| 2006年11月05日(日) |
保存とは。そのままの状態で保っておくこと。 |
このひと月ばかり毎夜聞こえていた秋の祭りの太鼓の音が。 今日こそは本番で。相応しいほどの青空の小春日和となった。
親族に亡くなったひとなどがあると。御神体に近づいてはならぬと。 その一年は鳥居をくぐることを禁ずるのが常で。私などは親族といっても。 血の繋がりのないひとゆえ。彼がおまえはいいだろうと言ってくれたので。 太鼓の音に惹かれつつそっと足を運んでみたのだった。御神体はお神輿で。 もとは保育園のあった場所の集会所の広場へと運ばれてあるのだったが。
樹齢何年になるのだろう。おっきな杉の木のあるその場所で。子供達が。 太刀踊りをしている。白絣の浴衣を着て共に立つおとなは青年団の人達。
今年はどういうわけかあまりにもその姿が少なく。なんだか寂しいほどだった。 聞けば。少年野球の試合やらで子供はもちろんその親までそちらを優先したようだ。
おまけに部落中の住民が押しかけるのでもなく。人々はまだらでなんとも侘しく。 何よりも踊っている子供達が可哀相でならなかった。こうしてこんなふうにあって。 古くから伝わる伝統という貴重なものが。年を経るごとに皆が無関心になっては。 とうとう後継者のいなくなる日を思うと。とても遣りきれない思いになってしまう。
そうは言っても。我が家でさえ息子が地元を離れてしまったわけで。協力も出来ず。 申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだが。いたしかたないと言うしかなかった。
帰宅してそのありさまを彼に話せば。ほんとうは大のお祭り好きの彼のこと。 今日だって見に行きたくてたまらなかった様子で。『保存会』を作るべきだと言う。 私もそれには大賛成であった。彼ならばきっと先にたってそれが出来るように思うのだ。
年寄りはしゃしゃり出てはいけない。私より5歳年上の彼は。いつもそれが口癖で。 身の引きどころを考えろと。なんだって引き際が大事だぞと。師のように言っては。 時に戒められ。私が最近若い人たちとしっくりいかないのを。身の程を知らな過ぎると言い。 愚痴さえもさらりと聞き流しては。おまえがいちばん愚かなのだと口にこそしないが。 その応じ方には私も参りつつ。自分の身の程というものに引け目を強く感じずにいられない。
身を引くとは。いったいどこまで引けばいいのかと。また悩み始めてみると。 友達のように思い慕っている仲間から。離れるという事はとても辛く思えてくる。
どんなに疎まれてもいい。自分の体力が続く限りは仲間だと認めて欲しいと願う。
保存会か・・それがいいと。彼が言うそれとはまったく違ってはいるけれど。
わたしがわたしのありったけの意志でもって。
わたしの保存会を作ってみるのはどうだろうか。
儚いけれど。それはとても儚いことなのかもしれないけれど・・・。
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