明けてみっか。今日も穏やかな晴天に恵まれる。
降り注ぐ陽射しのなんとありがたいことだろう。
朝のうちに川仕事へ。生育が悪く残しておいた海苔網を
諦める訳にもいかず望みを託して漁場に張った。
収穫まで漕ぎつけるのかどうか分からないけれど
微かに緑に染まった網を撤収する気にはならなかった。
「いちかばちかだな」悲観はせずに微笑みながらの作業だった。
海苔の胞子は確かに生きている。見捨てるような事は決してしない。
ふとじいちゃんと昔話を始めてそれも懐かしくもあり。
38年程昔のことだろうか。当時は天然青海苔の豊漁が続いており
12月は最盛期で猫の手も借りたいほどの忙しさだった。
元旦に姑さんが青海苔漁に行くと言って大喧嘩になったことがある。
じいちゃん(夫)が「元旦くらいは休めや」と怒鳴る。
姑さんは「正月どころではない」と言って凄い剣幕だった。
勝気で負けず嫌いの姑のことで頷ける話だけれど
嫁の私が口出し出来ることではなく耐えるように沈黙を貫いていた。
結局最後には姑さんが諦めて元旦だけは休むことになった。
「強欲だったよな」今さら亡き姑の悪口ではないけれど
一日休めば他の人に青海苔を採られてしまうのが悔しかったのだろう。
それを強欲と言った夫に思わず「一票」と叫びたくなった。
姑さんの性格には最後の最期まで馴染むことは出来なかった。
寝たきり状態になってもそれは変わらず
介護の手助けをしていてもそれが義務であるのが苦しかった。
それでも誠心誠意尽くせたのか今もって答えは出てこない。
夫を産んだ母である。それだけが真実だったのかもしれない。
歳月は流れもう天然青海苔もほぼ絶滅となった。
青さ海苔の養殖も手さぐり状態である。
それでも望みを捨てずにいるのが姑さんの供養になるような気もする。
諦めることはたやすい。
諦めないことこそが試練なのだろう。
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