| 2007年01月15日(月) |
この猫。冬が嫌いにあらず。(完) |
自然の恵みというものはつくづくとありがたいもので。 大漁の日があれば心から笑みつつ。疲れも吹き飛ぶ思いがするもの。
しかしそれを当たり前だと思っていると。とうとう手のひらを返すようにして。 川底を悉く削られてしまった挙句に。もう育たなくなった青海苔は老いていく。
それはやはりひとの髪のよう。その緑の筋は老人のそれのように白くなるのだ。 「もうおしまい」とみなが言う。「おつかれさん」ってそれぞれを労いながら。
そして季節は冬のさなかからゆっくりと春に向かい始めるのだけれど。 ほんのひと息ついたばかりで。今度は別の種類の海苔の収獲にかかる。 『青さ海苔』といって。この海苔は天然は殆ど採れず主に養殖とするもの。 河口から港口にかけての浅瀬に幾本もの杭を打ち。長い網を張って育てる。
これも緑が美しい海苔で。青海苔が筋なら。これは緑の葉っぱのようなもの。 引き潮にかけて漁をするのだが。胴長靴に防寒着。毛糸の帽子など被っては。 その上に頬被りもしてみたりで。小柄な私などはとても滑稽な姿になってしまう。
初めてそれをした時などは。胸近くまである水がちょっと怖いなと思ったけれど。 これも収獲の喜びというものだろうか。やってみるとなかなかに面白い作業だった。
左手で網をちょいと持ち上げると。右手でせっせと。かつ丁寧に毟り採っていく。 そうして腰に繋いだタライにホイホイッと入れていくと。気がつけば山盛りになって。 そしたら今度はタライを沈めないようにおそるおそる。船まで水中歩行をしていく。
一回二回とそれを繰り返しているうちに。もうすっかり潮が引いた川は陸のようで。 水が無くなってしまうと。今度はそのタライの重いこと。えんやこらどっこいしょ。 まるでひとり綱引きをしているふうになり。薄っすらと汗をかくほどあたたまる。
船からトラックに荷を移し終えると。ぜえぜえしながらも頬被りをはずしてみる。 その時の冬の風の心地良いこと。空など仰ぐ余裕も少しはあってとても清々しい。
そしてそれから。もう一仕事。今度は作業場まで帰り海苔を洗って始末せねばならない。 地下水を汲み上げるポンプの威勢の良い音。ぐるぐると回る洗い機の勇ましい響き。 洗って絞って。ふさふさになるようほぐして。それを木枠の干し台に丁寧に並べる。
そうしてやっと明くる朝の日和を楽しみに。今度はお陽さまの恵みに授かるわけだ。 一日では乾ききらず。三日四日目あたりにやっと一枚の広い海苔が出来上がる。 それはとても良い香りで。取り入れる時のほのかな温かさは愛しいとさえ思えるほどだ。
まだほんの駆け出しだったその頃。姑は弟子達に厳しくもあったが。今はそのおかげと。 心からありがたく思う。時に懐かしく。時に切ないほど。私達は本当に精一杯だった。
作業場の庭では幼い子供達が。ひとりは甘えることもせず黙々とひとり遊びをし。 ひとりは泣きもせずほんとうによく寝てくれる子だった。一緒に遊んでもやれず。 せめて夜はと抱いてあげたことがあっただろうか。なんだか少しも思い出せない。
ただ息子と手を繋いで家に帰ったような。帰るなりサチコのオムツを替えたような。 父親とお風呂に入った息子が肌かん坊で逃げ回ったこと。サチコは夜になると酷く泣いて。
家業と子育てと。何もかもが重いと。もしかしたらふとそう思った事もあったかもしれず。 今となってはそれはもう。わたし自身の灰汁のようで語るのも愚かしいことであった。
猫はおもう。もういまでは猫ではないのかもしれないけれど。
捨て猫同然だったあの若き日に。私を抱きあげてくれたひと。
そのひとと家族が。こんなにもあたたかく私を育ててくれたこと。
ここの冬がとても愛しくてならない。
白波が立つほどの冷たい川風が好きだ。
この猫。冬が決して嫌いにあらず。
・・・・・完・・・・・
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