| 2006年11月15日(水) |
希望だとすればまだ前途がある |
とうとうと冬枯れていく景色のなかにいて。空はくるしいほどに青く澄む。 薄茶の草原に草を食む子牛たちのいちばんちいさいのは真っ黒な牛であり。 耳に付けられた黄色の札にいく末を儚みつつも。そのあどけなさに心が和む。
国道へと向かう道筋の小川の流れる小高いところが私の帰り道で。例の栴檀や。 すっかり裸木の桜並木や。川辺のすすきは老いても風になびくことを忘れずにいて。
今日などは真紅の椿かと見間違うほど紅い山茶花を見つけた。毎年のことが。 なぜかどうしてかこの頃は心に沁みてならない。ひしひしと何かが迫るような。 この心もとなさを何と名付ければよいものか。とにかく何処だかに行かねばと思う。
歳を重ねるということは。もしや不安なのか。希望だとすれば前途がまだある。

父の命日だった。もう丸三年を経てしまったようだ。
あの日夕暮れて午後6時30分だったことを記憶している。 ふと父に電話してみようかなと思い時計を見たというのに。 まあ今日でなくてもいいかと。ついついそのまま明くる日になってしまった。
ほぼまるいちにち。父は誰にも見つけてもらえずに息絶えていたのだが。 死亡推定時刻は前日の夕刻。午後6時過ぎ頃と聞かされ。ただただ愕然とした。 それはひたすらの後悔であり。間際に父が私の名を呼んでくれた証に他ならなかった。
思い立つとき。それがふっとなにげなくであってもあやふやにしてはならない。 ひとは一瞬で失うものがあまりにも多く。その大切さを忘れてはならないと思う。
こうして時を経て今では。坂本龍馬の誕生日と命日と同じで。それが父らしくもあり。 サチコなどは。おじいちゃんってかっこいいねと言ってくれるくらいの父であった。
ひとのために身を滅ぼし。それでもひとを救うことを最後まで諦めずにいた父を。
わたしは尊敬してやまない。
信念をもって。つらぬくひとになりたいと強く思い続けている。
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