| 2006年11月09日(木) |
ひとつ山越えのほほんと |
一気に冬を感じた日からちょっとだけ後戻りをして。晩秋の小春日和は。 やはりほっとする。季節に流されているようでいてうまく身を任せられずに。 いるわたしには。時々はこうして振り向ける時が必要だなと思うのであった。
前を向いて。とにかく進めと口癖のように言ってはみても。立ち止まってしまう。 なくしたものをさがすように来た道を振り向いてしまう。後悔もする懺悔もする。 だけどここに至れば取り返しのつかないようなことであり。気を取り直しまた進む。
しかたない。そう思えば諦めも出来るが。そのしかたないを。それでよしと言える。 勇気なのだろうか。潔さと言うべきだろうか。それが時々欠落するのが常であった。
時に身を任すのはそうそう容易なことではない。だけどあえてそう努力してみたいものだ。
吹っ切ってみれば身も心も軽い。そうしてあっけらかんと空を仰げる時がある。 それが何よりもありがたいことだと思う。そしてはじめて時に感謝するが出来る。
日常がぐるぐると。時々は雁字搦めでありながら。もがけばもがくほど苦しいことを。 知ったから。ええいなるようになれと思ってみると。不思議になるようになって。 案ずるより産むが易しの時がいっぱいある。不安はきりがないのだ。ならばそれを。 もっともっと軽く受止めるられる自分になりたい。ほいきたまたかいさあどうぞ。 とことん暴れてみなさいなと。そんな気持ちになれたら不安のほうが怖気づいて。 とうとう逃げ腰になるその後ろ姿といったら。ある意味滑稽でまた些細な企みで。
これが不安の失敗になればもうこっちのもんであるから。もう勝ったも同然である。
でもそこで何か賞品でもあるかなと期待をしたらぜったいにいけないと思うのだ。 期待という欲は愚かである。それを欲しがってばかりいたらまた不安が襲って来る。
その時に負ける。それはどうしようもなく寂しさであったり。がっくりと辛くなったりで。
ひとつ山越えのほほんと。まあ口笛でも吹いてみるのがいいだろう。 ひとりぼっちならなおさら。好きなようにぶらぶら歩いてみるのもいい。
そうすれば野の花だって見つけられる。鳥の声だって聞こえるのにちがいない。
それが何よりも嬉しいことだ。それが時のなかの思いがけなさであり。 偶然のようでいて。その道がかけがえのない道の証しではないだろうか。
悩んでも躊躇ってもいい。その道を信じて生きたいものだ。
次の山はあそこだ。
おっし、行くぞ!!
冬山になるならとことんなってみろ。
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