| 2009年06月10日(水) |
大切な時をかみしめながら |
雨が絶え間なく降り続く。これが梅雨らしさだろう。
雨にけむるというけれど。山の緑もぼんやりと見え。 近づいてはその潤いを確かめるように山道を進んだ。
雨合羽に身を包んだお遍路さんを何人か追い越して行く。 足元は雨靴ではない。どんなにか濡れてしまう事だろう。
心苦しさはつのるばかりで。何ひとつ労う事も出来ない。 ただただ会釈を繰り返しては。我が身の在り様を思った。
自分にはとうてい出来そうにもないこと。歩き続けるひとは。 一筋の光のようにまぶしいものだ。とても尊いひとに思える。
時の記念日だという。雨の朝の一瞬の出会いも大切な時だった。
我が家では息子君の誕生日。何もしなくても良いのだと言って。 仕事を終えたら独りでメシ食って寝るからそれで良いと言った。
それではあまりにもわびしい。可哀想じゃないかと父親が嘆く。 母もそう思った。マイマイするとかそんなこと言ってごめんね。 離れていても家族ではないか。今日こそはちゃんとしてあげたい。
お昼休みにメールをしたら。ちらっと帰るからと返事が届いた。 大好きなハンバーグを作ろう。ケーキも買って帰ろうと決める。
ゆっくりとはいかなかったけれど。久しぶりに夕食を共にする。 そうして慌しく帰って行く。いつもいつも風のようなコドモだ。
そんなコドモが30歳になった。なんだかとても信じられなくて。 自立はしていても未だに母は育ててもらっているような気がする。 すっかり大人なのだけれど。幾つになろうとコドモは子供だった。
父も母もそうして老いていく。そのかたわらを追うように歳月が。 子供たちにも重なっていく。その果てまでコドモは子供のままで。
父を母を見送ってくれるのだろう。
ありがたきは家族なのだとつくづく思ったことだった。
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