台風一過。爽やかな風と青空に恵まれる。 難を逃れたとはいえ。竜巻の怖さや豪雨の悲惨な爪痕を目にすると。 いつだって明日は我が身。他人事ではなく心痛めることばかりである。
平穏とはなんとありがたいことだろうと。感謝せずにはいられない。
『敬老の日』予感していたとうり息子君たちがお昼にやって来た。 「おばあちゃん家におらんかったぜ」と言って。残念そうな声で。
おばあちゃん。姑は畑仕事が何よりも好きで。少しからだが不自由なのだが。 ほとんど一日中畑仕事に精を出している。細々だけれど季節の野菜を作ったり。 どくだみのお茶を作ったりしては。近くの地場産市場へ毎朝出荷しているのだ。
お昼のサイレンが鳴ったのを合図に。ごとごとと手押し車を押して帰って来る。 その車がないと歩けないのだ。パーキンソン病なのでつんのめって転んでしまう。 それでも鍬を持つ。種を蒔く。水をやり肥料をやって丹精込めて野菜を作っている。
私が嫁いだ頃は。今の私より少し若いくらいの年だったのだが。とにかくエライ。 川仕事のかたわらに畑仕事。休むことが恥じだと思わせるくらいよく働く人だった。
だから当然のように私は戸惑うばかりで。今まで自分が育ってきた環境とは。 まったく別世界に投げ込まれたような違和感を感じずにはいられず。だけど。 それが嫁ぐということなのだろう。そう観念しそう理解するまでずいぶんと。 ながい歳月を要したように思う。いま思いおこせば。懐かしい若き日であった。
「あ!おばあちゃんだ」家の前の路地に。例の手押し車の音が聞こえ始める。 それを追いかけるように。たたったたっと姑の足取りが聞こえて来るのだ。
孫夫婦に呼び止められた姑の。なんともいえない微笑ましい姿。満面の笑顔。 ちえさんが先になって飛び出して行く。「お昼に食べてや」ってお赤飯の折り詰。 それから「おじいさんにもお供えしちょってね」って和菓子の袋を手渡してくれた。
その時のおばあさんの顔ったら。口癖の「夢にぼた餅」そのままだった。 私もすごく嬉しくて。なんだかじわじわっと目頭が熱くなってしまった。 25年も昔に亡くなったおじいさんのことまで。敬老の日してくれるんだ。
息子は大のおじいちゃん子だったけれど。今までここまで気のつくことはなかった。 ちえさんのおかげだなあって。ほんとうにいいひとに巡り逢ったのだなあって。 この縁を心からありがたく思わずにいられない。ちえさんほんとにありがとう。
ふたりは老人介護施設の同僚であった。 ともに老人心理学を学んでいることはさておき。たんなる仕事だと思うことなく。 毎日を「こころ」なくしてどうして尽くせようか。昨日手足をさすったひとが。 明くる日はこときれる。幾度も幾度も容赦なく命の終りを痛く受けとめながら。 これまで頑張って来た。これからもそれを使命のように感じては尽くし続けるだろう。
わたしはふたりを誇りに思う。肉親であることよりもひととしてふたりを労う。
|