冬晴れ。風の冷たさもよきかな。
陽射しはたっぷりとあり救われるような思いだった。
車中は特に暖かくお昼休みに本を読む。
まるで陽だまりの猫のような気分になる。
猫といえば昨年から工場の片隅に居ついている猫。
もうすっかり野良猫ではなくなりまるで社員のようだった。
仕事を監督するようにしながら修理車に近寄って来たり
「にゃおう」と号令をかける時もある。
私は義父からきつく言われており餌を与えることをしないけれど
鉄骨工場のKちゃんが毎日餌をやり続けているようだ。
もうそうなれば飼っているのと同じだと思う。
情けは猫の為ならず。Kちゃんもきっとそう思ってのことだろう。
夕方のニュースでペットの衝動飼いが取り上げられていた。
コロナ禍で家に籠ることが多くなり癒しを求める人が増えたらしい。
けれどもそれが長続きしないことが問題になっていると言う。
ペットショップで猫や犬を買い求めてもすぐに嫌になるのだそう。
犬ならば吠えると言う理由で。猫ならばトイレの躾だろうか。
とにかく「思っていたのと違う」そう言って手放す人が多いらしい。
すでに名前も付けられていただろうになんと憐れなものである。
手放された猫や犬はまた値段を付けられて売り出されるのだろうか。
それならばまだ救いの道はあるのかもしれないけれど
無造作に捨てられてしまう猫や犬もいるのではないだろうか。
猫や犬を家族として迎える以上は責任と覚悟が必要に思う。
他人様に迷惑をかえないように努めなければいけないし
必ず訪れる「死」も覚悟しなければいけない。
我が家はあんずが死んでしまってからもう犬は飼わないと決めた。
孫たちが猫を飼いたがっているけれどそれも却下。
先日もあやちゃんが「おじいちゃんが死んだら飼ってもいい?」と。
「ええぞ、ええぞ」と猫嫌いのじいちゃんは苦笑いしていた。
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