無責任賛歌
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| 2002年08月17日(土) |
しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん/アニメ『プリンセスチュチュ』第1話/映画『ピンポン』 |
排水溝が詰まったせいか、クーラーから水がシトシト垂れ始めた。 3、4年前にもそんなことがあって、そのときは電器屋さんに来てもらって、掃除機でゴミを吸い取ってもらったのである。 要領は解っているので、今度は自分でゴミを吸い出しゃいいや、と思って、しげに「掃除機出して」と頼む。 「掃除機あるけど、困っとうっちゃ」 「何が」 「本体はあるけどホースがないと」 「……なんで?」 「さあ?」 「さあじゃないだろ、使って片付けたの自分なんだから思い出せよ」 掃除機の在り処はしげの頼りない記憶を頼みにするしかないが(矛盾した表現だよなあ)、問題は滴り落ちる水である。 洗面所からバケツを持ってきて、滴りの下に置く。 ……なんだかこういう光景、昭和初期の日本映画でよく見たなあ。マンガでも40年代頃まではこんな絵がよく出て来てたものだったけど、ありゃ雨漏りだったな。現実の雨漏りを経験したことはもう三十年以上も昔だ。なんだか懐かしいなあ……って懐かしがってどうする。 バケツを置いても結構な高さがあるので、飛沫が撥ねて絨毯はやっぱり湿ってしまう。それで絨毯の上にバスタオルを敷いて、その上にバケツを置く。バケツはほぼ6、7時間ほどで一杯になる。水をベランダに流そうとして、手がすべる。バスタオルも絨毯も水浸し。 なにやってんだろうなあ、オレ。
昼間、しげの白髪を抜きながらCSキッズステーションオリジナル制作アニメ第3弾、『プリンセスチュチュ 卵の章』1.AKT「あひると王子さま」を見る。 『セーラームーン』『魔法使いTai!』のスタッフが再結集、という触れ込みだが、より原案・キャラデザインの伊藤郁子色を前面に出したって印象。佐藤順一監督はサポートに回ったって感じだね。 『Tai!』も相当ヘンなアニメだったけれど(なぜナルト?)、それがマトモに見えるくらいヘンなアニメにしあがってるよ。
一見、ごくフツーの人がごくフツーに生活してるように見える街、金冠町。 そこにバレエを初め、芸術を教える金冠学園という、大きな学校がある。 ヒロインの女の子の名前はあひる。 ドジでノロマだけれど、プリマを目指して、初級クラスに通っている。 なぜかクラスの先生は猫。でもどうやらそれがこの「世界」では普通のことらしい。 「世界」? そう、この世界はどうやら不思議な世界。 昔々、悪いオオガラスと戦って、そのときに受けたキズがもとで心をなくしてしまった王子様の、心のカケラが散らばって、どこかに眠っている世界。 あひるもホントは、ホンモノのあひるなのだ。 ある日、水辺で悲しみに沈みながら踊る美しい王子様を見て、「この人を助けたい」と思った。 そこに現れた謎のお爺さん、ドロッセルマイヤー。 「王子様の心を取り戻すために、プリンセスチュチュになるかい?」 と、無気味に笑う。 王子様は今、「みゅうと」という名前になって金冠学園にいる。あひるは言う。「王子様を救えるなら、死んでもいい」。 そして、契約はなされたのだ。
うーむ、こりゃ、伊藤&佐藤版の『少女革命ウテナ』だね。 え? そんなに妖しいのかって? 妖しいですよぉ(* ̄∇ ̄*)。 なんたって、「心をなくした王子様を助けるお姫様」の話なんですから。
巣立ちを迎えたヒナ鳥が屋根から飛び立とうとしている。 みゅうとは、それを窓から身を乗り出してぼんやり見つめている。 寝起きなのか、彼は裸の上にシャツ一枚。 風にシャツの端がはためいて見えそうだ(何が)。 その風に煽られたか、ヒナ鳥はバランスを崩して落ちる。 みゅうとは思わず窓から飛び出す。 心をなくしているから、自分の命の危険すら分らないのだ。 ドロッセルマイヤーの声があひるの心に響く。 「このままだと王子様が死んじゃうよ」 そのとき、あひるのペンダントが光る。 あひるの姿がまばゆいばかりの光に包まれ、プリンセスチュチュに。 音楽が鳴り響く。あの曲は。 「花のワルツ!」 校庭一面に広がる、花、花、花。 その花の中に落ちるみゅうと。 こうして、あひるは王子様を助けた。 けれどドロッセルマイヤーの不気味な声が再び聞こえてくる。 「でも、お前はただのあひるなんだよ」 そう、あひるは、本物のあひるになっていた。
うわあ、なんだか女の子の願望を突き放すような冷たいアニメだなあ。 御伽話のお姫様は、普通、王子様に救われるのを待っているものだ。 『少女革命ウテナ』では、お姫様を助ける王子様がいないから、お姫様が王子様になろうとした。「でもいいの? それで」と突っ込まれながら。 本作では既にお姫様自体、救われる側にいない。王子様の方が、お姫様が来るのを待っているのである。 けれど、お姫様は実はただのあひる。みにくいあひるの子。だからこそ「お姫様」のつもりになって、自分が助けられる夢に浸っていたかったのに、気がついたら自分が王子様を救う側に回らなきゃならなくなっていたのだ。 え〜、女性の方にケンカ売るような解説になっちゃいますが、要するに女性の客観的な価値って、美貌と若さしかないって話なんですよ。それがあるからこそ、それにすがって、女の子は王子様を「待って」いられた。けれどアナタに美貌も若さもなかったらどうします? ただのあひるだったら。「王子様を救う」って新たな価値を持つしかないんですよ。自分をプリンセスだと信じて。 どうですか? アナタに王子様は救えますか? 久しぶりに毎週がタノシミなアニメが出てきました♪ CSに入ってる人はぜひ見てみましょう。
博多駅でよしひと嬢と待ち合わせ、シネリーブル博多駅で映画『ピンポン』を鑑賞。 松本大洋の原作は読んだことがないので、虚心坦懐に見ることが出来たんだけど、映画として多少メリハリがない点や、マンガチックな表現が足引っ張ってる点はあるものの、全体的には悪くない。
マンガと映画の表現は、ムカシムカシ、それこそ天と地ほども違っていた。 手塚治虫の例を引くのは今更だが、まずはマンガ側が積極的にクローズアップやカットバックなどの映画技術をマンガ的表現に組み替えていったのが戦後のこと。70年代あたりになると、マンガ的カリカチュアを映画も取り入れるようになり、双方の「乗り入れ」が頻繁になっていく。もちろんマンガを映画にそのまま持ち込むわけにはいかず、そこにはやはり「映画的処理」というものが必要になるのだが、それはある意味、原作の否定にもなる。そこが原作ファン、映画ファンとの間に確執を生むことにもなった。問題はなかなかに難しい。 具体的に言えば『ブラック・ジャック』の映画化である。大林宣彦の『瞳の中の訪問者』には宍戸錠のブラック・ジャックが、あのツギハギの顔、半白髪に黒マントという姿で登場したが、当然、リアリティのカケラも感じられないヒドイ出来だった。常識的に考えるならせいぜい頬のキズ程度に留めておくのが賢明だろう。しかし、それが手塚治虫のブラック・ジャックではないことは明らかである。 葉っぱをくわえてない『ドカベン』の岩鬼正美、「ちょんわちょんわ」をやらない『花の応援団』の青田赤道なんて意味がないことはわかるが、原作どおりのスタイル、行動を実体を持った人間にやらせれば、結果的には失笑もの、あのテイタラクになってしまうのだ。これだからマンガの映像化は難しい。だからたまに「原作から抜け出たような」イメージの映像化に出会うと、我々は狂喜したものなのである。木の内みどりの水原勇気はよかったなあ(* ̄∇ ̄*)。薬師丸ひろ子の山葉圭や、宇佐美ゆかりの若松みゆきも。なんか単にかわいい女の子ならどれでもいいみたいだが。
『ピンポン』の話に戻そう。 原作を読んでいないだけに、逆にこのへんはマンガの表現そのまんまだなあ、とか、ここはマンガを映画的に改変したんじゃないか、というところがかえって目につく。 もともと、キャラクターにペコ、スマイル、アクマ、チャイナ、ドラゴンなどとニックネームをつけるのは1、2時間という短い時間でキャラクターを印象付けるための映画的手法である(もともとは短編小説の手法。長編だと主人公は逆に名前を変え職業を変え、という場合が東西を問わず圧倒的に多い。ジャン・バルジャン=マドレーヌとかね)。長編で仇名を使うと、これ、かえってキャラクターが無個性化かつ匿名化するんだよね。マンガ長編でこの手を使った松本大洋がどれだけこのことを意識したかは分らないけれど、恐らく、マンガは「妙な違和感」を内包してしまったのじゃなかろうか。 ペコにだって本名はあるはずだ。マンガの中で彼がどれだけ本名で呼ばれるかは知らないが、しかしペコと仇名をつけられれば、ペコはペコ以上のものでも以下のものでもなくなる。ペコでない時間を過ごすときもあるはずなのに、読者は彼をペコとしてしか認識しない。これは作者にとっては不利なはずなのだ。それを松本大洋が押し通して長編をものにしたとすれば、さて、マンガのほうはどんな展開になっているのか、気になるところだ。 映画のほうは2時間しかないから、そういう「違和感」はほとんど存在しない。ペコにも星野裕という本名があるのだが、彼は常にスマイルの目を通して見つめられる構造になっているので、終始ペコとして機能している。スマイルやアクマには、まだ、スマイルやアクマでない時間も描かれているのだが、ペコだけは特別なのだ。まさしくペコは、子供のころもスランプのときも、映画の間ずっとペコであった。「『さん』くれろ」のセリフは「ペコ」の枕詞であり、まさしくこのセリフがペコを「映画」の主人公に仕立てている。マンガが取り入れた映画的手法が、本来の生まれ故郷である映画に戻っていったような印象だ。 逆に、マンガチックな表現が違和感を生じさせているシーンの最たるものはバタフライジョーの背に生えた蝶の羽である。一見、映画的に見えるが実はリアルさに欠けるあの表現は、映画の整合性を考えればカットしてしかるべきであった。原作を読んでいるよしひと嬢に「あのシーン原作にもあるの?」と聞いたら頷いていたから、これがまさしくマンガを映画に移すときの困難さを克服できなかった実例だろう。 これは映画オリジナルじゃないか、と踏んだのはオババだ。 あんな艶っぽいキャラは松本大洋の原作にはとても登場しそうにないなあと思って、よしひと嬢に聞いて見たら、原作はホントにただのオババなデザインだそうな。この変更は正解で、奇しくも映画とマンガとでは「婆さん」の持つ記号の意味の違いを表している。 マンガだと「婆さん」はどのマンガでも地位を確立していて、「仙人」であったり「マスター」であることの記号をデザイン段階から持ち得ている。『らんま1/2』のシャンプーの婆ちゃんなんかがいい例だ。それに対し、映画では婆さんは何かを付け加えない限り、どうしたってただの婆さんにしかならない。北林谷栄も三戸部スエも丹阿弥谷津子も千石規子も野村道子もみんな普通のお婆ちゃん。日本のお婆ちゃんで普通でない婆あを演じたのは、『紅孔雀』で黒刀自を演じた毛利菊枝さんとか、『大盗賊』で地獄谷の婆を演じた天本英世さんくらいのものかも(^o^)。原泉も確かなんかの魔女演じてたような。 つまり、オババを市原悦子や泉ピン子が演じてもインパクトがないのだ。夏木マリを配役し、艶っぽさを加えたことによって、彼女に関わるペコやバタフライジョーにまでその「魔力」が伝播する。夏木マリがかつて憧れた男だからこそ、竹中直人は竹中直人なのにカッコよく見えるし、ペコの復活にも説得力が生まれるのである。 彼女をオババと呼んだのはペコたちだろう。この呼称はまさしく「魔女」としての「オババ」である。だとすれば、そのキャスティングに関しては、マンガの絵面よりも、「魔女」を演じることのできる俳優は誰か、という視点で選ぶのが当然の帰結だ。「マンガのイメージと違う」ということで、夏木マリを否定するなら、映画の見方をまるで知らないと排斥されても仕方なかろう。 だから、頬擦りされるなら市原悦子と夏木マリのどっちがいいですかって話で(^o^)。こういう姐さんに「愛してるぜ」と言われたら死んでも悔いはないですよ、ホント。
よしひと嬢の希望で「五風」で食事。 真っ先にタコワサビを頼むよしひと嬢。しげは辛くて食べられないが、こういうところでオトナとコドモの差が出るな。 刺身、テンプラ、焼肉と三人で食いまくる。おかげで昨日取り戻した税金が一気に吹っ飛ぶ。しげ、少しは手出ししろよな。
帰宅して、DVD『ミニパト』や『ラ・ハッスルきのこショー』『パパ・センプリチータ』など、よしひと嬢に見せてなかったモノを連続してかける。 『ミニパト』は押井守&榊原良子ファンのよしひと嬢には痛く楽しんでもらえたよう。一心に画面に食い入る様子を見てると、オタクの血がうずいてきて、ついつい聞かれもしないことをトウトウと喋る。 「今のとこ、セリフが飛んだでしょ? 実は押井さんの脚本、カットされてるんだよ。何しろ押井さん、メカデザインの○○○さんが大っ嫌いでさ、そのことまんま脚本に書いちゃったもんだから、監督の神山さんが削ったんだって」 オタクがモテないのはこういうところなんだよなあ。なのに、イヤそうな顔一つしないで、ニコニコ聞いてるんだから、全く、よしひと嬢も心が広い。でも内心では実は、「ウゼェよこのオタク」とか思ってんじゃないかなあ(^_^;)。 今朝見たばかりの『プリンセスチュチュ』も録画しといたのを見せたら好評。やっぱり猫先生が可愛いみたいだね。みゅうとがシャツ一枚で鳥を助けようと身を空へ投げ出すシーンで、思わず「か、『風と木の詩』!」と叫んでいたのは内緒にしておいてあげよう(^o^)。 そうこうしているうちに深夜。 しげは「まだ『カタクリ家の幸福』見せてない」と不満気であったが、よしひと嬢がダウン。なんだかウチに来るたびにビデオ責めにされてるような気がするが、これも我々夫婦に関わってしまった不運と思って諦めて頂きたい。勝手ですみません。
2001年08月17日(金) 代打日記 2000年08月17日(木) 明日から仕事/『夜刀の神つかい』(奥瀬サキ・志水アキ)ほか
| 2002年08月16日(金) |
ドリンクバーの果てに/『フラッシュ!奇面組』1巻(新沢基栄)/『永遠のグレイス』(川崎郷太・伊藤伸平)ほか |
夜中にしげの寝部屋で平積みにしていた本がなだれを起こしたらしい。 何となくしげの悲鳴を聞いた気はしたが、特に助けを求められなかったので、そのまま寝る。睡眠時間はできるだけ確保しておかなければ、カラダが持たん。
今日は午前中だけ仕事。 おかげでしげは昼日中に迎えに来なければならず、数時間しか眠れずイライラしている。けれど、昼のうちに片付けなきゃなんない用事があったんで、多少の無理は承知で、しげにがんばってもらうしか仕方がなかったのだ。 というのは、役所の手違いで、固定資産税が二重に引き落とされて、マジで金欠病に陥ってしまっているのだ。このン万円を取り戻さねば、今月、給料日までの日々を暮らしていけない。 一週間ほど前に役所に電話連絡して、銀行振込を頼んでいたのだが、役所仕事が迅速なわけもなく、未だに入金がないのである。と言うわけで、区役所に直談判に行くために仕事を半日、休みを取ったのである。 役所の駐車場にしげを待たせて、窓口まで行くと、やたら書類を書かされて、20分ほどかかって、やっとお金を返してもらえる。しかし、役所のねーちゃん、一見物腰が柔らかいんだけれど、「すみませんでした」の一言もないのな。さすが公務員、よく教育されてるじゃないの(--#)。
その足でキャナルシティを回り、盗まれたしげの手帳などを物色。気に入ったものがなかったらしく、しげまた落胆。 いつもの食事をどうしようか、という相談、「ジョイフル」にドリンクバーが出来たというしげの言葉を信じて、家の近所の店に行ってみたが、ドリンクバーなんて影も形もない。どうやら店舗によって設置の時期にズレがあるらしい。
ドリンクバーを諦めきれないしげ、夜もまた、別店舗の「ジョイフル」まで足を伸ばす。 こちらはドリンクバーがありはしたのだが、なぜか偶然、知り合いが大挙して食事に来ていて、話し掛けられてうるさかったのだった。私はそういうときでも適当に相槌打ってその場を取り繕えるのだが、問題なのはしげである。しげは私の知り合いでも面識がないと挨拶一つ出来ない。挨拶を促しても、ムッツリして愛想がないこと夥しい。 「奥さん、遠慮してるんだ」と、相手がかえって気を遣ってくれるのだが、それに対しても返事を返さない。しかたなく、私の方が「気後れしやすいんだよ」とフォローを入れるのだが、人付き合いという点を考えるとちょっと困りモノなのである。だからと言って、しげの対人恐怖症は年季が入っているので治る見込みがほとんどない。一旦知り合いになれば、人一倍お喋りもするのだが、ほんの少しでも心にワダカマリがあると、全く話せないのである。 実は私の両親ともしげはマトモに話せなかった。声をかけられれば返事はできるのだが、自分から進んで声をかけるには、心の中で相当シミュレーションをしないと出来ないのだ。父には「猫かぶってるんだよ」と弁明しているが、そうではないことを父も感じているようである。 いつぞやの某オフ会でも、見知らぬ人間に囲まれて気分が悪くなり、そのあと泣きじゃくっちゃったくらいである。これはもう、世間の人々にしげはそういうやつだと納得してもらうしかないのだ。
冗談ではなく、しげの精神年齢は小学生並ですので、人見知りするのも許してやってください。で、しげと出会った方は、できれば声をたくさんかけるようにしてください。多分それでも失礼な態度をとっちゃうとは思いますが、しげはあなたがたのことを嫌っているわけではありません。適切な対応をしようと思うあまり、かえって何かドジを踏むんじゃないか、失敗するんじゃないかとプレッシャーを感じて身動きが取れなくなっているだけなのです。
『キネマ旬報』8月下旬号。 昔は映画のニュースって、ほとんど『キネ旬』に頼るしかなかったんだけれども、今やネットですぐに収集できるようになったので、記事がいささか古い印象を受ける。「角川大映」も、「『千と千尋』が赤いぞ」事件もとうの昔に知っちゃってる。だから今は、もっぱら見た映画の批評を読んで、自分の意見との違いなんかを確認するだけになってるんだよね、最近は。 今回は『猫の恩返し』特集。森田宏幸監督のインタビュー、高橋望先輩が相当裏で動いたらしいことを暴露してくれている。高橋先輩、「みんなの意見をまとめると、どうもみんな柊さんの原作が好きで、少女漫画として映画にすることを期待してる」と森田監督に伝えたとの話だけれど、さて、ホントに意見をまとめたのかどうか。迷ってる森田監督に勢いを付けるためにハッタリかました可能性もあるぞ(ホントにちゃんとスタッフの意見を聞いてたんだったらごめんなさい)。 『猫の恩返し』も、世間の評価は結構厳しいようだ。「宮崎アニメ」と比較して、「中身がない」とか抜かしてるバカ意見が多いけど、宮崎アニメに中身があったことなんてただの一度もないぞ。宮崎駿自身がそう言ってるんだからこれは間違いない(^^)。 つまりは自分だけの妄想で映画見てるやつがどれだけ多いかってことだよな。もともとあの映画は「少女マンガ」というファンタジー、「成長する少女」なんて描くつもりはなかったってことだから、「少女の成長が描かれてない」とか「底が浅い」とか批判するのはお門違いなのである。 興行収入はどうやら30億程度で終わりそうだが、『千と千尋』には遠く及ばないにしても、新人監督の作品としては充分なヒットだろう。ジブリブランドのおかげだろう、と皮肉るのは当たっていない。それならどうして『となりの山田くん』はコケたんだよ。映画をエンタテインメントとしてちゃんと作って、ちゃんと宣伝すれば、数字はついてくるんである。 そして、映画を見る際にはこれが大事。エンタテインメントに「教訓」を期待しちゃいけないよ。これ鉄則。
マンガ、新沢基栄『フラッシュ!奇面組』1巻(エニックス/ガンガンコミックス・410円)。 『奇面組』の新作が21世紀に読めるとはなんという感慨。 高校のときに友達の女の子と、「奇面組、番組にも勝っちゃったよ!」と手を取り合って喜んだ思い出(バスケ大会の時の話ですな)が懐かしい。そんなことやっとったのかと言われそうですがやっとったんです。すみません。 こないだよしひと嬢、塩浦嬢に見せたらやっぱり懐かしがられた。てことは、よしひと嬢は小学生、塩浦嬢は幼稚園のころか? ヘタすりゃ塩浦嬢はアニメの再放送でしか知らないんじゃないか。
懐かしいことは懐かしいのだけれど、驚くべきことは、その中身が、絵柄もギャグも、二十年前と全く変わってなかったってことだね。 何しろこの1巻、中学生編からのやりなおしなのである。続編ではなくリメイク。確かにカンペキに完結しちゃったお話だから、そうするしかないか。「奇面フラッシュ」や「イカリコング」のギャグを、まったく何のアレンジもせずに繰り返してるこの変化のなさは、おそらく作者の「律儀さ」の表れだ。リメイクにアレンジは要らない、改作はかつての作品との間に矛盾を生み出すだけだ、と新沢さんは考えているのだろう。 律儀さゆえにギャグとしては今一つ破天荒になりきれなかった欠点はあるのだけれど、かつて、その上品さは、「汚い絵のギャグマンガ」が『ジャンプ』や『マガジン』で幅を利かせていく中では、まるで清涼飲料水のような爽やかさすら感じさせていたのだ。『奇面組』にエッチギャグは絶対に出て来ない。それが読者に安心感を抱かせていたのだ。 もっとも、個人的にはオトナになった零くんと唯ちゃんとのラブコメってのもちょっと見てみたなあ、という気がしないでもない。けれど、ほんの少しでも生々しく描いた途端に読者の総スカンを食らうことは眼に見えている。やっぱり、「リメイク」しかなかったってことなんだね。 でも、昔と同じく、腕組や番組、御女組とか出しといて、骨組やルッ組はなぜ出さなかったのかな。婦組が出せないのは時代に合わなくなってるから解るけど。でも好きだつたんだよ、子役締ひろ(^。^)。今更だけど、どうして新沢さん、アキナやキョンキョンはパロってたのに松田聖子はやらなかったのかな。小松田せいとか聖田松子とでも名前つけりゃ作れたろうにねえ。もしかして嫌いだったのかも。……一部のファンにはブリッコってことで蛇蝎の如く嫌われてたからなあ、聖子。そういう事実も今は世間から忘れられてるかなあ。 なんか話題がずれちゃったな(^_^;)。
マンガ、野中英次『課長バカ一代ベストセレクション 子供用』/『魁!! クロマティ高校』1巻「黎明編」2巻「登校編」(講談社/マガジンKC・各410円)。 しげがいきなりこんなもん買ってきました(^_^;)。 そう言えば、『クロマティ』の連載第1回、『マガジン』で立ち読みしたときまた妙なのが始まったなあ、と思ったもんだったけど、まさかウチに置くことになるとはなあ。 池上遼一の絵柄で会社ギャグ、ヤンキーギャグをやるってだけのマンガだけどさ、もうこの志の低さがすばらしいね。諷刺とか権威への挑戦とかそんなの全くなし。ただひたすらアホなだけ。話が進むにつれてもう、会社マンガかヤンキーマンガかってことすらどーでもよくなってくる。メカ沢ってなんなんだよ、もう。
マンガ、川崎郷太原作・伊藤伸平漫画『突発大怪獣漫画 永遠のグレイス』(少年画報社/ヤングキングコミックス・520円)。 私が買うマンガで、しげが「どうしてつまんないのに買うの?」と文句をつける三大作家はあろひろしと伊藤伸平と小山田いくだと思うが、『課長バカ一代』買ってくるやつには言われたくないもんである。 でもつまんないと言えば確かにつまんないんだよね、伊藤さん。オタクなのは作品の端々見てても解るんで、ついシンパシーを感じて本を買っちゃうんだけれど、オタクにも付き合って楽しそうな人と鬱陶しそうな人がいて、何となく後者のような気がするんだよなあ、伊藤さん。 まず表紙が昭和29年版『ゴジラ』のポスターをそのまんまパロってんだけど、さて、イマドキこれをやらかすセンスをどう思うよ、って問題がまず一つある。パロにしては芸がないし、かと言って若い世代にゃ初代『ゴジラ』も見たことねえって人が多かろうから意味ないだろうし。知り合いや友達が表紙を見たとき、喜んでくれるとでも思ってるのかね、伊藤さんは。思ってんだろうな。困ったねえ。┐(~ー~;)┌ タイトルの『永遠のグレイス』ってのも意味ありげだけれども、「エターナル・グレイス」ってのは「永遠の恵み=神の恵み」を表す言葉らしい。賛美歌にもそういう一節があるし、そういうタイトルや詩を含む曲を発表している歌手も複数いるようだ。原作の川崎郷太監督(すみません、『ウルトラマンティガ』見てなかったんで、どの程度の実力の方かとんと存じ上げませんです)が、このタイトルをどこから引用してきたのかは不明だけれども、作中に特にタイトルへの言及はないから、自由に解釈してくださいってことなんだろう。突然の怪獣の来襲を人々がどう受け入れるか、それもまた神の試練って解釈なのかね。……ちょっとありきたりではないかい? いや、基本アイデアは面白いのよ。あとがきマンガで川崎監督も描いてるけど、「60メートルの怪獣が出て来てもビル一つ離れたら見えない」「事件なんてニュースを見てなきゃ知らずにすんじゃう」という視点から、怪獣の破壊を尻目に自分たちのデートのことだけ考えてる待ち合わせカップルを主人公に、というのは実に映画的で面白いんだけどね。 惜しむらくは、それを演出・表現する実力が伊藤さんには欠けていた、ということだろう。伊藤さんの描くキャラクターの最大の欠点は、好きなキャラの幅が極端に狭いということだ。性格の歪んだ美少女異星人ユニットとか、マシンガンぶちかます美少女テロリストとか、そういう性格破綻者を描かせたらすごく魅力的なんだけども、実は引き出しソレしかない(^_^;)。おかげで、フツーの女の子を主人公として描くことがとことん出来ないんだよねえ。 主人公の麻美、しょっちゅう何か企んでるようなシニカルな表情を見せるけど、別に何も企んでない。つーか、ドラマの文脈から察するに何も考えてないはず。そんなキャラ、伊藤さんの引きだしにはないから、ついそういうチグハグな絵になっちゃうんだな。で、相方の緑坂だって、あそこまでアホで軽薄で外道なキャラに描くことはない。ドラマ上、緑坂は殺せないんだから、バカはバカでも、もちっと感情移入しやすいキャラにしないと、読者はキャラへの反発を「ドラマのつまんなさ」と勘違いしてしまう。そういう演出も伊藤さんには出来ない。多分、心の底からとことんああいう男が嫌いだからなんだろう。 伊藤さんみたいなアニメ絵のなりそこないみたいな絵を描く人じゃなくて、もっと劇画チックな絵の人の方がこのドラマには合ってると思うんだけど、こういう共同作業って、縁だからねえ。この程度の出来に収まっちゃったのはいたし方ないことか。
2001年08月16日(木) 代打日記 2000年08月16日(水) 橘外男&中川信夫ワンダーランド/映画『女吸血鬼』ほか
| 2002年08月15日(木) |
母の呼ぶ声/『フルーツバスケット』5〜9巻(高屋奈月)/『神罰』(田中圭一) |
なんだか疲れが溜まっていて、午前中はひたすら寝る。 どうせパソコンはしげと穂稀嬢が占領してて、日記の更新もできないし。 それに、できるだけ寝て暮らさないと、書きたいことが溜まって、日記の量がどんどん溜まるのだ(^_^;)。
夕方、父と姉と合流して、食事。 初め八仙閣に行くが、団体さんが来ていて30分待ちということで、十徳やに移る。その席で親戚の誰か(顔も知らん)が、今度結婚することを知らされる。 「お前たちの結婚のとき、お祝い貰ったんだからお礼せんとな」 「そんなん貰ったかいな?」 「忘れとうとや!」 しげにも聞いてみたが、私以上に記憶力のないしげが覚えているはずもない。 父、本気で呆れているが、本当に貰ってたとしても、当時から私がお礼のことなんか考えてなかったことはまず間違いないと思われる。 そういう贈答だの親戚づきあいだの無意味な儀礼が大っ嫌いだったから、結婚式だって入籍以来5年以上も挙げなかったんである。それを母が死んで、墓前に結婚写真を捧げたいからと父に懇願されて、形だけということで親戚も呼ばず神主も坊主も神父も呼ばずに、父の弟子たちだけを呼んで挙げたのが我々の結婚式ってやつだったのだ。 その程度のもんだから、私も職場からの祝いの申し出は一切断っている。そんなんにお祝い送る方もどうかしてると思うがな。断るより先に親が受け取っちゃってんだから、どうしようもない。 まあ、放たっときゃ、親が勝手に包んでお祝いとやらを送るだろう。父はしきりに「育て方を間違った」と嘆いていたが、こーゆー性格、小学校のころから変わってないんですが、アナタ三十年以上も気付かなかったんですか。 しかしその貰ったっていうお祝い、いったいいくらで何に使ったのかな。
そのあと、父がすっかり酔っ払ってたので、しげの車に乗せて、マンションまで送る。 初めは「一人で自転車で帰る」と言い張ってた父だが、歩いているうちに、こりゃ無理だと自分で気付いたらしい。5年前なら意地でも一人で帰ってたところだろう。意地っ張りで頑固者の父も自分の肉体の衰えには逆らえなくなっている。 しげの車に父が乗るのは初めてだが、特に怖がってる様子はない。 盆送りの場所の川岸にも車で乗り付け。道幅狭いってのに、こういう迷惑なやつはウチだけかと思ったらほかにも車が2台ほど。全くエゴイストが増えたもんだ。 去年まではみんな自転車で出かけてたんだよなあ。 私ももう自転車で何10キロも飛ばす体力も元気もなくなってきてるから、これからだんだんとしげに頼りっきりになってくんだろう。私が定年になってもしげはまだ40代だから、しげが先にくたびれ果てることはないと思うけど、もしもしげに見捨てられたらって考えたら、自分で自分の処置は考えないといけなくなるよなあ。そろそろそういうことも射程距離に置いとかないといけないトシになっちゃったね。 父は母を送りながら、「あまり、はよう呼ばんでね」と呟く。えらく生に執着してるようだが、残された姉が心配なんである。私の生活のことは父は全く心配してないのだが(心配のしがいがないともゆー)、姉はまだ一人だちしていない娘三人を育てていかねばならないのだ。父の後ろ盾なしにやっていけるものではない。
父には、母の声が聞こえているのだろうか。 夢にでも出てくるか、と聞いたら「全然」と答えられたことがある。 かと思ったら、気配を感じたようなことを言うこともある。 恐らく、全ては錯覚だ。 私は時々、母に声をかける。返事は、心の中に直接「思い」の形で響く。 たいてい、母は怒っているし、恨み言を言うこともある。父やしげへの私の対応が優しくないからだと言う。責められて嬉しいはずもないから、たまにしか声をかけない。母に声をかけるときは、私が本当に疲れているときだ。叱られると解っていても、つい、「どうしたらいい?」と呟いてしまう。母は無言で答える。無言の感覚が伝わってくるのだ。 母の声は、私の罪悪感の現れだろう。 母を仮構しなければ、私は、私自身の罪すら自覚できないほどに傲慢なのだろう。ホントに霊魂になっているのなら、祟ってくれてもいいんだが。 こういうことを書くと、母の声が聞こえるのだ。 「バカが」と一言。
母が意地悪でなければ、あと10年は父を呼んだりはしないだろう。 頼むよ、お袋。
帰宅して、CSファミリー劇場で『快傑ズバット』の第2話「炎の中の渡り鳥」。 こういうタイトル付けといて、「渡り鳥シリーズは意識してない」とか言ってのけてるんだから、脚本の長坂秀佳、鉄面皮と言うか厚顔無知と言うか、人間見えちゃうよな。20年前の脚本に文句付けるのもどうかと思うが、まあ今はもっとひどくなってるから構うまい。武上純希がどんなにヒドイ脚本を書こうが、長坂秀佳にはかなわない。 ブラックハート団の用心棒、居合切りの達人風流之介を演じるのは天本英世さん。各話悪役の中でも一番ギャラが高かったんじゃないかな。テロップでも一枚看板だったし。けれど、身長がすごく高い方なんで、宮内さんとの背丈の差を誤魔化すのにカメラが苦労してるね。若いころから猫背で演技させられることが多かったけれど、居合切りの達人って設定も、腰を低くさせるための方便って気がしないでもない。でも天本さんの代表作はやっぱり背筋をピンと伸ばしたキャラに限るんである。 みどりとオサムの二人、第2話にして、はやくもいてもいなくてもいいキャラに成り下がっている。早川がブラックハート団に入るフリをするのも30分の短い枠の中ではほとんど無意味。いいよなあ、いくら手を抜いても脚本として扱ってもらえるってのは。
マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』5〜9巻(白泉社/花とゆめCOMICS・各410円)。 途中で読むのをやめてた分を一気に読了。 でも、まとめて読んでもあまり進展がないなあ。十二支なかなか全部揃わないし、慊人は思わせぶりな行動取るばっかりで、なかなか仕掛けてこないし。やたら回想シーンが入るとこも含めて、こんな展開どこかで見たなあ、と思ったら『ワンピース』だった(^_^;)。シリアスとギャグを適度にマゼコゼするあたりもね。人気がある理由もわかりはするが、なんだか今一つドラマの「幹」がないというか、盛り上がりに欠けてるよなあ。 うおちゃん、はなちゃんの過去なんか、番外編で書きゃいいんであって、本編に差し挟んでも、ドラマの流れ中断させるだけだと思うけど、ファンの声に答えたんだろうね。あの二人、人気ありそうだし。 はなちゃんとかあーやとか、コメディリリーフの役を果たすキャラって、ドラマツルギーから行けば狂言回し以上の働きさせちゃいけないんだけど、この作者、それを知っててワザと崩してるんじゃなくて、単に語り口がヘタなだけって感じだから、そのうちカベにぶち当たっちゃうんじゃないかなあ。 それにしてもアニメはどこで結末つけたのかな。まだ9巻かけてもほとんど事件らしい事件起こってないんですけど。
マンガ、田中圭一『田中圭一最低漫画全集 神罰』(イーストプレス・1049円)。 この人のマンガを買うのって、『ドクター秩父山』以来だが(もう15年も経つのか)、こんなに絵柄が変わっていたとは(^o^)。 いやね、『コミック伝説マガジン』に『グリンゴ』の後日譚を描いてた時点で、この人、手塚治虫の絵を随分本気で研究してるなあ、とは思ってたんだよ。だってねえ、普通、手塚治虫を模写しようと思ったらさ、『メトロポリス』や『来るべき世界』のころの描線か(スノウチサトルが描いてたね)、アニメ的に整理された『鉄腕アトム』後期のころの描線か、どちらかを選ぶ場合が圧倒的に多いんだよね。 それを田中さん、ハッキリ手塚さんの表現力が落ちてきた80年代の線をベースにしてるんだよねえ。これがまた実によく似ているのよ。コイズミ首相の似顔絵にもよく表れてるけれど、田中さんは手塚さんの描線、デザイン能力を自家薬籠中のものとして、新しいキャラクターを作れる域にまで達しているのだ。これほどの能力、水木しげるの線をモノにした森野達弥と肩を並べるほどだ。 本人の意図はどうあれ、結果としてこれはもうイヤガラセ以外の何物でもない。なんてったって、その内容ときたら、明確なパロディはほんの少し、ほとんどが単なるエロ・シモネタマンガを「手塚のキャラで描いた」だけのシロモノなんでねえ(^_^;)。 装丁は『手塚治虫漫画全集』のまんまっつーか、ここまで似せてたら盗作と言われてもしかたないくらい。オビに踊ってる手塚るみ子の「ライオンキングは許せても田中圭一は許せません!」のコトバ、ちょっとマジ入ってないか(^o^)。 いやまったく、手塚治虫を神様のように思ってる人にとっては、マジでこれ、噴飯ものではなかろうか。
でもねー、これがねー、恐ろしいくらいに面白いのよ。いや、ギャグはつまんないんだ。ギャグだけを取り上げて説明したら、もうしょーもないというか、誰も笑わねーだろーってくらいにベタ。 例えば、こんなギャグ。シスターが寿司屋を開いているが、海苔を切らしてしまう。主に祈ると、そこに中国皇帝が現れて、冠のてっぺんを剥ぐとそれが海苔。皇帝曰く、「だめだよ、きらしちゃ。」。 ……面白い? これだけだと全然笑えないね。 あるいはこんなの。 愛するシモーヌが死ぬ。夫の脳裏に走馬灯のように浮かんでは消える彼女の思い出……。「あなたのいちもつを見ていると安心するの」「え!? 理由? あなたのいちもつが立派だったからよ」「よかった!あちこちケガしてるみたいだけどいちもつだけは無傷だわ!」「あなたのいちもつだけでいいの!! ほかになにもいらないわ!!」「あなたのいちもつのことで頭がいっぱいだから!」……。 なんだか書き写してて人生が無意味に思えてきた(-_-;)。 つまんないなー。とことんつまんないなー。 これだけで笑えるという人がいたら、そいつのギャグセンスを私は思いっきり疑っちゃうぞ。
けれど、これらの最低最悪なギャグが、カンペキな手塚治虫の絵で描かれるのですよ。これがどれだけすごいギャグだかおわかりいただけますでしょうか? え? 神様手塚をとことんコキ降ろしてるのが痛快だからだろうって? 違います。 何がすごいかって言うと、生前の手塚治虫のギャグセンスが、まさしく田中圭一と同レベルのどーしょーもないものだったからです! つまり、このマンガ、手塚治虫が描いたと言っても通用する作品になってるんですよ! あ、信じてませんね? でも、冷静になって考えてくださいな。ヒョウタンツギとかブクツギキュとか、あなた、ホントに面白いですか? ピノコのアッチョンブリケで笑った人いますか? 『新・鉄腕アトム』に出てくるロボット・アトラスなんて、おしっこ引っ掛けて敵を爆発させる仕組みになってるんですよ。これでギャグのつもりだったんですから、あの神様は。
誰かをからかったり、バカにしたりすることを極端に嫌う人がいるが、悪口雑言には権威的なもの、抑圧的なもの、絶対的なものを相対化する作用もあるのである。手塚治虫を神棚に祭り上げて信奉するだけではその価値を冷静に判断することはできなくなるだろう。 手塚治虫はいやらしい。手塚治虫はくだらない。だから面白い。田中圭一は絶妙の模写でそれを証明してくれているのだ。こうなったら『グリンゴ』だけじゃなくて『ネオ・ファウスト』も『ルードウィヒ・B』も『火の鳥 アトム編』も全部田中圭一に続きを描いてもらったらどうだ。全部エロにして(^o^)。 ブラック・ジャックとロックが懸命になってギャルゲーの中の和登サンやサファイアやメルモを落とそうとしてる姿って、リアリティあるよな。手塚治虫がもしも生きてたら、ブラック・ジャックの新作で絶対に似たようなシーンを描いてたに違いない。なんたっていしかわじゅんと吾妻ひでおのキスシーンまで描いてた人なんだから。 でも藤子・F・不二雄の模写は似てないぞ。永井豪はまあまあ。本宮ひろしと福本伸行は……まあいいか(^_^;)。
DVD『パワーパフガールズ』をかけながら寝る。
2001年08月15日(水) 代打日記 2000年08月15日(火) 盆休みも終わり……なのに毎日暑いな/映画『シャンハイ・ヌーン』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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