉がある。
漢字にすると「飢え奴」になるのだろうと思うのだけれど
まさに今の私に相応しい言葉ではないだろうか。
餓えているのである。煙草が吸いたくてたまらないらしい。
「らしい」と表現したのは意に反しているからである。
吸いたくない私が確かに居るのだ。それは強くて逞しい。
両者が互いに闘っているのが分かる。どちらかが必ず勝つだろう。
書きながら酷く支離滅裂として来て収拾がつかなくなった。
以前のように穏やかな日記が書けないことが口惜しくてならない。
元々が「ゆらゆら日記」である。
それも21年目となったが今が一番揺れているような気がする。
どのような私になろうと見捨てるつもりはないが
この苦しさをどうすれば良いのだろうか。
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