2022年08月07日(日) |
定命を知らずままに秋が立つ |
「立秋」秋の気配がほの見えるころ。
ちいさな秋は夜明け前の虫の音から始まる。
りりんりりんと今朝は鈴虫の声が聴こえていた。
日中は厳しい残暑となったけれど幸い猛暑日にはならず
風もあり心地よいほどの暑さとなった。
早朝やっとお大師堂へ。お参り仲間の従兄弟から花枝の傷みを聞いていたので
まずは花枝を切りに畑へと足を運ぶ。
畑と云っても今はその面影も無く夏草の生い茂った荒れ地であった。
姑さんが健在だった頃には見事に手入れをしてあり季節ごとの野菜が
たくさん育っていたのだけれど、なんだか申し訳ないような有り様である。
その畑の隅に3本のシキビが植えられていて今でも活き活きと育っている。
枝ぶりがとても良いのだ。まるで姑さんの魂が宿っているかのよう。
「お大師さんへ持って行くね」と声を掛けて枝を数本切り落とした。
お大師堂へ着くと日捲りの暦が金曜日のままだった。
Sさんも来れない日があるのだろう。なにしろこの暑さである。
草刈りも出来ないらしくお堂の周辺は夏草が生い茂っていた。
疎かにしているのは私だけではないのだと思えば少し気も楽になる。
花枝を活け替え蝋燭に火を灯しお線香を2本立てる。
本来は3本らしい。お大師さんと家族と自分の分だと聞いたことがある。
お線香を折ってはいけないとも云う。寿命が縮まるのだそうだ。
けれども私はあまり拘らない。2本で十分に思うのだった。
寿命は定命であり生まれた時からすでに決まっていることらしい。
どれほどもがいてもどれほど願っても定命が尽きればあの世へ逝く。
般若心経は心を清め穏やかにする。謂わば精神安定剤のようなものだ。
唱えたからと云って救われる訳でもないけれど
不思議と充実感を感じる。たとえそれが自己満足だとしても
生きている限り唱えたい呪文のようなものなのかもしれない。
「お願いします。守って下さい」それは不安で心細いからこそのこと。
定命を知らされることもなくどれほど生き永らえられるのだろうか。
欲深い私はとにかく生きたくてならないのだった。
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