無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年12月28日(金) ラーメン・ファイト!/DVD『御先祖様万々歳!』ほか

 仕事は1時間でオフ。
 一応、今日が仕事納めなんだけれど、まだ明後日出勤しなければならないので、休みだって実感がない。
 1時間しかいないから、しげは職場の駐車場で待機。
 そのあとキャナルシティに回って、先日食べ損ねたラーメンスタジアムに初めて行く。

 横浜にもラーメン横丁だか博物館ってのがあるらしいけれど、そっちは街並みを再現してるだけなのかな。
 こちらは全国各地のラーメン屋を集めて、ラーメン日本一を客の投票で決めさせようという、『料理の鉄人』か『包丁人味平』かっていう感じの、ラーメン・アミューズメント(^o^)。
 ホールに入るなり、中央のモニュメントから、若本規夫の濃い声で「日本一のラーメン者は誰だ!」ってアナウンスが流れて来たのにはマジでのけぞった。
 こういうのも地方巡業っていうのかね(^_^;)。それにしても「らーめんじゃ」なんてアホなフレーズ、考えついたの誰なんだ。

 エントリーされてるラーメン屋は以下の通り。
 1,旭川 らーめん山頭火(さんとうか)
  (豚骨と野菜、干魚の白いスープ)
 2,北海道 らーめんむつみ屋
  (豚骨・鶏ガラ・昆布・煮干し・中国野菜(羅漢果))
 3,喜多方 坂内食堂(ばんないしょくどう)
  (豚骨スープに、塩味ベースの醤油)
 4,東京 らーめん香月(かづき)
  (豚骨スープに醤油と味噌)
 5,横浜 六角家(ろっかくや)
  (豚骨と鶏ガラの醤油スープ)
 6,博多 一黒丸(いっこくまる)
  (鹿児島産の黒豚と鶏ガラを煮込んだスープ・極細麺)
 7,宮崎 風来軒本店(ふうらいけんほんてん)
  (豚骨スープ)
 8,熊本 味千拉麺(あじせんらーめん)
  (豚骨スープ・「千味油」)

 あと、ラーメンギャラリー・みやげ館(各種ラーメン・ラーメン関連グッズ・博多名物の販売)ってのも一店舗。
 まさに「ゲーム感覚でラーメンを楽しむ」という、面白いんだか馬鹿げてるんだかよく分らない企画だ。

 開店早々だったが、もう店の前は長蛇の列。
 特に人気なのは、一見したところ、旭川ラーメンと喜多方ラーメンの2軒のようだ。
 10分待ちで入った、しげの目当ての喜多方ラーメン、あっさりしていて美味しい。麺の腰も充分で、細切りの紙を食ってるようなそのへんの九州ラーメンと比べると格段の差。
 具は肉以外にはほとんどなく、本当に麺とスープだけで勝負しているのが自信のほどを伺わせる。これなら確かに列ができるのも納得いくぞ。

 ラーメン食べるのに待ち時間が長かったせいで、映画の時間が中途半端になったので、見るのをやめて帰宅。
 カラダは丁度くたびれ気味だったので、昼寝ができてよかったかも。

 昨日もついに買っちまったDVD『御先祖様万々歳』BOX。
 実はレーザーディスクでも持ってるので、再度買う必要もなかったのだが、つい、オマケの「スペシャルディスク」とやらが気になってしまったのだ。
 これだからオタクはよう。
 一応、目玉なのは鳥海尚之原作、高田明美キャラデザインという、スタッフだけは豪華なインドファンタジー『フルムーン伝説 インドラ』のパイロットフィルムなんだけれど、これがほんの2分ほどしか収録されていない。
 若き日の押井監督の才気が感じられはするものの、いかんせん、インドの神々たちのキャラってのがもう、悲しいくらいに華がない。これじゃ製作にゴーサインが出なかったのも仕方がないねえ、ってな出来なんである。
 DVDのほうが操作はラクだし、買ったこと自体は後悔してないが、もちっと特典つけてくれてもよかったんじゃないかと、ちょっとだけグチが言いたくなったのであった。


 更に凝りもせず買った『チキチキマシン猛レース』BOX。
 初回と最終回を比べると、声優陣が格段にノリノリになっていった様子がよくわかる。
 第一話なんか、野沢那智のナレーション、ただの実況中継だもんね。ブラック魔王の大塚周夫も「するってーと」なんて言わないし。
 しかし、DVD見てたら、一日もあっという間である。

 『名探偵ポワロ』BOX、第一巻から見ようとするが、30分もしないうちに落ちる。なんかふんばりがきかなくなってきたよなあ。

2000年12月28日(木) 初めてタグ使ってみました


2001年12月27日(木) ぷれぜんとってぷれぜんとってそーゆーもんか?/『パンゲアの娘 KUNIE』2巻(ゆうきまさみ)ほか

 今日はちょっと仕事に出るだけ。
 朝寝も出来るし、昼前に早く帰れるしで、いつもこの程度の仕事量だったらラクなんだが。
 天神まで出かけるつもりで、しげに職場まで迎えに来てもらおうと携帯に連絡を入れるけれど、しげのスカポンタンは、昨日、夜更かしでもしてたのか、いくらコールしても起きて来ない。
 これももう、毎度のことなんで、今更、文句を言う気も失せている。
 仕方なく、自宅近くのセブンイレブンまでタクシーで戻って、買い物をして時間をつぶす。
 そこで改めてしげに連絡を入れて、「天神まで出かけないか? 買い物もあるし、メシおごるぞ」と誘うと、ようやく思い腰を上げる気になったよう。
 昨日も似たようなパターンだったような気がするなあ。結局「メシ」「肉」で釣るしかしげを動かす方法はないのかなあ。
 「メシ」の一言で動けるんなら、初めから動かんかいと言いたいが、それができないってことはしげの頭の程度が日光猿軍団なみだってことなんだよな。なんだか、ビル・マーレイにビスケットをあげつづけて、破産しそうになるスティーブ・マーティンの気分である(わかりにくい例えですみません。でも解説はしません)。

 でも、呼び出されたしげ、なんとなく気分が悪そうな顔をしている。
 ありゃ、ホントにコイツ、具合が悪かったのかな、と気後れした時点で、もう、私の負け(-_-;)。
 「買いものって、何を買うの?」
 「DVD、買い損ねがあるんだよ」
 「……また、何買うの……?」
 「……『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』……」
 「……帰っていい?」
 「あ、お前への結婚記念日のプレゼントもあるから!」
 しまったなあ、まだなんにも考えてなかったのになあ。ともかくその場で何か考えつくしかないなあ。
 覚悟を決めて、まずは地下鉄の東比恵駅までしげの車で行く。
 天神まで車で行くのは、今の昼過ぎの時間帯だと、駐車スペースはほとんどない。
 以前、そういう無謀をして懲りた経験があるので、今回は、いったん、駅前の駐車場に車を停めておいて、地下鉄で天神まで出る算段なのである。
 ちょっとお高めの買い物をするなら、銀行でいささか軍資金が必要か、と西日本銀行の前に行くと……。
 あれ? なんか見たような自転車が……。
 うわあ、これ、先週の金曜に買い物に行ったとき、乗って来た自転車だ!
 帰りは自転車に乗って来たこと、すっかり忘れてて、タクシーで帰ってきてたんだった。
 ひい、ふう、みいと、六日もそのまんま。
 一応、鍵はかけてたけど、よく盗まれなかったよなあ。ボロなせいもあるかもしれないけど。
 おカネを卸して、自転車に乗って駐車場まで戻ってくると、しげが目を丸くする。
 「どうしたん! その自転車……」
 「いや、こないだ、乗ってきて、そのまま忘れてた……」
 「いつから!」
 「み、三日くらいかな?」
 ついサバ読んじゃったところが小心者なところである。
 しげも怒るより、私のマヌケを見られて楽しそうにニヤニヤ笑っている。……さっきまで気分悪そうにしてたのはどうなった。
 なんかもう、今日は完全にイニシアチブを取られそうな気配である。


 LIMBでDVDを買って、福家を回ったあと、天神コアのレストランで食事。
 そのあと、三越で、いよいよしげへのブレゼント探し。
 「やっぱ、結婚記念のブレゼントは指輪とかネックレスとかがいいなあ」とかいうので、その手の店を回る。
 「予算はいくらくらい?」
 と聞かれたので、小声で「まあ、5万以内?」と答えたら、しげ、店の中だと言うのに「そんなに!?」と大声をあげる。
 ……コラコラ、そんな声出したら、まるで私がン百万もするダイヤを買うようではないか。
 実際、しげは気がついてないようだったが、店員たちの目が、そのとき一斉にキラリと光ったのだ。
 しげのアクセサリーの感覚って、せいぜい一万円以内だと言うのに(考えてみりゃ、ホントに安い女だよな)。
 もう、店員さんがわざわざカウンターの中から出て来て、「ちょっと身につけてみられませんか?」とネックレスなんかを勧めることったら。
 それがもう、ホントに十万以上ってのばっかり持ってきやがんの。
 ……しげのスタイル見ろよ、三越にジャンパーとジーパンで来る女が、なんでそんなケバケバしい宝石つけるかって。
 腋の下を脂汗が流れるのを感じちゃいたが、表向きニコニコと、「他のもいろいろ見て、じっくり決めようよ」としげに声をかけながら、できるだけこの場を離れるきっかけを作ろうと必死である。
 結局、しげの気に入ったアクセサリーが決まらず、別の店に回ろうということになったが、この間、30分以上、生きた心地がしなかった。
 ……しかし、しげも、たいして買う気も無いくせに、冷やかすだけ冷やかすって、いい根性しとるわ。

 そのあと、年末録画用のビデオテープを買いにビックカメラに流れる。
 ウチの近所の電器屋にはあまり置いていないS−VHSの180分テープを買いこんで帰ろうとしたら、しげがパソコンの液晶ディスプレイの前で、じっと『ルパン三世カリオストロの城』の映像が流れているのを見ている。
 「どうした?」
 声をかけてもしばらくは答えず、ほうっとタメイキをついて、「これいいやろ?」と言う。
 「ああ、キレイだな」
 「……ほしいんよ。新しくパソコンも来たし」
 ちょっと、イヤな予感がした。おもむろに振り向いたしげはあたかも愛玩動物のような目で、一言。
 「買って?」

 というわけで、結婚記念のプレゼントは、KCSの液晶ディスプレイ(4万円ナリ)になったのでした。

 「結婚記念のプレゼントはアクセサリーとかムードのあるものじゃなくちゃ」とかホザイとったのはどこのどいつやああああああ!
 しげの具合もすっかりよくなったみたいだねー。
 ああ、よかったよかった。……なにがだよ。


 帰宅して(当然私は自転車で寒空を帰りました)、しばらくニュースともご無沙汰してたので、何気なくテレビをつけると、池田小学校児童殺傷事件の宅間守被告の初公判の日だった。
 宅間被告、開口一番、「座ったらあかんのか?」とやらかして、裁判長から「立ったまま聞いてなさい」とたしなめられる一幕がある。
 一応、「命をもって償います」とは言っているものの、だるそうに足を組んだりする態度に、マスコミはこぞって「反省の色がない」と怒りの報道。
 けどさ、反省するほどの理性があるんなら、もともとこんな事件、起こしちゃいないんじゃないの? それに、下手に反省されちゃうと、「死刑」に出来なくなったりする可能性もあるから、これは「正しい」行動と考えればいいんじゃないのかね。
 だいたい、遺族は被告が「反省」したら許せるんだろうか。
 どんなに反省したって、自分の幼子を奪われた恨みは消せないのではないだろうか。
 第一、被告が「反省」するためには、拘置所に「隔離」した状態では不可能だろう。遺族の恨み一つ受けない「安全圏」にいたのでは、もともと自分の犯した罪の重さを感じるきっかけ自体、生まれまい。
 弁護士がどんなに弁舌を振るって被告に反省を求めたところで、肝心なところでその言葉には「命の重み」が欠けている部分があるような気がする。努力している弁護士さんには悪いが、所詮は彼らだって遺族とは他人なのだ。
 「さっさと死刑にしてくれへんかなあ」みたいな被告の態度は、まさしくその「命の重み」が伝わっていない証拠だろう。それとも、その被告の「無反応さ」がまさしく精神病によるものならば(詐病説も報道されたが、これだけの事件を起こしてるんだから、そんなに簡単に判断できるもんじゃあるまい)、この事件は、回避することが出来なかった悲しい出来事としか言いようがないんじゃないか。
 報道を聞いていて胸糞が悪くなるのは、「どうしたら宅間被告を死刑にできるのか」という視点がウラに見え隠れしてる点だ。死刑にして終わりって問題じゃないだろうに。遺族のやりきれない思いをどうしたらケアできるのか、こういった事件の再発を防ぐことはできるのか、それを語っていくのが報道の仕事なんじゃないのか。
 マスコミ、もうこの事件を過去のものにしたがっているのである。


 野村佐知代、5000万円払って保釈。
 そんだけの金があるなら脱税すんなよって感じだが、追っかけのレポーターの方がどうにも見ていてイジマシイ。
 「野村ヒコク〜!」なんて言って怒鳴ってるが、こういう悪辣なヤツを憎悪する気持ちって、実は幸せな人間を妬む宅間被告の心情とたいして変わらんのよ。
「ヒトコトお願いします!」なんて、ホントにバカだもんね〜。裁判前に自分が不利になる発言するわけないっての。
 どんなに悪いやつでも、マスコミ報道を通してみるとみんな被害者に見えてくるからなあ。本当にその罪を償わせたいと考えてるんなら、そんな事件を「面白がる」報道なんかするな。事件を陰で笑って楽しむのは、居酒屋の酔客と“裏”モノの仕事なんだってば。


 アメリカ、ニューメキシコ州の教会で、『ハリー・ポッター』シリーズが焚書にあったとか。
 理由は「若い読者が魔術に興味を持つから」ということだったが、やっぱり宗教関係者にイカレたやつが多いのは、洋の東西を問わないようである。


 マンガ、ゆうきまさみ『パンゲアの娘 KUNIE』2巻(小学館・410円)。
 『廃棄物13号』以来のゆうきさんの怪獣ものってことになるのかな、これは。
 なんだかベムラーを細長くしたような怪獣が出て来たけれど、船を通り抜けてしまったってことは、これももしかしたら「残留思念」なのかね?(^o^)
 考えてみたら、「怪獣が実は思念体」ってのは「イドの怪物」あたりがルーツで、いい加減使い古されちゃってるから、それを『ゴジラ』に持ってきてるってことだけで、なんかゲンナリしちゃったのだな、私は。同じネタなら、たがみよしひさの『滅日』のほうが、ずっと面白いよ。あれも『デビルマン』が相当入ってるけど。
 ゆうきさんのホームページ、『逃げちゃダメかな?』もここ一月以上、全然更新されてないんだけけれど、先月のスケッチブックのコーナーで、今度の新作パトレイバーについて、「押井版とは違うよ」ととの但し書き付きで中身を簡単に紹介している。 
 「まんが版の『廃棄物13号』は“ウルトラシリーズ”の味わい入れてみましたが、映画『WXIII』は“怪奇大作戦”になっていて、まんがよりだいぶ怖い。ちなみに僕はどっちの味わいも好きですが、『パトレイバー』のファンが映画観たらやっぱ怒るかなぁ、とちょっと不安。良い映画にはなってると思うので、公開時には押井守脚本、プロダクションIG制作のフルデジタルアニメ『ミニパト』(かなり面白いらしい)との併映になりますから、こっち目当てにしてでも劇場に来てくれると嬉しいです。」
 もちろん行きますけどね。
 私は押井演出のパトもそうでないパトも両方とも好きなんだが、どちらにより親近感を抱くかと言ったら、やっぱり押井版になっちゃうのだなあ。それは、押井さんが海出した帆場英一と、ゆうきさんの内海課長という、二人の悪役キャラの違いを見てもそうと言える。内海さんも好きだけど、犯罪者としては詰めが甘いんだよな、性格は所詮子供だし。なにしろマンガ版は後藤隊長と帆場が知らずにタッグ組んでたようなものだから、内海さん程度じゃ敵うわきゃなかったのだ。
 『パト1』が好きなのは、後藤さんの「所詮負け戦」みたいな発言がズンと来るからなんだよな。
 こう言っちゃなんだけど、ゆうきさん、ホントに才能を出しきって作品描けたことってまだないんじゃないかと思う。だって、『パト』はやっぱ「ヘッドギア」って枷の中でしか描いてないし。どうしても押井守の影に隠れて、ゆうきさんの姿ってのが映像からは見えて来ないのよ。
 『廃棄物13号』は、パトシリーズの中でも異質だったし、ゆうきさんテイストは随分あったけれど、果たして単体の物語として面白かったと言えるかどうか。特車二課の面々を背後に回して作られた今度の新作が、とり・みき脚本、高山文彦監督の手を入れてどの程度のものに仕上がるか、そこからゆうきさんの資質も改めて浮かびあがって見えてくるんじゃないかと思うんである。
 そういうわけで、今度の映画は奇しくも、押井・ゆうき対決みたいな感じになってると思う。来年の期待したいアニメ映画、あまり多くはないんだけれど、やっぱり『パト3』に期待しちゃうのだ。
 ……『KUNIE』の感想がほとんどないな(^_^;)。


 マンガ、夏目義徳『トガリ』6巻(小学館・410円)。
 連載は既に巻末ボロページガ定位置になってて、おそらく余命いくばくもなかろう『トガリ』。それでも6巻以上になりそうなのは頑張ったほうかなあ。
 絵もだいぶ上手くなって来たのに、もう一つ「洗練」って言葉からは離れてるしなあ。
 前巻から登場の“ex”、ようやくメンバーの一人を倒しただけだから、本当ならもう4、5巻は続いてもいい感じなんだけど、せいぜいあと2巻ってとこかもしれない。
 持ち出してきたテーマが新人のマンガ家には重すぎる、ということはあったのかもしれない。単純なヒーローものにしたくなくて、「悪をもって悪を切る」設定を考えたのはいいけれど、おかげで、トウベエがいつきを助けるのにも「他人を守ろうとしてではなく、自分にとって気にいらなかっただけ」と、苦しい説明をせざるをえなくなってるし。
 でも、どこかで、「愛」で「トガリ」を使えるようになるって形に上手く切り替えられないと、まとまりがつけられなくなるんじゃないかなあ。 

2000年12月27日(水) やっぱり今日も眠い/『富士山 第4号』(さくらももこ)ほか


2001年12月26日(水) イベント近し、ネタは無し/『これで古典がよくわかる』(橋本治)/『だめんず・うぉ〜か〜』2巻(倉田真由美)ほか

 最近、気づいたことだけれど、私の寝つきのよさってのは、もしかしたら「睡眠」を取ってるんじゃなくて、「失神」してるんじゃなかろうか。
 なにしろ、寝ても疲れが取れないことがすごく多いんである。仕事の量はそうキツクないはずなのに、1時間ごとに休憩を取らないと、体がズンズン重くなるんである。食い過ぎ、という説もあるが、意外と体重は増えていない。それでも尿糖はしっかり出る。食わなきゃ眩暈がするし、食えばダルくなるし、どうすりゃいいんだ。
 目覚まし時計がなったのに、今朝は全く気がつかなかった。
 ……昨日は帰宅してからもちょっと寝たし、12時には布団に入ってたぞ。
 寝不足のせいではないので、なぜ起きられなかったのか、原因が解らない。
 おかげで今日は早出の日だったのに、遅刻。
 カラダがダルくて休むってことはしょっちゅうあったけれど、目覚めもしないなんてことはほとんどなかったのになあ。
 やっぱり心労が続いてるのかなあ。


 仕事が細々ながら続いているので、どうも年末だって感じがしない。
 それどころか、私の誕生日と、大晦日の結婚記念日も控えているのに、何か準備をしなきゃならない実感が湧かないんである。
 しげはしげで、10周年だから「スイートテンダイヤモンドがほしい」なんてフザケタことを言ってやがる。
 もちろん、実利主義のしげは、そんな換金しても元値の半分にもなりやしないものを本気でほしいなんて思ってるわけじゃないのだ。ホントに買ってやったら嬉しいことは嬉しいけれど、扱いに困ると自分でも承知している。
 なのに「ほしいなあ」、なんて臆面もなく言いやがるところが性格の悪いところだ。
 「ほしいものはあるしぃ、下手にほしくもないもの勝手に買われるとイヤなんだけれどぉ、これがほしいなってのを買ってもらうんじゃツマンナイからぁ、これがイイってのをなんとなくアンタが察してプレゼントしてくれてぇ、ビックリさせてくれるのがいいの」
 要するに、モノはほしいが、ちゃんとイベントに相応しい状況を作れ、と言いたいらしい。……この、結婚記念日は男がお膳立てするもの、という甘えが、しげの「オンナオンナ」してるとこなんだよなあ。日頃、ベタベタした女を嫌うようなこと言ってる癖して、どうしてこう自分に都合のいいときだけ女であることを振り回すかな。たまには、「お互いを祝う」という発想はできんのか。
 プレゼントなんて、なんだっていいじゃん。なのに、昔、図書券をやったら「こんなのはプレゼントじゃない!」って文句つけやがったしなあ。もう、結婚して十年も経てば贈り物のネタなんてないってば。
 ……『素敵な奥さん』でも贈ってやろうか。


 仕事を終えて、しげに連絡すると「キツイ、一人で帰って」。
 またかよ、と思いつつ、タクシーを拾って帰る。あれだけ毎日寝てて、どうしてカラダがキツイのか理解に苦しむよなあ。
 近所のジョイフルまで来て、もうそろそろしげも目覚めたかなと思って、もう一度電話して晩飯に誘う。安いのが取り柄で、味はまあ二の次って感じのジョイフルだけれど、私はそう嫌いではない。値段が高いワリにたいして味に拘ってない最近の中洲近辺の屋台に比べりゃ、よっぽど良心的ってもんだ。
 カルビキムチと豚の角煮を頼んでしげを待つが、すぐ近所なのに、10分、20分待っても全く来る気配がない。
 角煮はしげのために取っておいたのだが、いい加減来る気をなくしたのかと、一つつまんだところで、やっと来る。自分のものが手に入らなくなりそうだとすかさず現れるというのは、全くイヤラシイくらいに嗅覚の働くやつだ。
 「なんだ、もう食べてるんなら帰るよ」
 ……遅れて来ておいて、この言い草だもんなあ。ここで「じゃあ帰ろう」なんて言った日には、あとで「メシ食い損なった」「腹減った」とブチブチ文句を言うに決まってるのだ。
 「まだ注文するから、座ってなんか頼めよ」
 そう言って、仕方なくカレーライスを注文する。別に私はしげが食べ終わるのを待ってたって構わないのに。
 ……ああ、これでまた太るの? 私……(ToT)。


 アニメ『ヒカルの碁』第十二局「三将はお前だ」。
 今年最後のアニメ『ヒカ碁』、どのへんで区切れるかと思ったら、囲碁大会の直前。盛り上げるためにはもう少し先に進んで、アキラとの対決あたりまで行っておいた方がよかったような気もするけれど、話がダイジェストになっちゃうのもなんだから、まあ、無難なところかな。
 今回の目玉はなんと言っても、桑原本因坊の声を誰がやるのかってことだったけど、まさか、納谷六朗さんとはねえ……。
 悟朗さんならともかく、これはちょっとミス・キャストなんじゃないの?
 いや、六朗さんが嫌いってんじゃなくて、声が若すぎる(ホントはいいトシなんだけどね)。この手のジイさん声だと、もう、故・宮内幸平か永井一郎か八奈見乗児と相場が決まってたから、ちょっと目先を変えたのかもしれないけれど、1回だけの登場ならともかく、今後も出演するんだしなあ。
 ああ、こうなると倉田六段にもどんな声の人があたるのか、ちょっと心配になってきたぞ。私の心の中ではもうアレは林家こぶ平以外の声は思いつかないんだが(^^)。


 DVD『三大怪獣 地球最大の決戦』再見。
 若林映子のコメンタリーつきで見る。一時期、死亡説も出たくらい若林さん、世間に露出してなかったから、今もなお艶やかで若々しい声を聞くと、うれしくなってくる。
 若林さんが「金星人」を演じてたときのあの浮浪者風の衣装、あれはご本人の普段着だそうである。沢村いき雄から奪ったんじゃなかったのか(^o^)。しかし、女優さんが普段から着飾ってるわけじゃないって雰囲気がよかったんだよなあ。思えらく、スターが必ずしもスターっぽくないところが、サラリーマン喜劇でも鳴らした東宝のいいとこだったと思うんである。
 ラストの夏木陽介の記者と、若林さんの王女との別れの演出が、『ローマの休日』っぽいことは見た人ならすぐに気がつくところだけれど、あれは、本多猪四郎監督自らの指示だったんだなあ。関沢新一の脚本にもともとありはするのだけれど、若林さんが『ローマの休日』のファンなので、サービス的に行った演出らしい。
 記憶を喪失していたはずなのに、「あなたに助けられたことだけは覚えています」ってのは、こりゃいろいろラストを締めくくるのに結構使えるよなあ。……実は既に形を変えて自分の脚本の中で使ってんだけれど(^_^;)。すみません、前回のウチの芝居の『鴉』のラストは、『三代怪獣』のモジリです。気がついたやつがどれだけいるか(いね〜って)。
 もう、二人の距離は離れているはずなのに、ほんの一瞬だけ交錯する……って、これ、子供向け映画の演出じゃないよなあ。だったらどうして「みんなでキングギドラをやっつけましょう」なんてアホなこともやっちゃうのか(-_-;)。
 ギドラが後半ですっかり弱っちくなっちゃうのが、なんとも残念でならんよなあ。

 いろいろ興味深い話は多かったんだけれど、俳優さんの思い出話は、撮影の苦労は語れても、特撮の現場を知らないことも多い。
 だから、若林さんが、インタビュアーに「キングギドラは首と羽とシッポと、全部操演だったんですよ」と説明されて、「そうだったんですか?」と40年ぶりくらいにビックリしてるってのが、ちょっともの淋しい。
 当時の俳優さん、特撮ってものに対して、偏見とまではいかないんだろうけれど、さほど興味がなかったんだなあということがわかっちゃうんで。
 かと言って、わかりすぎるくらいわかってる京本政樹みたいなのも困りもんなんだけれど(^_^;)。

 しかし、DVDのおかげで画質がよくなるってのも考えもんなんだよなあ。
 もう、背景の空が書割りなのがバレバレだし、ピアノ線はおろか、キングギドラのウロコが剥がれてるのが見えたりするし。
 それでも新作のキングギドラより巨大感もあるしよく動いてるってのがどうもねえ。


 橋本治『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫・714円)。
 タイトルがいかにも学習参考書みたいで全然キャッチーじゃないんだが(この「キャッチー」って言葉ももう死語かな)、更に「ちくま文庫」じゃ、いったい誰が手に取るんだか。
 「知識なんていらない、古典は『体』で覚えろ」という橋本さんの意見は痛快だし、さすがは『桃尻語訳 枕草子』を出しただけの人ではあるなあとは思う(もっとも後の『徒然草』と『源氏』と『平家』はつまんなかったけど)。
 ただねえ、「古典に出会わないままの人に古典の面白さを伝えたくってこの本を書いた」という橋本さんの気持ち、それはイタイほどわかるんだけど、結局この本を手に取るやつって、「黙ってたっていずれ古典に触れる」人間なんだよね。橋本さんが本来ターゲットにしたい「古典から遠い現代人」は、賭けてもいいけど、絶対にこんな本は手に取らない。
 実際に手にさえ取ってみれば、「平安時代の人間は漢文が読めなくて、竹のペンで振りガナを字の横ちょに書きこんでいた」とか、「兼好法師は文章を書き損じても紙を反古にするのがもったいないから、そのまま書いていた」とか、「なんだ、昔の人も別にエラクないじゃん」的な一行知識がてんこもりで面白いんだけれど、やっぱり「古典に遠い」人は読んだりしないのだ。
 それは、実はその人が「古典に遠い」んじゃなくて、もともと「勉強に遠い」人なんだよね。で、実は学校なんかで成績優秀で、バリバリ勉強してるように見える人たちだって、基本的には「勉強に遠い」人間なのよ。

 どういうことかっていうと、実のところ現代の日本で、とりあえず社会生活を送ろうと思ったとき、「これだけは必要」って知識が皆無になっちゃってるって状況があるのだね。
 「そんなことない、漢字の読み書きくらいは必要だ」
 「基礎的な算数くらいはできないと、おカネの計算一つにしても困るじゃないか」
 そう反論する人もいるだろうが、でも現実に「漢字が読めなくても」「算数ができなくても」暮らしてる人はゴマンといるので、この意見は成り立たない。そう思ってるのは「最低限の教養は必要」って幻想にとらわれてるだけなんだってば。
 もちろん、「完全に無教養」なんて人間もそうそういはしないから、現実には「教養に偏りのある」人間が寄り集まって、それぞれの知識を補完しあってこの社会は成り立っている。
 例えば、学校というシステムを考えて見ればそれは実に明確になるんであって、国語の先生は過去の古典にも通じ、現代文学もたくさん読破して、いかにも知識の権化みたいな顔をして授業をしている。けれど、英語は中一程度の知識もなかったり、因数分解もできないなんてやつらはゴロゴロいる。あるいは、ムツカシイ数式をいとも簡単に解ける数学教師が、初歩的な漢字も書けない、なんてことはよくあるのだ。
 だから、「数学できんとが、なんで悪いとや」という言い訳が全ての教養について言えたりするのだ。「国語ができんだって、英語ができんだって、歴史を知らんでも人間の価値とは関係なかろうもん」と開き直れるのよ、今ではね。
 世間は「あの教養もこの教養も」と、情報だけは提供してくれるが、実はそのほとんどのものを全て捨て去っても、生きて行けたりはする。で、要領よく、一部の知識だけを活用していけるやつは、脳みそがパーでも高学歴ってことになったりもするのだ。
 ……ご近所に、野球と女の会話だけで世渡りしてるようなやつ、いないかい? で、そいつの学歴聞いたら、ウソだろオイっていうくらい、偏差値高いとこだったりするんだよ。

 『桃尻語訳 枕草子』が出たとき、やはり賛否両論が巻き起こった。
 「否」について一言でいえば、「不謹慎」ってとこかな、笑っちゃうけど。
 この本でも、そのときの騒動の憤懣のあとがチラホラと文中に現れていて、「学校の先生はこの訳にマルをつけないかもしれないけれど、間違いではありません」と言い切っている。
 そりゃそうだ、「春は曙」を「春って曙よ!」と訳して、どこが誤訳になるのかね? たいていの国語教師は「この下には『をかし』が省略されているので、『(が趣深い)』を補わねばならない」とか言うのよ。
 ……趣深い、なんて日本語、日常で使ってる人、手をあげてみい。
 結局、従来のアカデミズムが、古典の世界を象牙の塔にしてしまっており、それは古典に限らず、全ての学問・教養の分野で普遍的に行われている、というのが現状であるのだ。

 この日記を読んでくれてる人のなかには、「古典に遠い」人も結構いると思いますが、「じゃあ一つ、『源氏物語』でも読んでみようかな」って人はいますかね?
 古典を理解する方法って、橋本さんもこの本の中で言ってるけど、「暗記して慣れろ」。これしかないんだよね。外国語を学ぶのと同じ。文法なんか実はどうでもいいんで、そんな「本文理解」には対して意味のないことを学校では一所懸命覚えさせようとするから、古典がどんどんわかんなくなる。
 「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 『源氏物語』の冒頭で、人によっては何十回読んだってわかんね〜、と言うかも知れないけれど、他の部分もともかく読んでいくうちに、言葉と言葉の連関性が見えてくるようになるのね。
 例えばこの中にある「やむごとなき」って言葉が、ある一部の人々の形容詞としてしか使われてない、と気付けば、これが「気高くて近寄りがたくて、そのお方のご威光が子々孫々まで伝えられそうなくらいウットリさせられる」って意味だって気付いてくるのよ。
 ここまで詳しい訳は、辞書にもそうそう載ってないが、間違いじゃありません。「あてなり」って言葉にも「高貴だ」って意味はあるけど、明らかに「やむことなし」とは意味合いが違うもの。「止む・こと・なし」でしょ? 何が「止まることがないのか」って考えれば、その意味は辞書なんか引かなくても見えてくるよ。
 古典の楽しさってのは、こんなふうに「自分で語釈できる」ってとこにあるんだから。

 でも実はその楽しさって、ムチャクチャ苦労がいるのね。
 つまり、本来、『ターヘル・アナトミア』を前野良沢たちが訳したのと同じくらいの苦しさを必要とするわけで、これだけ情報が氾濫してて、他にも身につけなければならない教養がゴマンとあるのだ、とみんながてんでに思いこんでいる中で、そんなことに時間を割ける人間がどれだけいるかって。
 古典なんか知らなくても生きて行ける現状の中で、あえて古典を読む人間なんて、「苦労してでも古典が好き」って人しかいるわけないじゃん。
 まあ、古典を身近なものにしようと思ったら、あれだね、文書を書くときには言文一致をやめて全て旧かな遣い、及び古語で書くようにする、とかでもしない限り、ムリな話だね。そうすりゃ、みんな「必要なこと」だから、必死で古語を覚えようとする。
 ……マンガのセリフが全部古語になったら面白い気もするが、それじゃ、全員が『キテレツ大百科』のコロ助になっちまうな(^^)。


 マンガ、倉田真由美『だめんず・うぉ〜か〜』2巻(扶桑社・900円)。
 あらら、くらたまさん、離婚されてしまったようだね。
 ホームページのマンガには、「旦那さんの匂いを嗅ぐのが好き」とか「どんなにだめんずを渡り歩いても最後にいい男ゲットしたら勝ち」とか描いてたけれど、やっぱり旦那さんも「だめんず」だったってことなのかな。
 どういうわけだか「才能がないマンガ家」と叩かれることの多いくらたまさんだが、絵が下手だとか、取材の切り口が甘いだとか、その程度のことで叩かれるってのがちょいと解せない。
 結局それは表向きのことであって、実のところ「くらたま本人の性格がキライ」「なのに売れてるからもっとキライ」って、やっかみじゃないかな。
 何だか、小林よしのりが昔『ゴー宣』で、さくらももこの『いきもの図鑑』について、「あんな足で書きなぐったみたいなの」とかなんとか批判してたのと意識構造は似てる気がするなあ。

 ちょっとこれは、一部の女性には嫌われる言い方になるかもしれないけれど、ダメな男が選ぶ女ってのは、やっぱりダメな女なんだよね(^_^;)。
 完全にイイ男、なんてのはいないわけだから、私の「ダメな男」パーツの脳細胞でもって言えばね、「はたらかないで女に貢がせたい」って願望はどの男にもあるんですよ。
 じゃあ、どんな女ならイイかっていうと、「乱暴しても良心の呵責を感じないでいられる女」、つまりは「バカ」な女ってことになるのね。
 で、この「バカ女」の幅って、実はすごく広い。
 「生意気な女」
 「男に媚びる女」
 「嫉妬深い女」
 「自意識過剰な女」
 「恥知らずな女」
 「夢見てる女」
 「男を品定めする女」
 「男に理想を求める女」
 「男に優しくされたがってる女」
 「男の暴力に耐える女」
 「他の女の悪口を言う女」
 「自分が美人だと思ってる女」
 「自分がブスだと思ってる女」
 「コンプレックスのある女」
 「コンプレックスのない女」
 みんな、男から見たら「バカ女」です。……これじゃ女が全部はいっちゃうじゃんって思うかもしれないけれど、実はたった一つだけ、この「バカ女」の範疇に入らないパターンがあるのね。
 それは何かと言うと、「女神」なんです。
 あの、藤島康介の『ああっ女神さまっ』のイメージで充分です。
 つまりは、もう、男の全てを包み込んでくれながらあくまで気高く、完璧過ぎて、近寄りがたい女。
 そんなやつぁいねえ、と言われそうだけれども、実はごくごく稀にいます。実に自然体に女神様を演じてる女性が(^o^)。……そう、結局は演技なんですけどね、男を手玉に取ってるって自覚をおくびにも出さない完璧な演技者、ここまでくれば芸術じゃないかってくらい、悪意の全く感じられないピュアな微笑み一つで男どものハートを射抜いてしまうレディーってのはいるのですよ。
 イイ男を掴むってのは、「だめんず」を振り落とすってことなんで、「ああ、あんなスバラシイ素敵な人が、オレなんかを相手にしてくれるわけがない」と男に思わせるくらい、自分のレベルを高めないと、本当のイイ男はつかまらないのよ。
 で、イイ男なんてそうそういないから、女神さまは大抵独身のままです(^^)。
 だからまあ、女神様になれるはずもない、たいていの女性はダメ男に引っかかる仕組みになってる。だって、男が女に言い寄るってこと自体、「この女を自由にできる」って思ってるってことだし、それはその男の「だめんず」機能が働いてるってことなんだから。
 多少の「ダメ」を許すくらいの気概がなきゃ、ドツボのようなだめんずに引っかかるばかりなんで、くらたまさん、見事にこのパターンにハマっちゃってるんだよねえ。
 でも、いくらくらたまさんが「軽く扱ってよさそうな女」であっても、ホントに「軽く扱っていい」わけじゃない。やっぱり男の方に最終的には非があるとは思うけれど、バツイチで子持ちじゃ、「遊んで適当なところで捨てよう」って男が近寄ってくることは少なくなるだろうし、ムチャクチャひどいだめんずに引っかかることはなくなるんじゃないかな。
 いやまあ、私がくらたまさんの行く末を心配しても仕方ないかもしれないけれど。

 それにしても巻末のデビュー前マンガ、これは相当イタかろうなあ。
 10代の女の子がどれだけ現実を見てないかってことの証明みたいなもんだからなあ。なんかもう、モロにどこかで見たような絵だし。
 こりゃ、「だめんず」の餌食になってくれと自分からアミん中に飛び込んでるようなもんだよなあ。

2000年12月26日(火) 明日こそは眠るぞ/『ひっち&GO!!』1巻(永野のりこ)ほか


2001年12月25日(火) 怪獣道なんてないよ/『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫)ほか

 朝というか、未明の頃、目を覚ましたら、しげがまだ帰宅していない。
 さて、さすがにどうしたのだと思って携帯に連絡を入れてみると、なんとまだリンガーハットにいる。
 「勤務時間は終わったんじゃないのか?」
 「ああ、なんか居残って話しこんじゃって……。もうすぐ帰るよ」
 夕べは職場で一晩明かしたらしい。
 こういうときに私は「あっそ」で済ましてしまうので、しげから「妻の身は心配じゃないのか」とか愛情を疑われてしまうんだけれども、だったらちゃんと連絡を入れて「遅くなるよ」と言えばいいのである。
 オトナなんだから、いちいち心配してもらえるなんて甘えちゃいかんがね。

 連休のあとの仕事くらい、やる気の出ないものはない。
 つーか、なんだか集中力が続かない。
 一通り年末の仕事は片付けちゃって、取りたてて慌てなきゃならない仕事がないせいかもしれない。
 けど、なんとなく意識は茫洋、何か喋ってるんだけれど、その自分で喋ってるセリフを片端から忘れていってる。単に寝惚けてる状態なのかもしれないけれど、ちょっと自分でもヤバイ状態だなと言うことがわかる。
 風邪にしちゃ熱はないしなあ、どうしてかなあ、と思ってたら、土曜日、医者に行かなきゃならんのを忘れていたことに気付いた(おいおい)。
 な〜んだ、薬が切れてたせいか。
 ……じゃないよな。ってことはこのなんともだるーい状態のままでこの年の瀬をすごさにゃならんということか。
 映画に行ってたりしてる場合じゃなかったよなあ……って仮に医者行きがあったことを思い出してたとしても映画にも行ってたろうけど。
 年末は病院も休みなので、次の通院は年明け。薬が少しは残っちゃいるので、それまでちびちび飲みながらなんとか持たせて行くしかないか。


 『キネマ旬報』1月上旬号を何気なく開くと、金子修介監督が、『“怪獣映画”監督の仕事』と題したエッセイを寄せている。
 円谷英二のムック本で、唐沢俊一さんが「金子監督は『ガメラ1』のときに、ガメラを回転させて飛ばせることに最後まで納得できなかったらしい」と伝聞をもとに批評したことについて、「監督が最後まで納得しないで映画を撮るなんてことはあり得ない」と反論している。
 この「回転ジェット」についてのやりとりは、多分、お二方の単純な誤解と行き違いだと思うし、金子監督が「企画段階で回転ジェットはリアルじゃないと思っていただけ」という主張するなら、それはそれで問題は終わりなのだが、気になったのは、そのエッセイのラストの部分。
 「僕が怪獣映画ジャンルを否定? この人(注・唐沢俊一さんのこと)の説く怪獣映画『道』という閉鎖空間から外れているからなんだろう。怪獣映画への道は険しいもんだね」
 ……皮肉か揶揄のつもりなのか知らないが、「大人気ない書き方だなあ」というのが第一印象だった。更に言えば、「怪獣映画監督」と自分を認識しているんなら、こんな下卑たモノイイはしてほしくなかったなあ、というのが正直な感想。
 もはや万人が納得する『ゴジラ』なんてものはありえない、ということは解りきっているのだ。だから今回の私から見れば「何それ?」的なゴジラだって、「世間の評判もまあまあらしいし、ずいぶんみんな心が広いなあ、それもありなのかなあ」と、映画の存在自体を否定しようとまでは思っちゃいなかった。
 それを、こんな「私の考える怪獣『道』の方が正統」(もともと「道」なんて言葉を唐沢さんは使ってない。これこそ金子監督の「曲解」だろう。言い替えれば、金子監督にはハッキリと自分の考える「道」がある、と主張したいのだと受け取れる)みたいな書き方をされると、これまで『ガメラ』シリーズを支持し、『ゴジラ』にも称賛を寄せて来ていた怪獣ファンたちの思いをかえって裏切ることにはなりはしないだろうか。

 だからやっぱり私は、今回の『ゴジラ』については、もうちょっと厳しい目で見る必要があるんじゃないかと思うんである。ちょっとばかし今までの『ゴジラ』より出来がいいからといって、妙にチヤホヤ持ち上げたりせず、「でもお前、そこんとこは考え方おかしいよ」っていうことは、ファンだからこそ、ちゃんと言っとかなきゃいけないことだと思うんだけど。
 ……なんだか、「どうしてみんなここまで『ゴジラ』を誉めるのか、という心理分析をするのも面白いかもなあ。

 勢いでオタアミ会議室にも同様の意見を書きこんで、そのあと、昨日の『世界まる見えスペシャル』で紹介されたという、22歳の金髪コスプレ娘「フランチェスカ」さんのサイトを覗く。
 みなさん、「やっぱ外人女のコスプレは違うわ」と垂涎の御様子だったが、所詮はモデルとは比較にならないシロウト娘、たしかに美人ではあるし、チチはでかいが、いかんせん、ウエストのクビレがない。
 更によく未ると、顔もちょっと二重顎、今後は太っていくことが明らかに予測できる。
 ううむ、この程度で萌えてしまうというのは、やはり今のオタクたち、ゴジラの件もそうだけれど、審美眼のハードル、えらく低い基準に見積もって、自分を慰めてないだろうか。
 スタージョンの法則にもある通り、「SFの90%はクズ」は全ての対象に汎用できるのである。
 だから、「『ゴジラ』の90%はクズ」だし、女性コスプレイヤーの90%は……
あわわわわ(^_^;)。


 神坂一『スレイヤーズすぺしゃる18 跡継騒動 森林レンジャー』(富士見ファンタジア文庫・504円)。
 もうスペシャルの方が本編みたいになっちゃってる『スレイヤーズ』シリーズだけれど、今回の劇場版ではついにナーガとアメリアが出会いか? みたいな雰囲気作っといて肩透かし、原作の方もナーガの出番がめっきり減っている。
 どーせ「おーほほほ!」と笑ってノされるしかないキャラなんだから、いい加減でアメリアと姉妹再会を果たさせて、盛り上げてほしいもんだが。
 ファンにはもうバレバレなんだし、18巻も引くネタじゃねーだろう。

 今巻の目玉は、ゼルガディスの活躍を描いた外伝、『ゼルガディス隴月草紙』ということになってるけど、ゼル自体はあまりギャグキャラにはできないから、必然的に回りをエキセントリックにするしかない。結果的に、ちょっとバランスの悪い作品になった印象。……ゼルが人間に戻るエピソードもいい加減で書いてやれよ。第3部のネタはないとか言ってないでさ。


 岡田斗司夫『30独身女、どうよ!?』(現代書林・1470円)。
 岡田斗司夫『恋愛の取説(トリセツ)』(現代書林・1260円)。
 ピンク色のタイトルロゴに、黄色いウサギのイラストという、40既婚男が手に取るにはちょっと躊躇するような表紙なんだけれど、「恥」という言葉はとうの昔に捨てているので気にせず買う。
 そして表紙をめくればアアラフシギ、まるで文学全集のようなニセの表紙が現れて……。
 よく見りゃオビに「友だち(30独身女)に見られても大丈夫! カバーを取るとニセ表紙が!」だって。
 ううむ、やっぱり「30過ぎても独身」ってのは女性の中では相当トラウマなのかもなあ。

 前作『フロン』は各方面でいろいろ話題になったようである。
 もちろん批判も多々あった。
 ネット上の書評を見てみると、代表的な意見は、「結婚が女性の幸せに繋がらないってのはわかるけれど、私は岡田さんの言うようなn対nの関係なんて作れない」とか、「私は結婚してるけど、別に不幸じゃないから関係ない」とか、「自分は岡田さんのパターンには当てはまらない」って言ってるものが多かった。
 こういうのは「私はカネ持ちだから貧乏人の苦労は分らない」と言ってるのと同じで、批判としてはちょっとピント外れなんだけれど、こういう意見が出て来るってこと自体、「30独身女問題」が結構深刻なんだなあと感じさせてくれる傍証になる。
 「やっぱ、30過ぎて女が独身でいるなんて、ちょっと問題あるよね」と思ってる連中が世間にゃゴマンといるってことなんだよなあ。しげがこの本を読んでひとこと、「家事とか子育てに縛られるとか、そういう結婚しなきゃいいんじゃん」と言いやがったが、おりゃあ別に「家事しなくていいよ」なんて言った覚えはね〜ぞ。オマエが勝手に自分の生活ラクにしてるだけだろうが。しかも、そのことに全く良心の呵責感じてないし(-_-;)。
 しげが言ってるのは「オトコの寄生虫になる結婚すればいいじゃん」と言ってるんであって、「結婚に意義を見出そう」というマトモな感覚があれば、そんな人間としてのプライド捨てたような結婚はできない。問題なのは、その「結婚の意義」ってのが十年一日「良妻賢母」以外のものが提示されてないってとこにあるのだ。
 この本が対象としているのは、実のところ結婚している、していないに関わらず、そういった「女の幸せは結婚」という精神的呪縛にとらわれている女性たちになのであって、最初から結婚の呪縛にとらわれてないしげなんかは対象外なんである。

 夢を捨てきれない女の人たちのために、長々と岡田さんは一冊丸ごと使って説明しているけれど、要は「結婚」以外に女性が生きていく方法があればいいのだ。結論は「独身でいいじゃん」ってことになるんだが、さて、こう思いきれる女性がどれだけいるだろうか。
 だってねえ、やっぱ女ってズルイのよ。
 オトコとつるむことが「チヤホヤしてもらえる」「タダでメシ食わしてもらえる」ことだと思ってるから。
 岡田さんは今回もまたオブラートに包むように包むように「恋愛を特別な日だけ食べるケーキなんて思っちゃダメ」なんて優しい言い方してるし、「30独身女はオトナ」とおだてちゃいるけど、ウラを返せば、「30過ぎて独身でいることに開き直れない女はバカでガキ」ってことでもあるんだからな。

 これからの時代、岡田さんの言うように、旧弊なモラルが徐々に解体されていくかどうか、それこそ「n対n恋愛」を実践する女性たちが社会の中枢に陣取るようにならないと、そうそう実現するものでもなかろうが、モラリストが往々にして差別的になることを考えると、そうなってほしいなあとは思う。
 ただオトコである私がそれ言うと、すぐに「つまりアンタも浮気したいからだろう」ってバカが言い出すのがヤなんだよなあ。岡田さんも『フロン』で「男に都合のいい論理」とトンチンカンな批判されてたし。
 あのね、たとえ世間が「n対n恋愛」を実践しようが、私ゃ別にその流れに乗るように、複数の女性と付き合おうとは思ってないのよ。それは、モラルがどうとかいうんじゃなくて、私としげとの関係が初めから1対1で成り立ってるからなんであって、それを解体しなければならない事情が現時点で発生していない以上、周囲がどうあれ、ウチは関係ないの。でもそれは「n対n」を否定しているわけでもないのね。
 つまり、力説するほどもなく当たり前のことなんだけれど、恋愛も結婚も「人それぞれ」ってことなんで、「ウチは岡田さんの例に当てはまらないから、岡田さんの言ってることは間違い」ってことにはならんのよ。例外で概論を図ってはならないってのは論理学の基本なんだが、そんなこともわからんバカ批評が多すぎるんだよなあ。

 明らかに、現代の日本において、「30独身女」問題はあるのであって、その問題自体から目を逸らした批判は、批判としての意味を持ち得ない。岡田さんの主張に対して反論するんなら、「結婚」以外の選択肢で、岡田さんの「n対n」案を上回るものを考えた上で、明確に提示しないと反論として成り立たないんだけどね。
 でも、どんな具体案を出したところで、結論は「独身でいいじゃん」に落ち付くと思うけどなあ。

 ウチの劇団にも誰とは言わんが30独身女になっちゃいそうな御仁はおられる。決して「結婚できない」タイプじゃなくて、結婚したら結婚したで「ステキな主婦」にだってなれそうなんだが、なぜか真っ直ぐな人生を歩んでおられる(^_^;)。で、彼女にどんな言葉が贈れるかっていうと、やっぱり「そのまま行ってよし!」なんである。

 直接本の内容と関係はないが、気がついたことが一つ。
 私は決して女性にモテるタイプではないが、昔っからなんか知らんが、女の子に「相談」を受けることは多かった。たいていは「恋愛相談」なんだけれど、なんで寄りによってオレ? と疑問に思っていたのだ(正直な話、私の恋愛経験はそう多くない)。
 でも、岡田さんの「女の子の相談はオカマになって聞く」ってのを読んで、ハた、と気付いた。
 いや、別に私がオカマだってんじゃなくて(^_^;)。
 要するに私ゃ「男」ってのを前面に押し出さないで女性の話を聞いてるんだなあってことに気がついたってことなんですよ。「男」だと、どうしても女に対して「下心」が生まれちゃうもんね。そうすると、女から見た「余裕がある」「面白い」「オトナの」男ではなくなってしまう。だから相談一つ求められない。でも私の場合、周囲の女性からは「男」として見られてないんだけれども、そのことに全然痛痒を感じてないのね。別にいいじゃん、と思っている。だから、逆に女性から相談を持ちかけられてるのだ。
 ……「有久幸次郎」って名乗ってるのに、以前「女の人ですか?」なんてメールで聞かれたワケもやっとわかった。
 岡田さんが書いてるように、女性の話を「男」として聞いても、それは相談に乗ることにはならないんだよね。だって、「男」ってのは基本的に「女」の言い分を認めないものなんだから。
 男はたいてい、女性の井戸端会議的な「いい男いないよね〜」とか「所詮、オトコって若い子に行くのよね〜」みたいなセリフを聞くと、プライドを傷つけられたように感じて、「いい女だっていないじゃね〜か」とか、ムキになったりする。
 けど、それじゃあ、いつまでたっても女の子の相談には乗れやしない。
 文章では私もこうして「女なんてなあ」みたいなこと書いてるけど、直接話を聞く時には、「そうだよな、男って結局いつまで経ってもガキなんだよ」とか「ホントはオトナの女性のほうが魅力的なのにねえ」とか、あたかも女性の言い分に迎合するようなことを言っちゃったりしてるのだ。
 ……そりゃ、下手に女の子に反発して、延々グチを聞かされるよりは、そっちのほうが彼女は気分がよくなるわけだし、これがいわゆる舌先三寸ってやつなんだけれど、どうしてこういうワザを私が身に付けたかってえと、私が女だらけの中で育ったからなんだよなあ。まあ、女性との付き合い方に、多少は馴らされてるってことなんだろう、多分。

 だからこないだも、ある女の子から、「彼氏が私の行動にいちいち文句つけてうるさいんです〜、どうしたらいいと思いますぅ?」なんて聞かれたときに、「彼氏は自分の方がオトナだって思ってるけど、ホントはそうじゃないんだよ。君の方がオトナにならなきゃいけない」みたいなことを言っちゃってたのだ。
 ああ、岡田さんと全く同じ手口だ(^_^;)。
 結局、「男としてのプライドを捨てて、相手を口説こうと思わなければ、女の子にはモテる」と言うことなのだよなあ。
 まあ、思春期の性欲を持て余してる男にはなかなかムズカシイことだろうけれども。30も近いってのに、持て余しまくってるウチの劇団の某くんにも、この本、読んでもらいたいもんだな。

2000年12月25日(月) 男はみんなえっちだってば/『羊のうた』5巻(冬目景)


2001年12月24日(月) イブの焼肉/DVD『三毛猫ホームズの推理』/『シベリア超特急』ほか

 休日でも真っ先に早起きするのは私だ。
 しげもよしひと嬢も、昨日の『009』マラソンで疲れたのか起きて来ない。
 一人で購入したばかりのDVD『三毛猫ホームズの推理 ディレクターズ・カット』をかけていると、少しずつゾンビが蘇えるようにしげもよしひとさんも起きてくる。

 『三毛猫ホームズの推理』は、もちろん赤川次郎のシリーズものの中でも第一等の人気を博しているものの第一作で、途中からこのシリーズを読み始めた人には、片山義太郎兄妹に、こんなハードな過去があったとは信じられないくらいであるかもしれない。
 ミステリ界に留まらず、小説、映画を含めたエンタテインメントの世界は80年代以降、どんどん軽く、薄くなっていった。赤川次郎はそういったライト・ノベル作家の旗手のような言われ方をされることが多いが、大ブームを呼んだ『セーラー服と機関銃』にしたところで、決して、軽い内容ではない。
 女子高生が殺人事件に巻き込まれたり、女子高生が麻薬密売に巻き込まれたり、女子高生が遺産相続争いにまき込まれたり、女子高生が実は吸血鬼だったり、女子高生がヤクザの親分になったり、多少、突拍子もない設定ではあっても、そこにはオトナになることの「痛み」が描かれていた。でなきゃここまでヒットはしませんって。
 ところが、赤川原作の映画化作品は数あれど、作者本人が納得したものはほとんどないのが実状だった。
 相米慎二、根岸吉太郎、井筒和幸、崔洋一、澤井信一郎、金子修介といった、錚々たる監督たちは、よく言えば個性的、悪く言えば一人よがりな連中で、「赤川作品の魅力は何か」と言うことに全く興味も関心もなかったのである。赤川次郎が認めた監督が、岡本喜八と大林宣彦という「職人監督」であったことには注目していい。
 大林に関しては異論もあろうが、「アイドル映画」を撮ることに全く躊躇していない点で、他のええかっこしい監督とは一線を画している。だからこそ『ふたり』を見て、赤川次郎は『あした』も、そして秘蔵っ子とも言える『三毛猫ホームズ』の映画化を許可したのだ。
 主演の陣内孝則、正直な話、彼については、ハデでワザとらしい「濃い」演技しか出来ないと世間は思いこまされているんじゃないだろうか。いや、私も、この『三毛猫』を見るまではそう思ってたのだ。
 だって、片山義太郎って、血を見ると貧血起こす「お嬢さん」って仇名がついてるくらいの小心者って設定なんだよ? 陣内にそんなん出来るなんて思わないじゃん。
 ところが、初登場シーンからして、彼がまあ、実に繊細なのだよ。
 「お嬢さん!」と声かけられて、「……はい?」と振り返る表情の情けないこと!
 う、うまい! これぞ片山義太郎! 石立鉄男、どっか行け!
 役者として評価されていない人間に息を吹きこむ演出の冴えを見せられる監督が、今、どれだけいるというのか。まあ、さすがにここまでたくさん映画作られると、ちょっと閉口気味ではあるのだけれど、大林映画、まだまだ捨てたものじゃないですよ。
 栗原警視役の役者さんが実にイイ感じだしてんだけど、よく見る顔なのに誰だかわからないんだよなあ。誰か教えてくれ。

 密室トリックについて、よしひとさんが鋭いツッコミを入れるが、丁度二十年前、大学の推理研で先輩と論争したことがあったのを思い出した。
 私は「肯定派」だったんだけどなあ。やっぱりビジュアルで見せるとムリっぽく見られちゃうかなあ。チェスタートン式の「現実には起こりえないけれども虚構の上ではリアリティがある」トリックとしては許容範囲だと思うんだけれども。


 しげたち、芝居の小道具の猫耳などを作っているので、側で『マジンカイザー』『キカイダー01』『ナジカ電撃作戦』などをかける。
 ところがつい、調子にノってとんでもないものをかけちゃったのがウンの尽き(^_^;)。


 DVD『豪華愛蔵仕様 シベリア超特急 特別編集版』。
 製作・監督・原作・脚本、マイク水野。
 そう言えばアメリカじゃそう名乗ってたんだよなあ、水野晴郎。
 もしかして、ハーフかクォーター? 単にそう名乗りたかっただけ? ほぼ99.999%、後者って気はするが。
 なんで「特別版」かっていうと、反戦色の強いダブルマーダーバージョンと、ラブロマンス中心のハンガリーバージョンとどんでん返しが二つあるアップテンポのアメリカンバージョンの三つを全部収録してるからだと。
 水野晴郎のコメントに「みなさまのおかげで大評判の」とか「どうか三つとも見比べてください」とか書いてるが、そんなに自信があるのか(^_^;)。 全部はとても見切れないので、アメリカンバージョンをかける。

 それにしてもウワサには聞いてたが、聞きしに勝る出来だなあ。
 出来がいいとか悪いとかじゃなくて、壮大な勘違いで出来ているとしかいいようのない作品。もしかしたら、どうせ何作ったって貶されるんだから、最初っから「怪作」にしちまえ、という開き直りで作ったんじゃないかって穿った見方すらしたくなってくる。
 一応、パッケージに、「この映画の結末は決してお友達に話さないで下さい」と書いてあるので、伏せとくけどね、伏せる価値ないぞ、このどんでん返しは。
 じゃあ、そのどんでん返し以前がミステリとして出来がいいかというとさにあらず。

 あのね、ぼくね、ばかだから、よくわかんないんだけど、れっしゃのなかでひとごろしがあります。
 どんどんひとがしぬけれど、これはこうかんさつじんだということがはじめからばれてました。
 で、どんどんひとがしんでいって、のこったようぎしゃはふたりだけなんですが、それじゃあ、このふたりがはんにんってことなのかなあ、とおもったら、そのとおりでした。
 これがみすてりってことなんですか?

 だいたいなあ、密室列車で交換殺人やる意味がどこにあるんだよう。
 遠距離で、時間もずらしてなきゃ、意味ないだろうがよう。
 『オリエント急行殺人事件』と『見知らぬ乗客』を合体させたらミステリになると思ってんのか。
 『オリエント』が名作たりえたのは、犯人が限定されやすい状況にもかかわらず、あえて列車内の殺人を選んだところに犯人の動機が隠されてたんであって、ボンクラにそうそう作れる設定じゃないのだ。何を血迷った水野晴郎。
 しかもなんだよ、あの真犯人の挙げ方は。
 脚本以外にもセットのしょぼさとか役者の未熟さとか、いくらでも欠点は挙げられようが、とても書ききれるものではないし、何より、水野御大の棒読み大根演技の前には全てがかすむのだ。


 結局、よしひと嬢に、「ミズノ、何か勘違いしてるよ〜」と頭を抱えさせてしまった。今度来られたときには、黒澤の『野良犬』でも見せて、口直ししてもらおう。


 夕方、よしひと嬢が帰られるのと入れ代わるように、ぴんでんさんからが連絡があり、パソコンを設置してもらう。
 これでしげと私と、交代せずにパソコンが扱えるようになったのだ。ありがたやありがたや。
 ウチに来るなり、ぴんでんさん、本棚を眺めて「オタクの部屋ですねえ」と仰るが、あまりレアものはないのでお恥ずかしい限りである。
 で、いきなり『シベ超』やら『八俣大蛇の逆襲』を手に取られるのは、人間としていかがなものか(^o^)。
 「玄関先にまで本が!」と笑われてしまったが、ベランダにも洋画ビデオがはみ出ていたことまでは言い忘れたのであった。


 その場で誘われて、天神まで出かけて行って、エロの冒険者さんを交えて飲み会。
 着替える間もなく、普段着の作務衣のままだったのでさすがに寒い。ジャンパーだけを羽織って、下はサンダルで、という格好なので、天神をうろついてる時はさぞや浮いてるように見えるかもしれないが、天神にはヘンな人も多いので実はさほど違和感はないのだ。
 仕事で付いて行けないしげから、「エロさん、お見合い相手のMさんとどうなったのか教えて!」とウルウル目で頼まれていたが、そんな人のプライバシーについて突っ込んだことなんて聞けないので、ちょっとだけ訊く。
 どうやらアレがアレしてああなったらしいのだが、ホントはアレをああしてああすればよかったんじゃないかとか、もしかしてアレをああしてああなってるのかも知れないけどそのへん隠してんじゃないかとかいろいろ想像するが、まあ、エロさん自身が日記に書いてること以上のことは書けないので、あとは勝手に想像するように。

 店の名前は失念したが、七輪の炭火で肉を焼く店で、肉の質も悪くなく美味い。
 気がついたら、やっぱり「今度のゴジラはね〜」なんて話になる。正直な話、オタアミ会議室にだって、余りこき下ろした書き方はしたくなかったんだが、あんまり絶賛が多いと、バランスとるのに逆の意見ももっと書かなきゃならないなあ、という気がしていたので、結果的に、エロさんの意見を否定するようなかたちになってしまい、まずはそのことについて謝る。
 エロさん、「有久さんの意見はいいんですよ、○○○○○○○○が『○○○○○○』と比較して○○○○○なんて言いやがるのが許せなくて」と、激烈なことを仰る。
 まずはやはり、どんな映画でも「語られる」ことにこそ意味がある。
 語られもしない映画は「存在しない」のと同じだ。

 「有久さん、今日は語りますねー、いつもはやっぱりセーブがかかってんですか?」と聞かれるが、言われてみて初めてそうだろうなあ、と思う。
 いつもはしげが隣にいるので、二つの意味でセーブがかかってしまうのだ。一つはしげをほったらかして自分ばかり楽しく喋ってたらあとでヤキモチ焼かれるなあ、という自己保全と、しげが飲みすぎてぶっ倒れないようにという監視の意味とである。
 だって、宴会の時のしげって際限ないし。
 しげが加わってから、AIQの会合でワリカン代が1割くらい増してんじゃないかと心配なのである。

 エロさんから、今日はフランスのオタク、セバスチャンがテレビに出る日ですよ、と教えられたが、うっかり失念して、ビデオを仕掛け忘れていた。
 オタクに対して偏見の念を抱かせるようなものじゃなきゃいいがなあ。


 ぴんでんさんにウチまで車で送って頂いたが、車中のふとした会話で、ぴんでんさんがまだ『ガンドレス』を御覧になってないことを知る。
 知ってる人は知ってるが、士郎正宗キャラデザインという振れ込みで劇場公開された本作、封切日に作画が間に合わず、線画に色塗っただけの状態のカットがてんこもりだったのだ。
 一応、後で完全版が作られたのだが、DVDはその劇場版と完全版を両方収録しているというもの。……笑ってもらおうということか?
 スタッフも随分途中で逃げたらしく、パンフレットにはスタッフ表のところにシールが貼ってある。
 「ウチにDVDありますが、御覧になりますか?」ということで、またまた、とっ散らかった部屋にぴんでんさんをご案内(^o^)。

 結婚当初は、部屋に人が来るたびに、「なんだこの汚い部屋は(と言っても今よりはずっとキレイだったが)」と思われるのが恥ずかしくて、しげに「どうして片付けないんだ!」と怒鳴りまくっていたが、今やもう、私は枯淡の境地に入りつつあるのである。
 ああ、しげはこの先一生、私がどんなに怒っても悲しんでも苦しくても辛くても、それでも家事はしないやつなんだなあ、と悟ってしまったからだ。
 誰か時給千円でウチの部屋、片付けてくれる人いないか。

 せっかく来て頂いたのだから、と、押入れの奥から、秘蔵のソノシートなんかを取りだし、お見せする。親に相当数捨てられているので、秘匿して残っているものはごく少ないのだけれど、今見るとこりゃレアだな、と思えるものも結構ある。
 アニメ化以前のプロモ版『タイガーマスク』主題歌は、さすがのぴんでんさんもご存じなかったようだ。
 「猛虎のマスクに光る目は〜、悪役ど〜もを一握り〜、リング狭しと荒れ狂う〜、岩石落としだ飛行機投げだ〜、タイガーマスクに〜、敵はな〜い〜、僕らの夢だ、チャンピオーン、僕らの夢だ〜、チャンピオーン♪」(記憶だけで書いてるので、細部に多分間違いあり。「一握り」ってことはないよなあ。「ひと睨み」か?)
 という歌なんだが、知ってるやつはそうそういまい。いかにもバチモンな歌詞だが、作詞はちゃんと梶原一騎なんである。つまりは梶原一騎自体がバチモンだったなによりの証拠という価値があるわけなのね(^o^)。
 ともかく当時のソノシートには必ずドラマが付いており、私が持ってるのでも、『鉄腕アトム』『宇宙少年ソラン』『ビッグX』『ゲゲゲの鬼太郎』『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』ほか、テレビの再編集もの、新録ものが数十枚はある。
 ぴんでんさん、「こういうのこそ、MDに落として保存しておかないと!」と仰るが、さて、今でも聞けるものがどれだけあるだろう。
 けど、ふと思いついたのは、当然こういうドラマには絵が付いてないのである。マッドテープよろしく、適当な絵をこちらででっち上げて、もとアニメとは似ても似つかぬ絵で紙芝居風に仕立てたら、結構笑えるものができるんじゃなかろうか。音がちょっと割れてる方がかえってレトロな感じが出るだろうし。
 AIQのみなさんの秘蔵のものを集めて傑作選作ったら、結構面白いものができるんじゃなかろうか。そのときは『日本語版モスラのテーマ』も出しますよん。

 『ガンドレス』には、ぴんでんさん、充分堪能していただけたようである。
 このように、劇場公開に制作が間に合わなかった例というのは、あと高畑勲の『火垂るの墓』ってのがあったが、あれは線画であったにもかかわらず、絵として見られた稀有の例であった(高畑作品は好みじゃないが、その作画レベルはやはり評価せねばなるまい)。
 『ガンドレス』はその完成版ですら演出が凡庸以下である。『ダーティペア』の新シリーズOVAを演出した時は、矢田部勝義監督、結構いい出来のもの作ってたのに、どうしちゃったのかなあ。
 しかし、こんなどーしょーもないアニメまでわざわざ購入してるもんだから、ぴんでんさんには「幅広過ぎですよ」、なんて言われちゃうのだ。
 ……でも、クズをクズとして評価していく、あるいはクズの中にほんのかすかな宝石を発掘する、そういう姿勢こそが、我々の文化の意味を、人類の行く末を望見する基本的な態度と言えるのではないか。
 とか言い訳してるのはなんだかんだで自分のオタクとしての薄さを誤魔化してるだけなんだよね、どうもすみません。

 しかし、クリスマス・イブが男3人の飲み会とは侘しいなあ。
 おおっと、これは禁句だったかも。

2000年12月24日(日) 昼寝したので今日の休日は短かった/『ルパン三世』7集(山上正月)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)