| 2007年05月29日(火) |
わたしがわたしを疑うときに |
ひさしぶりに雨にあう。しばらく渇いていたものだからすこしだけ。 しゃんとする。いろんなことが濡れた。たとえば深く考え過ぎていたこと。
いちど濡れてしまえば滲んでしまう。何て書いてあるのか解らない言葉みたいに。 それはこのさき乾いたとしても。もう読めはしないだろう。私は忘れてしまえる。
あんがいとそれは心地よいことだ。濡れた思考回路に火は点かない。
また日常がひとつひとつ重なっている。
穏やかさを見失わないでいてほしい。と誰かにそう願ってみたりしながら。 山はたくさんあるけれど空はひとつだからと。誰かにそう伝えたりしながら。
いつもわたしは誰かといっしょに歩きたがっているようだ。
さきへ先へとひとり進むことが。ほんとうはこわい。私は臆病者に違いない。 かといって手を繋ぐのを好まず。ただたんに強がってみせているだけではないか。
だからときおりものすごく自信がなくなる。 この道でいいのか。このままでいいのか。あれでよかったのかと過去さえも思う。
穏やかさを見失ってしまうと。なにもかもが喧騒に聞こえる。 ざわざわとヒトが動く。犬が無駄吠えを繰り返し。近所の幼女がピアノを連打する。
空はたしかにひとつだ。青くても広くても灰色でも雨でも嵐でも。ひとつきりだ。
あるひとが言った。きょうわたしはそれをいただくことが出来た。
「自信たっぷりのことこそ信じられない」
それはヒトであったり文章であったり。そして目に見えないカタチであったり。
道に迷い不安がるからこそ。すすめる道があるのかもしれないと思う。
穏やかさを見失ってもかまわない。そのことに気づく事ができればそれでいい。
山は幾つでも越えよう。見上げればいつも空がある。決して独りきりではない。
|