曇り日。陽射しのありがたさをつくづくと感じる。
寒の入りらしい寒い一日となった。
季節は真冬となり「立春」の声を聴くまで耐えねばならない。
それも雪国に比べれば恵まれている冬であろう。
やっと仕事始め。ついつい気負う気持ちがあり
ゆっくりと歩み出そうと自分に言い聞かせていた。
開店を待ちかねていたように来客があり幸先が良い。
職場は活気で溢れており自然と笑みがこぼれてくる。
娘が夕方5時から出勤。今夜は棚卸があるとのこと。
帰りは何時になるか分からないと言いご苦労なことである。
娘むこの帰りを待っていたけれど7時になっても帰らず
孫たちと4人の夕食は久しぶりのことであった。
めいちゃんと一緒にお風呂。これも久しぶりのことであった。
以前は浴室で玩具で遊んでいたけれどそれもせずにいて
いつの間にか成長したことを感じずにはいられなかった。
身体も自分で洗う。足の指の間までそれは丁寧だった。
お尻にはまだ生み痣が青く残っているのを見て
幼児の面影がふと懐かしく感じられた。
父親も母親も居ないことをしっかりと受けとめているのだろう。
あやちゃんはいつも終い風呂だけれど
今夜は何も言わなくても自発的に入浴を済ませていて感心する。
ふと同居でなければこんな時はどうするのだろうと思った。
私達祖父母は「家族ではない」と言われつつも
いざと言う時には頼りにされているのではないだろうか。
それが嬉しくもありせつなくもある。
そこには感謝されたい欲があるからだろうと思う。
それこそが愚かな欲なのではないだろうか。
当たり前のこと。当然のことをしただけのこと。
それには感謝などいらない。
家族とはそういうものなのかもしれない。
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