今朝のこと。峠道にさしかかるすこし手前の山里で。一軒の民家に立ち寄る。 県道脇にクルマを停めて坂道をよいしょよいしょと。「おはようございまーす」 と。我ながら元気な声が出る。「ほーい」と応える声がトイレらしきところから。 聞こえてきて。そのドアの前でしばらく待っていた。なんだかくすくすと愉快な朝。
おじさんがズボンのチャックを上げながら慌てて出て来たので。朝からすみません。 どうもどうもと謝りながらいて。私のくすくすは止まらずそれが微笑みになった。
仕事がらみの用事を済まし。おっとっととつんのめりそうになりながら坂道を下る。
その坂を下りた所に『伊平さんの墓』と立て札があり。その草の中に古いお墓があった。 いつもは止まることもなく見過ごしてしまいそうな場所で。すぐ横の小さな祠は。 以前から気になってはいたのだけど。そこでクルマから降り立つ事などなかった。
伊平さんは。ずっと昔に巡礼の途中。この山里で病に倒れ亡くなった人のようだ。 その尊い亡骸を村人が手厚く葬り。ずっと今でも供養をしているとのことだった。
苔むして少し傾きかけてはいるけれど。そのお墓の周りは雑草が生い茂りもせず。 つい最近刈ったと思われる茅などが奥の竹やぶに横たわっているのなどを見ると。 やはりほっとする。なんぼか故郷へ帰りたかったであろうけれど。伊平さんはここで。 一生を終えたことを悔みはしないだろうとさえ思える。志しなかばではあるけれど。
死とは。もうこれが運命だともいえて。この山里で心安らかに眠る事が今は幸せだと思う。
私はただただ手を合わすことしか出来なかった。
しゃりん。しゃりんと。その時鈴の音が間近に聞こえ。はっとして振り向いてみると。 すぐ下の道を歩いてくるお遍路さんがいた。それはすごく不思議で。どうしてって。 それはこの道を通って来た私だから。途中で出会って追い越しているはずなのに。 いくら記憶を辿っても。今朝はまだひとりも出会ってはいないはずだったから。
その証拠に。この鈴の音。こんなに響く鈴の音はかつて聞いたことがないと思う。
しゃりんしゃりんと。ああなんとしても声をかけたいと強くつよく思ったけれど。 またもや小心者に成り下がり。情けないことにクルマに飛び乗り。先へ先へと。
その時。確かに彼を追い越してしまった・・・。
峠の空は今日は曇り空。ぼんやりとした心にだけは鈴の音がずっと響き渡っていた。
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