| 2008年12月10日(水) |
こんなにも愛しいもの。 |
つい先日の雪のことを忘れてしまいそうなほどの小春日和。 山里の職場をお休みさせてもらい家業の川仕事に精を出す。
久しぶりに乗る川船はやはり心地よく。つかのまの距離であっても。 なんだかわくわくと心が躍るのを感じた。朝陽がとても間近にある。 あたりの風景は冬枯れてしまっても。水辺の葦の老いた姿さえ愛しい。
いつもいじょうの深呼吸。水と空と光をいっぺんにいただくありがたさ。
秋の日に漁場に張った海苔網は。すべて5枚重ねにして生育を待っていた。 今度はそれを1枚ずつに分けて張りなおし。またそれが育ってくれるのを待つ。 例年だと11月中にそれをするのだけれど。今年はずいぶんと遅くなってしまう。 育ちきらないものを無理に分けてしまうと。海苔が死んでしまうからだった。
川は畑のようなもの。海苔は野菜のようなもの。自然の成すままに任せるしかない。 水は冷たいほどよく。太陽の恵みもひつよう。あとは見守るひとがひつよう。
どうか無事にと願わずにいられない。生きているのだ緑色の海苔のささやかな命が。
初日の今日は25枚が精一杯だった。あとまだ100枚ちょっとある。次回も頑張ろう。
久しぶりに肉体労働をしたせいか。午後はすっかりへなちょこになってしまった。 今朝の新聞の占いを思い出す。最初は辛いがあとは順調。ずばり当たっているようだ。 今年ほど体力の衰えを感じたことはなかった。あとは順調っていうところが嬉しい。
時々は弱音を吐こう。しんどい時はそれなりに。無理をしなくても成るようになる。
午後少しだけうたた寝をしているうちに。またいつもの夕暮れがせまって来た。 身体が重くてよっこらしょの気分のまま。待っていてくれるあんずに励まされる。 「しあわせは歩いてこない だから歩いていくんだよ」と歌いながら散歩に行く。
お大師堂へと続く土手の石段をひとつひとつゆっくりと下りる。するとあんずも。 なんだかよっこらしょの足取りになってくれて愉快だった。日に日に飼い主化している。 そのうち目尻にシワが増えて。寝酒に焼酎を飲みたがるようになるかもしれない。
銀杏の落ち葉の中にあんずを繋ぎ。しばし独りでお大師堂にこもり手を合わす。 いつかの菊の花はまだ枯れずにいてくれて。誰かが駄菓子を供えてくれている。
その時おもてから鈴の音が聴こえた。もしや?と思ったけれど振り向かずにいた。 そうしてゆっくりと立ち上がりその扉を開けたところ。白装束のお遍路さんが。 それはなんともあたたかな微笑をたずさえ。そこに佇み待っていてくれたのだった。
紅に染まる川面を見つめながらささやかにふたり語り合う。17日目の夜だそうだ。 遠く新潟から来たそうで。四国霊場巡りは二度目だけれどここは初めてだと言う。 テントと寝袋で野宿が多いけれど。屋根があり扉があるのがありがたいことだと。
60歳前後の男性であったが。とても健康的で溌剌としていて何よりも満面の笑顔。 ほんわかとあたたかな空気に包まれながら。穏やかさをいただいたひと時であった。
明日もどうかご無事にと別れを告げ立ち去る。
夕暮れ時のささやかな出会いだった。ひとが愛しくてならないとつくづくと思う。
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