無責任賛歌
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| 2002年07月27日(土) |
イナジュンはいいねえ〜♪/DVD『カタクリ家の幸福』/『雨柳堂夢咄』其ノ九(波津彬子)/『ガンダムエース』9月号ほか |
休日につき、のんべんだらり。 って、それっていつもか(^_^;)。 どこかに出かける気も起こらなくて、昼食は久しぶりにピザクックに頼む。 床に新聞が散乱する中から、しげが最新のメニューチラシを探し出す。……だから新聞まとめて廃品回収に出すことくらいしろってば。 しばらく食べてなかったら新メニューもいろいろ増えてるねえ。なんだかよくわからないが、きのこっぽいのとアイダホっぽいのを頼む。一応野菜メインのものを頼むようにしてるんだが、少しはカロリー制限になってるかどうか。
CSファミリー劇場『稲川淳二の超こわい話』『超こわい話2』。 「夏と言えばイナジュンよね」のギャグは細野不二彦の『ごめんあそばせ』。いやあ、あのギャグは好きだったなあ。このマンガを読んだことのある人なら「イナジュン」と聞いたら、稲垣潤一ではなく稲川淳二のことであると認識するようにならねばモグリであろう。何のだ。 あ、でも私マジで、もうひとりのイナジュンって誰だったっけ? と、Google検索かけなきゃ思い出せなかったよ(^o^)。 でも、全然怖くないなあ、イナジュンの語り。っつーかヘタだよ、すごく。妙に念を押すような、反応を窺うような姿勢が客をシラケさせる原因になってる。怪談ってのは客を自分の方に惹きつけないといけないのにねえ。自分から客のほうにノコノコ降りてっちゃ、恐怖も半減しちゃうよ。 全く、いったい、いつから「怪談はイナジュン」ってことになっちゃったのかねえ。でも考えてみたらフォークロアとしての怪談を語ってる人って、あとは私ゃ北条きく子(今の北條霊峰)くらいしか知らない。古すぎるな。つまりイナジュンが重宝されてるのは、「他にいない」ってことなんだろうね。 それでもたらたらとイナジュンを見ていたら、寝室のほうからしげが寝惚けた声で「いやああああ」と悲鳴。悲鳴って言ってもヤギの鳴き声にしか聞こえない(^_^;)。どうやらイナジュンの語りに反応して目が覚めたらしい。でも、こんな下手な語りですら怖いものなのか。しげだってイナジュンのギャグには笑った口だから、これくらい、笑って見てもいいと思うのに。 ……さて、これだけ「イナジュン」を連発すれば、もうみなさんもこれから先「イナジュン」と聞けば稲川淳二を連想するようになったことでしょう(^o^)。時代はイナジュンだ。
DVD『カタクリ家の幸福』。 特典はキャストへのインタビューだけれど、松坂慶子のときだけビデオがハレーションを起こす(^_^;)。……シワ増えたんだろうなあ、ハダも荒れてるんだろうなあ、シミも出てるんだろうなあ、○○も○○たんだろうなあ、もう50歳だっけ。映画本編だとうまいこと紗をかけてたからあまり目立たなかったけれど、ビデオだとハレーション起こさないと誤魔化しようがないんだな(^_^;)。 実は隠れ松坂慶子ファンの私にしてみれば(さすがに『ハットリくん』のころまでは遡れないが、『なんたって18歳』のころはもう認識してた。あの頃はどっちかっつーとキツイ役や悪女役が多かったが、今や気のいいオバサン役ばっかりになっちゃったね)、随分遠くまで来たのだなあ、と感慨深い。あまりムリはしなくてもねえ、普通におばあちゃんになってくれてもいいと思うんだけど。 それにしても、キャストがみんなホントに楽しそうにインタビューに答えてるのな。三池監督の誉めかたも全然お世辞っぽくないし。実際、撮影中の監督、実に楽しそうで怒鳴ってダメ出しするような様子が全くないんだよな。こんなにスタッフ、キャストが和気藹々としてる様子を見せてくれるメイキングも珍しい。ギスギスした雰囲気がピリピリ伝わってくる『ガメラ3』のメイキングとは好対照だ。これだけ平和な現場ってのもそうそうないんじゃないかな。大林宣彦だってもう少し役者に文句つけそうなもんだ。 しかも三池崇史監督の模範演技が実際のキャストより数弾上手いのにはビックリ。動きにキレがあるんだよね。大きな声じゃ言えないが、主役の父さん(あるいは詐欺師のアンちゃん)、三池監督が演じてもよかったんじゃないか。 ああ、そう言えばこの映画のCD、買おう買おうと思って忘れてたな。やっぱり丹波哲郎の歌声が聞けるってだけでもこれは絶対買いだよな(^o^)。
夜はリンガーハットで食事。 と言ってもしげは自分の店では食べたがらないので、わざわざ諸岡まで出かける。ホンダを回ってまたまた本を買い込み、皿うどんと一口餃子のセットを食いながら本を読む。しかし、読みながら食ってるので味はほとんどわからない。 食ってる間は本を読まなきゃよさそうなものだけれど、なぜか食うことだけに集中できないのである。家で食事をするときでも、テレビを点けるかDVDをかけてないと落ち着かない。食事するだけなんて、なんだか時間をムダにしてるような気になっちゃうのである。 けれど、リンガーハットで『ガンダムエース』読んでる客って、店側から見れば気持ち悪いかもなあ(^_^;)。
マンガ、波津彬子『雨柳堂夢咄』其ノ九(朝日ソノラマ/眠れぬ夜の奇妙な話コミックス・910円)。 コンスタントに釉月&篁のエピソードとそれ以外の奇談とが語られる形式が定着した感じで、これがいいリズムを作っている。語りがぎこちなかった初期の頃に比べると、随分面白くなった。 『午後の清香』や『おつかい猫』の話、本当に中国の古譚にありそうなくらいに完成度が高い。いや、語りのうまさだけでなく、登場する精霊たち、付喪神たちのことが愛おしいと思えるくらいにその細やかな感情が描かれていることに感嘆する。これでもちっと絵が上手くなってくれればなあ(^_^;)。 けれどまだ完結してないのにもう文庫化されちゃってるんだなあ。それが悪いって言いたいわけじゃないけど、文庫の乱発って、長い目で見たら漫画出版の低迷を呼びはしないか。今の状態、間違いなくマンガのバブル状態だもんね。 どうせなら、今まで単行本化されてない作品や、絶版作品を文庫で復刻してほしいものだけれど。 朝日ソノラマさんよう、速星七生の先生もの(タイトル忘れた)、『たい問』に併録して文庫化してくれよう。
モンキーパンチ責任編集『ルパン三世 公式OFFICIAL MAGAZINE』WEEKLY漫画アクション8月19日増刊号(双葉社・500円)。 頼むから通巻番号付けて(T∇T)。巻頭対談はモンキー・パンチ、大塚康生、おおすみ正秋、納谷悟朗の四人。 中身はほとんどはもう知ってる話ばかりなんだけれど、納谷さんが銭形を演じることになったのが、納谷さん自身の売込みだったということは今回初めて聞いた。パイロット版で五右衛門演じた時、納谷さん「セリフが少ない、やるなら銭形」と感じたんだそうな(^o^)。しかしパイロット版通り、銭形を近石真介さんが演じてたら、もう初めからコミカルな銭形になってたろうなあ。 けれど納谷さんが当時の出来事で覚えてるのはそのくらいで、最初のころの銭形がシリアスだったことや、自分がオープニングでナレーションを担当したことがあることもすっかり忘れているのである。ホントにボケてるよ納谷さん(/_;)。 笑えるのはみんなで新作の『ファーストコンタクト』をけなしていること。身内が営業妨害してどうするのか(^o^)。 モンキーパンチの単行本未収録再録漫画は『銭さんサスペンス』。 あ〜、センスかなんつ〜かアメリカのカートゥーンだね。ハンナ・バーベラの『チキチキマシン』とかワーナーの『ロードランナー』とか。しかしこれだけコミカルな銭さん描いてたら、「銭型はもともとシリアスだった」ってモンキーさんの主張、根拠が薄らいじゃうね。
『ガンダムエース』9月号(No.006/角川書店・650円)。 表紙は「マチルダさぁぁぁぁん」。 ……うーむ、今やショムニだったり千本ノッコだったりする戸田恵子さんが当時、椎名へきるを越える声優界のすっげぇアイドルだったことを知る人は少なくなったろうなあ。何しろ、ほとんどマチルダさんとイメージが一致していたのである。アムロの叫びをわが叫びと感じていた男どもが全国に何万人いたことか。私もLPまだ持ってるっスよ(^_^;)。「か〜ぁれ、分かってくれたらしぃ〜いのっ♪」誰も知らんか。
テレビ新シリーズ『機動戦士ガンダムSEED』の紹介グラビア。 監督の福田己津央さんって名前初めて聞くけどサンライズの新人さんなのかな。世代交代は大いに歓迎したいところだけど、番組そのものはあまり魅力的に感じないなあ。 ストーリーもキャラクターも、なんだかファーストのリメイクの『W』の更にまたリメイクって感じだ。 ストライクガンダムにイージスガンダムにデュエルガンダム、バスターガンナダム、ブリッツガンダムですか。Gガンの時に既にもうなんでもアリだなあ、と思ったから、もう新鮮味全く感じないねえ。 それでも放映されれば多分見ちゃうんだろうけど。
安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』。 ガルマ編、やっぱり今号で終わらなかったなあ、124ページも使ってるのに。ここまでが3巻とすると、4巻まではかかるか。更にその後グフとの戦いも含めると、5巻で映画版第一作の終わりあたりまでという計算になるかな。となると全15巻。……やっぱりテレビでカットされた分も含めて、20巻くらいは行ってほしいぞ。ちょこちょこと元シリーズになかったエピソードも加わってるし。 ……と言っても一応全話見ているとは言え、私も記憶だけでモノ言ってるから自信がないこと夥しい。セントアンジュに向かう母子のエピソード、テレビにあったっけ? ドレン中尉の水着は絶対なかったと思うが(^_^;)。イセリナ、もっと水着見せい。 安彦さん、旧シリーズでも映画版でもイセリナをただのバカな女にしか描けなかったのが残念、とか言ってたから、キャラクターをもっと膨らましてくれるかと思ったけど、今のところはまだそれほどの印象はなし。……でも、ガルマが死ぬとき、イセリナが走って来る映像をインサートするのは止めてほしいな。世間は広いから、もしかしてあれが気に入ってる人もいるかもしれないけど。でも、当時、劇場じゃあそこで失笑が起こったんだけどねえ。
他のマンガで読めるのはやっぱりトニーたけざきさん、大和田秀樹さんくらいしかいないなあ。北爪さんも夏元さんも美樹本さんもどこか同人誌の域を出ていない。さとうげんさん、徳光康之さんは相変わらずパロディになりきれていない。徳光さん、連載打ち切られてるし(^_^;)。 今更、パロディ論を云々したくはないけど、やっぱ元ネタ知らなくても笑えるっていう点を考えてマンガ描いてる人と、そこに気がついてない人との差がハッキリしてるんだよね。
巻末の安彦良和VS高千穂遙対談、今や知る人ぞ知る『OUT』1981年2月号に載った、高千穂さんの「ガンダムはSFじゃない」発言を巡る対談だ。 全く、この人のおかげでどれだけSFの敷居が高くなったことやら(^_^;)。 何しろ、当時、九州の僻地であるわが母校においても、高千穂発言に追従する自称SFマニアと、私のような横田順彌系の「SF何でもアリ」派とが口角泡を飛ばしてSF論議をやらかしていたのである。多分、その様子を見ただけで、「SFには近付いちゃなんねえだ」と思ったトモダチは多かったろう。 で、この人が当時どう発言していたのか、今回の対談から抜き出してみるとこういうことになる。
高千穂「《ガンダムはSFではない》って書いたわけじゃなくて、《SFはこうである》という前提を披露した上で、その前提にのっとれば、巨大ロボットアニメはこういう理由でSFではなくなる。その例のひとつとしてガンダムについて書いた」
つまり、「ガンダムはSFじゃない」とは言っていない、あるSFの定義において、「ガンダムがSFでなくなる場合もある」と言いたいわけね。 まあねー、言いたいことは分かるけど、ハッキリ言ってそんな細かい区別をしたって意味ない。 ガンダムが立派なSFだと思ってる人にとっては、たとえ「定義次第では」という条件つきでも「SFでない」と言われれば立腹するものである。高千穂さんは「ガンダムをSFかどうかで評価することに何か意味があるんですか?」と逆に問いかけてるけれど、だったら、ある作品がSFであることを分析することに、どのような意味があるのか、そこを説明しないとねえ。 だから、もともと「SFを語るのに、例としてわかりやすいロボットアニメを挙げた」こと自体に、誤解が生じた原因があったのだ。自分がSFでないと考えているものを例にとって、SFを語っちゃいかんですよ。そんなの、「『おそ松くん』はSFではない」と言ってるのと同じだってば。……『天才バカボン』はSFかもしれんが(^o^)。 SFの特徴を語りたいなら、『クラッシャージョウ』と『2001年宇宙の旅』は同じSFでもどう違うかって語ってくれたほうが分かりやすかったと思うけどね。 もっとも、一応、それに近いことを語っている箇所がこの対談中にもありはする。 高千穂「ハードSFっていうのは制約を極限にまで高めた特殊なSF。それ以外に、プロパーと呼ばれる本格SFや、うんと端っこに位置しているスペースオペラなんかがある。(中略)スペ・オペをやる人は最初から理論抜きで反重力もワープ航法も出しちゃう。」 安彦「例えば『クラッシャージョウ』でいえばテラフォーミング的な事ができるとかさ。」 高千穂「テラフォーミングやる時は、担当するチームが全部集まって各パートを受け持ち、何年もかけて作業を行う。そういう設定が作ってある。でも、これをわざわざ表に書く事はしない。スペースオペラですから。」
うーん、まだ説明不足だし、じゃあ、『ガンダム』は結局どこに入るのか、語ってないものな。 そりゃ私だって、『ガンダム』がハードSFであるとは思わない。誤解のないように、ハードSFとしての面白さを持った作品ではない、と言ったほうがいいか。それは、オープニングの宇宙空間で整然と並んでる戦艦やザクを見た時点で、SFセンスよりも映像的快感を優先しているなとわかる。もちろん、それで『ガンダム』の評価が悪くなるわけではないのだ。そして広義のSFには『ガンダム』は充分値すると思うのである。 高千穂さんが「巨大ロボットが出て来た時点でSFとしてダメ」と断定するのはSFの範囲をあまりに狭く取り過ぎてると思う。必然性がないってことなんだろうけれど、ちゃんと「ミノフスキー粒子」って設定があるじゃん。っつーか、どうも高千穂さん、ミノフスキー粒子が何か知らないで語ってる気がするんだよね。『宇宙の戦士』のパワードスーツを評価している高千穂さんが、どうしてモビル・スーツを評価できないのか、設定知ってりゃ評価したってよさそうなもんだけれども。 もっとも、そのミノフスキー粒子の設定が本編中でまともに語られたことがなかったせいで、高千穂さんがあれを「ただの巨大ロボットアニメ」と認識した可能性はあるな。私だって、『ガンダム大辞典』で初めて知ったし。 こうなると、高千穂さんには「『エヴァンゲリオン』はSFですか?」と聞いてみたくなるなあ。単に使徒と戦うためだけと考えたなら、エヴァみたいなモノに乗り込む必然性はないけれど、そこに代理戦争の変形モチーフを持ちこんだSF設定があるんだからね。それまで否定したら、藤子・F・不二雄の『ひとりぼっちの宇宙戦争』も永井豪の『真夜中の戦士』も石ノ森章太郎の『四次元半襖の下張りサイボーグ戦士(ウォーリア)』もSFじゃなくなるぞ。そこまでの暴論を高千穂さんは吐けるかなあ。
2001年07月27日(金) 『クレしん・オトナ帝国同人誌』完成!掲示板も見てね/『怪』11号ほか
| 2002年07月26日(金) |
親しき仲ほど礼儀なし/『風の帰る場所』(宮崎駿)/『うっちゃれ五所瓦』1・2巻(なかいま強)ほか |
『北の国から』がようやく終わるそうである。 そのことを知ったのが、内田有紀と吉岡秀隆の熱愛発覚のニュースなんだけど、もしかして話題作りのためのガセか? でもこの二人なら何となくありそうだよなあ。 10年ほど前のアイドル人気のピークが過ぎて、内田有紀は本気で「役者」になろうと舞台出演などを繰り返している(テレビでは未だにどーでもいー役ばかり振られてるしな)。その意欲は買うけれど、選んだのがつかこうへいの舞台って時点でなんか外してたよな。そして今回が倉本聰である。でもって、吉岡秀隆コースに流れるというのは、演技者としても「転落」っぽいんだけど。なんとなく永瀬正敏と結婚した小泉今日子のラインに乗っちゃった気がしませんか。 これが渡部篤郎と結婚した村上里佳子(RIKACOになってるのか戻ってるのか覚えてねー)だと出世したってイメージなんだけどね。いや、あくまでだのイメージでホントに出世してるかどうかはこれも定かではない。 それはそれとして、シリーズ最終回『北の国から 2002 遺言』である。「遺言」とはまたいかにもクラモトなハッタリかましたタイトルやなあ、と思うが、田中邦衛死ぬのか。ラストが、五郎が静かに息を引き取るシーンで終わったりしたら、倉本版『ゴッドファーザー』って雰囲気になりそうだよな。根は同じだし。 とか言いながら、実は私は『北の国から』シリーズをまともに通して見たことがないのである。初期の作品は児童文学としても評価されてるし、チラチラと見てはいたのだけれど、世間の人ほどハマれはしなかった。まずさだまさしのテーマソングで引いたし(^^)。都会の生活に疲れたからって富良野へってのも短絡的だなあ、と思ったが、倉本さんの作品ってどれもこれも苦悩とか情念とかそんな心のマイナス要因をムリヤリ美化してるような胡散臭さを感じるんでねえ。っつーか、『前略おふくろ様』以降、どれもこれもなんか田舎臭くて。 ああ、でもマトモに見てないのに断定しちゃいかんな。『浮遊雲』は好きでしたね、渡哲也版の。時代考証無視したり、歴史上の人物が素通りするだけのギャグとか。ギャグもっと書いてよ倉本さん。 で、私は今度の『遺言』を見るだろうか。内田有紀の役は人妻だそうだが、全く純っつーか吉岡秀隆は不幸な恋が似合う男だ。
宮崎駿『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』(rockin'on/1680円)。 1990年から2002年まで、渋谷陽一による宮崎駿のインタビューを集めたもの。 ……すごいなあ、表紙。タイトルより「宮崎駿」の名前の方が大きいよ。 宮崎さん本人がいくら「宮崎ブランドなんてものはない」と言い張っても、そりゃ通らんリクツだってことだよな。 なんだかなあ、ナウシカ以前から「宮崎駿はいいぞ!」といくら主張しても「ふ〜ん」ですまされてた身にしてみれば隔世の感があるな。今は「『クレヨンしんちゃん』はいいぞ!」と言いまくっててて相手にされてないが。 DVD『名探偵ホームズ』の特典解説で鈴木敏夫プロデューサーが語ってたが、ナウシカ以後でも、『アニメージュ』で宮崎駿を特集すると売り上げが落ちたそうである(←実話)。 1980年代のアニメファンの人気は『ガンダム』『銀河鉄道999』に集中していて、宮崎駿っ誰? ってのが当時の一般常識であった。アニメファンと言っても、『カリオストロの城』の追っかけアクションに驚嘆していた連中はごく少数で、総体として『ヤマト』以降の俄かファンばかり、たいしてオタクとは言えない連中が多かったのだ。……思い返すに、私の周りの人間が濃いドオタクばかりだったというのは僥倖だったのかもしれない(不幸という説もある)。 宮崎駿の名前が本当の意味で「ブランド」となったのは、『となりのトトロ』がキネ旬ベストテンなどで評論家からの評価を得て後のことである(『トトロ』自体の興行はコケた)。具体的には『魔女の宅急便』以降ということになろう。情けない話で、大半の日本人は未だにアニメに対して偏見を持っており、誰かおエラいさんが誉めてくれないと、それが自分の眼で本当に面白いかどうかを確かめようとはしないのである。 そのことを一番身を持って感じているのが宮崎駿だろう。自分が売れない映画を数々作ってきたことも実感しているし、今、売れているからと言って天狗になっているわけでもない。渋谷陽一のヨイショ気味なインタビューにも、宮崎さんは自らの傲慢を(ないわけはないと思うが)戒め、注意深くかわし、それでいて言いたいことは好き放題言っている。全く食えない爺さんだ(^_^;)。 だから、一部の言を切り取って、宮崎駿を批判することは簡単だが、「子供は毎日『トトロ』ばかり見てないで外で遊べ」等のセリフが決して自尊心の裏返しでなく、本気で言ってるんだということもインタビューを通して見えてくる。そりゃ、そんなガキがいたらフツーの親なら少しは外に出ろって言うだろうに。オタクのマイナス面までフォローしてやるのは甘やかしってものである。 宮崎さんはただのエコジジイではない。もっと性根の腐ったクソジジイなんである(←これ、誉め言葉だからね。平凡な人間に傑作は作れないよ)。
仕事帰りの車の中で、しげの職場の裏話を聞く。 いやあ、面白いなあ、これはここに書いておきたいのだが、さすがに個人のプライバシーに関わりすぎるからちょっと憚られるなあ。 と言っても、相手の身を配慮して、なんて殊勝な感覚から遠慮しているわけではないのが私の人間性が腐っているところである(^o^)。
ネットでほかの人の日記を覗いていると、職業からプライバシーからもう曝け出し、なんてものもザラにあって、ハンドルネーム使ってりゃもう何書いてもいいと思ってるんだろうなあ、と感嘆することもしばしばである。 その基本姿勢には大いに共感するが、不思議なもので、自分の内面を思い切り書いときながら、読者から内容について批判的な感想が寄せられたら、今度は自分の殻に閉じこもっちゃってサイトを閉じちゃう人も未だに多い。いったい何を考えてサイト開いたんだろうね。「もう日記を書くのやめようと思います」なんて簡単に書いてたりするけど、初めから何も考えてなかったんじゃないか。 ……こういうこと書くとまた、「人がみんなあなたみたいに強いとは限らないんですよ、救いを求めてサイトを開く人もいるんですから」とか批判を受けたりもするのだが、私ゃ別に強くなんかない。だいたい「トモダチの輪」とか「憩いの場所」を求めてサイトを開くって発想自体、ネットってものの性格が全く理解できてないのではないか。 基本的に、ネットにプライバシーはないのである。 ネット自体が一つの大きなフォークロアの温床であり、そこに「プライバシーを暴くな」なんてキレイゴトを持ちこんだって、そりゃ逆にバカにされるだけの話だ。現実の世界だって人の口に戸は立てられないんだから、真実もデマも含めてウワサが一人歩きするのがネットの特性である。 ネットにだってマナーは必要だろう、という反論もあろうが、「ネットマナー」と言うのは、たとえどんなウワサが流れようが、情報の受け手がそれを鵜呑みにしない姿勢を持つことなんであって、他人に「ウワサを流すな」とか発言の規制をすることではない。掲示板に「中傷の書きこみはご遠慮下さい」と書いてあるサイトは多いが、そんなん本気の荒らしにあったら屁の役にも立ちゃしないでしょ。 要は荒らしにあったらどう対処するかって覚悟が管理人にあるかどうかってことになるんだが、どうもそのへん甘く考えてる人が相変わらず多いみたいなんだよねえ。だからすぐにサイトを閉じてしまう。サイト開くんだったら、自分と合わない意見の書きこみがあることぐらい覚悟しとかないとねえ。 ……山本弘さんとこのSF会議室、定期便のようにトンデモさんが来てるけれど、ホントによく頑張ってるよなあ(^_^;)。
だからまあ、本来日記には何書いたっていいとは思うんだけれど、それでも日記にプライバシーを書きにくいのは、たとえそれがどんなに面白いものであっても、論争になれば、論点が「プライバシーを晒すことの是非」ってことだけに集中してしまうからである。そんなん論議したって、晒す人は晒すんだからしょうがないじゃんかよ。 それに、書き手はどんなにプライバシーを書きたててるように見えていても、それは文章化した時点でそれが自分のものでも他人のものでも客体化してしまっている場合が多い(そうでないやつも確かにいるが、文章に一家言のある者なら、そこはキチンとしているものである)。面白いのはあくまで出来事そのものなのであって、個人の人格まで面白がってるわけではないのだ。人のドジ話を笑ったりするのはたいていそんなものであろう。「アイツもバカだよな」と口にはするが、相手を個人的に嫌っているわけではない。それは文章を読めば見当がつくことだ。 他人のプライバシーを傷つけるべきではない、というのは確かに正論ではある。しかし、これを声高に言う人って、公的な部分までプライバシーに入れちゃう人、多いんだよねえ。『脱ゴーマニズム』の作者もそうだったけれど、小説や映画の批評や、役者の好き嫌い、時事評についてまで「悪口言うな」って文句つける人がいるのだ。自分が正論言ってるって思いこんでるから、現実的には頗る常軌を逸してることを言ってるってことに全く気がついてない。自意識過剰だから、まるで自分が責められているように錯覚してしまって、誰かが誰かを批判するという状況自体が許せなくなってるんだろう。 だいたい外国のプライバシーの感覚と、日本人の考えるそれとでは相当にその内容に差があるのである。日本人はやっぱりウチソトの意識で個人情報を判断してるんで、同じ情報でもウチの人間が語ると許されて、ソトの人間が語ると弾劾するのだ。自分勝手っつーか、サベツなんだけどな、それって。ウチの人の情報だからと思って面白がって喋ったら「親しき仲にも礼儀ありじゃないか」と言われたことないかね。もちろんそれはソトの人間として阻害されたってことなのである。 ま、そんなわけで、しげの職場の話はしげ自身が語らないと、私が語るとソトの人間が介入するってことになるから今回は遠慮しておく。……なんだかすっかり思わせぶりですまないねえ。
晩飯はまた「びっくりドンキー」。 しげのルンバルンバはもう定番である。 「あ、ここのハンバーグ、トッピングもできるんだ」 初めてそのことに気がついたので、目玉焼きとパイナップルを乗せてもらう。 しげ、「ハンバーグに果物って合うと?」と胡散臭そうに言う。 「合うも何も、たいていのソース類に果物は入ってるじゃん」 少なくとも、昔、牛乳とレモンを混ぜて「ヨーグルト」と称して飲ませようとした味覚音痴のしげに言われたくはないな。
金曜ロードショー、アニメ『ルパン三世 episode:0 ファーストコンタクト』。 毎年恒例のスペシャルだけれど、もうそろそろテレビシリーズのパート4を作ってくれないものかねえ。キャストの老齢化も激しいし、掉尾を飾る意味でも「最後の」テレビシリーズを望みたい。今回わざわざ「エピソード0」とまで銘打ったのは「仕切り直し」の意味が強いんだろう。これがテレビシリーズの布石、と考えるのは穿ち過ぎかな。 ルパンと次元、そしてもちろん不二子や五右衛門、銭形のとっつぁんとの出会いを描くという発想そのものは悪くはない。 なんだかルパン一味が馴れ合いのような関係になってる最近のシリーズのマンネリ化を打破するために、かつての緊張感溢れる関係を描くことは、一人一人のキャラクターにスポットを当てて掘り下げることになる。それは確かにある程度成功してはいる。 原作や旧シリーズとの違いには目をつぶろう。あくまで旧作に固執しては「エピソード0」自体が作れない(だってこの五人が同時に出会うなんてありえないから)。 ルパンを殺そうと狙い続ける次元、ハードなムードは一応出せている。ただ、なぜルパンに心酔するに至ったかの描写が弱い。それは不二子、五右衛門も同じで、敵がヨワっちぃせいで、彼らが結束しなければならない理由付け自体が弱くなってしまっているのだ。危機一髪を切り抜ける時の脚本、演出のアイデアが決定的に欠如している。 何より、銭形のとっつぁんがどうしてあそこまでルパンを追い続けることに固執するのか、その理由がほとんど描けていない。毎回思うんだけれど、どうして脚本が欠点になるかなあ。いっそのこと次回作品は一般公募してみたらどうかとまで思う。
マンガ、倉田真由美『どっちが委員会!? 世の中の小問題を考える毒舌バトル▽』(講談社・KCデラックス・900円)。 今がチャンスだ、稼げよくらたまって感じで新刊出しまくってるなあ。 でも、マンガとして面白いかどうかってことになると、普通の常識を持ってる人なら、これはちょっとねえ、と、ためらうところだろう。しげは「これまでの倉田さんのマンガの中で一番つまらない」と言い切ったが、そこまで言わんでもとは思うが、納得はする。 というのもねえ、「世の中の小問題を考える」とあるけどねえ、扱ってるネタがねえ、ど〜いうんかっちゅ〜とねえ。 「彼にするなら、年上の彼と年下の彼、どちら?」 「女友達にするなら、美人? 不美人?」 「水着を着るなら、ビキニ? ワンピース?」 「長くてかっこいい足と放漫な色っぽい胸、どっちがほしい?」 「ダイエットするなら、食事制限? それともスポーツ?」 「ブランド派? ノーブランド派?」 「フォーリンラブするなら、渋い中年? さわやか美少年?」 あ、そこの一般常識持ち合わせてる男性諸君、脱力しない(^_^;)。私もあまりにもバカバカしくって、とても目次の全項目、引用する気になれんのよ。 「世の中にくだらないものなんてない」が私のモットーではあるが、これは本気でくだらない。女から見た価値基準、という点を割り引いても、目次の項目の価値基準で、なるほどと首肯できるものがただの一つとしてないのだ。っつーかよ、男でよ、「年上の彼女と年下の彼女のどっちがいい?」なんて話題するやつって、まずいないし、そんなん気にしてるやつがいたら、まず確実にバカ扱いされるよ。 こんなどーでもいいことにだけ拘れるくらたまさんという人は何者なのか。 もちろんバカなのである。 でもしげから見てもバカに見えるみたいだから、これはもう本気で究極のバカなのではあるまいか。 私も世の中のバカに対しては比較的寛大な方ではないかと思うが、ここまでバカの烙印押して構わないと思えるような女性って、そうはいないよなあ。 男から見たら、こういうことに拘るバカ女は、どう扱っても痛痒を一切感じないのである。弄んで捨てても全然平気なのである。くらたまさんがだめんずうぉ〜か〜になるのも自業自得だなあ、という気がしてくる。 しげが一番ハラを立てていたのは、くらたまさんが何本かの原稿を収録しなかったことだ。後書きで「この頃描いた新婚ネタ、痛くてよう載せませんでした……作家としてはどうかと思いますが、カンベンしてください」とか言ってるけどさ、そりゃプライバシー切り売りをウリにしてる作家としては間違いなく失格でしょう。カンベンしません。 でもここまでバカだと、かえって同情して仕事くれる人も現れるんではなかろうか。現われてるから仕事が続いてるんじゃないかね。私もくらたまさんってバカだなあとは思うが、やっぱりどこか憎めない。バカでもひがみっぽくて性格歪んでて根性なしでも、それが必ずしも本人のせいじゃなくて、この日本に生まれたせい、つまり男に甘えてればいいだけの女として生まれてきたせいだということを思うと、同情を禁じ得ないのである。……まあ、同情も女に対するサベツだからさ、素直にバカにするほうが一番妥当な判断かもね。
マンガ、なかいま強『うっちゃれ五所瓦』1・2巻(小学館文庫・各670円)。 連載当時は全く注目してなかったんだけれども、何年か経って近所のラーメン屋で通読したら、滅法面白かった。けれど現物は既に店頭には見当たらず、文庫化されるのを待っていたのである。 もともと私はスポーツマンガはあまり読まず(っつーか梶原一騎嫌いだったのだが)、例外的に『野球狂の詩』とか、『1、2の三四郎』、『すすめ、パイレーツ!』などを、これ、スポーツマンガじゃないよな、とか思いながら読んでたのである。『五所瓦』は完璧な相撲マンガだった(と思っていた)ので、まるで興味を抱かなかった。不明と言えばこれほど不明なこともない。 あちこち、ちばてつや・ちばあきおの諸作や『1・2の三四郎』の影響を受けているのはわかるけれども(ちばさんとこでアシストしてたんだから当然だろうが)、ギャグで間を繋ぎながらシリアスな展開に持ちこんで感動を作り出す技術は『わたるがぴゅん!』で経験を積んで、本作で結実した印象だ。 廃部寸前の武蔵山高校相撲部に残った、たった一人の部員、五所瓦角は、実は全国でも有数の実力の持ち主。運悪く高校チャンピオンの黒島高校の田門に毎回初戦でぶち当たって敗退しているために、世間的には未だにその実力を評価されてはいない。 高校最後の大会、ぜひとも「団体戦優勝」を目指す五所瓦は、柔道部主将の清川薫を部員にと勧誘するがケンもホロロに断られる(当たり前である)。しかし、五所瓦の男気に打たれた清川は、五所瓦に柔道対相撲の勝負を挑む。自分が敗れれば、相撲部に入ることを条件として。勝負は五所瓦のぶちかましに押されながらも起死回生の一本背負いを仕掛けた清川の勝利で決まるが、清川はその前にこれが土俵の上でなら自分が押し出しで負けていたことを認め、部員となることを決意する。 五所瓦と清川の熱意に打たれて、次々と部員が集まるが、使えるのはレスリング部のハミダシ者、関内孝之のみ。あとはノリだけはいいもののただのヒキョー者の難野一平とただのデブの雷電五郎。五人のうち三人が勝てば勝利できるとはいうものの、無敗を誇る黒島高校相手に果たして勝機はあるのか? 展開がいやに映画『シコふんじゃった』に似ているが、アレは1992年、本作は1988年。パクったな周防正行(^^)。 五所瓦は実直過ぎるほど実直、しかもドモリで、少年マンガの主人公として考えるとあまりにも華がない。今だったらサベツ問題にも引っかかるし、こういう主人公は編集者からボツを食らわせられるかもしれない。しかし、スルメが噛めば噛むほど味があるように(^o^)、この地味なキャラが巻を追うに連れ、なぜか見栄えがしてくるのである。 もちろん、脇を締めるキャラクターがいてこそ主役は映える。ギャグメーカーとして、挑発、けたぐり、塩で相手の足を滑らせるなど、ズル手を駆使する難野のキャラは、ルーツは『おれは鉄兵』あたりにあるとしても、個性的なキャラ揃いの本作の中でも特に光っている。もちろんそれで勝てるわけもなくメンバーの足を引っ張りまくっているのだが、それでも次にどんなワザを披露してくれるかと読んでるほうは期待してしまうのだ。普通、物語がシリアスに展開していくと、こういうキャラは後ろに回されていくのだが、難野は最後の最後までドラマに絡んでくる。そこがなかいまさんがキャラを大事にしていることの証明だろう。 少年マンガの「王道」ってのは、こういう作品を指して言ってもらいたいものだ。
2001年07月26日(木) 全ての知識はマンガから/ドラマ『美少女仮面ポワトリン』第一話ほか
| 2002年07月25日(木) |
本当にあった怖くない話/『くっすん大黒』(町田康)/DVD『ミニパト』ほか |
もちっとしたら北九州に出張する予定がある。 しげに仕事の休みを取って一緒に行かないかと相談する。 「なんで? 仕事で行くっちゃろうもん」 「仕事は仕事だけど、夜にはカラダ空くしさ、二日間だから一泊したっていいし」 「もったいないやん。JR使った方が安かろ?」 「そりゃそうだろうけど、帰りが遅くなったら淋しがるやん、お前」 「昼は一緒におられんやん」 「小倉で何か見てまわっときゃいいやん」 「……北九で何を見るん」 問題発言が出るなあ(^_^;)。 「よしひとさんや塩浦さんにも連絡とってみてさ、一緒に食事でもしようかって思ってるんだけど」 「……すれば?」 ああ、またこいつ、ヤキモチ妬いてやがる。 なんでオレが人と会おうとするとすぐジェラしるかなあ。しかも男も女も関係ないし。いや、ジェラシられたらイヤだからしげも一緒にって考えたんだけれど、自分がその場にいるいないは関係ないのね。私が誰かと語ること自体、しげにとっては気に入らないってこと、何度も経験してるけど、こういう悪いクセはいい加減で治してもらわないとマジで困る。しげに一日の行動について何一つ相談ができなくなる。 そのことが理解できる程度のアタマは持てよな。 ともかく、出張については私の方からはちゃんと相談したのだ。その返事が「すれば?」なら勝手にさせてもらおう。たとえ当日ほったらかされたとしてもそんなのは知らん。自業自得だ。しげが休みを取るかどうかについても、しげから相談されない限り私の方からはもう、声をかけまい。 ホント、つまらん言葉で人生損してるよな、しげは。
いつものごとく、迎えの車の助手席に座って『新耳袋』を読んでいると、しげが「やめり」と文句を付けてくる。 ボソボソ音読してるからしげが嫌がるのだが、怪談はもともと口伝えを基本としたものだ。黙読するだけでなく、音読することで、その空気を自ら味わうことの何がいけないというのか。 「そんなに怖がらせるなら、オレも怖い話するよ」 自信満々にそんなことを言うので、「できるならやってみろ」と私もしげを挑発する。 「昔、こたつん中に入って寝とったと」 「ふんふん」 「起きて、ふとフトンを捲ったら、そこに白ヘビがトグロ巻いておったと」 「ふんふん」 「……怖いやろ」 「別に噛むようなヘビやないやろ」 「怖いやん! ずっと一緒に寝とったとよ」 「追い出しゃいいやん。実際、追い出したっちゃろ?」 「隣りのおばさんに追い出してもらった」 「よかったやん」 「よくない! だっておばさん、『それは死んだ母ちゃんよ』とか言うとよ!」 「母ちゃん追い出したんかおのれは!」 確かにしげが怖いやつだということはわかったな。私が死んでもコオロギとかカメムシには絶対化けてでて来れんな。殺虫剤かけられてコロリである。
晩飯は「マルちゃん」でうどん。 この店はトッピングが豪華だが、一番美味いのがコロッケである。私もしげも注文したが、売り切れていた。確かこないだ来たときも売り切れてたし、ここのコロッケを賞味するのはなかなか難しい。やっぱり人気メニューなのだろうなあ。仕方なく、テーブルの上に置いてあるネギと掻揚げを山ほど入れてコロッケを食った気分になる。ならんか。 その足でマルキョウで買い物。 いつも食材はいろいろ買いこむのだが、しげにメシを作ってやっても、片付けを全くしないので、段々バカバカしくなってくる。結局、私は自分で作った物をあまりしげに分けないまま食べちゃってるのだが、そんな目にあって淋しくはないのか、しげは。 スパゲティもカレーもカニたまも麻婆豆腐もサバの煮付けも、今日買ったやつも結局、全部私の胃に収まってしまうのだろうな。いや、一気には食べないけど。
町田康『くっすん大黒』(文春文庫・410円)。 なんだこれは、面白いのか面白くないのか、自分にはすぐさま判断がつくことではないが、面白いと言うてる人間が多いことも知っているし、それは実は『おごってジャンケン隊』で泉谷しげるがそう言っていたと記憶するのであるが、何しろ記憶力にはこのところとんと欠けているのでそれが泉谷しげるであったか、それともそんな記事は全くなくて自分の妄想に過ぎないのか、自信はない。自信はないが町田康自身は『おごってジャンケン隊』に登場しているのである。実はこの人、町田町蔵で、その名前をどこかで聞いたこともあるし俳優としても『黒い家』なんかに出てたということであるから、当然顔は見覚えがあるはずであるが、とんと記憶力に欠けているので見覚えがないのだ。野間文芸新人賞、ドゥマゴ文学賞をこの『くっすん大黒』で受賞したということであるが、ほかにも『きれぎれ』で芥川賞、『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞を受賞しているのである、この町田は。この中で三つは人の名前が冠されているが、耳慣れなくて珍しいのはドゥマゴである。もしかしたらこれも人の名前で、ドゥマゴさんとかいう外国人であるかも知れぬが、そんな名前の人間に会ったことはもちろんないので、デマかもしれない。なぜなら実はドゥマゴとデマとは似ているからである。ではなぜこのような厄介な文体を試み、何が言いたいのかはっきりせぬ、というのも、筒井康隆を読んだ人間が筒井康隆の文体をまねてみたくなるように、町田康の文体はさながら水の如く油の如く、付かず離れずこのような文が長々と書き重ねられ短く切られ、やっぱり批評家もこの文体には魅力を感じるらしく、解説の三浦雅士もこんな厄介な書き方をしているのはそういうわけなのであった。わかったかわからんか。わかれよもう。
普通に戻そう。 『くっすん大黒』とは妙なタイトルだが、なぜか主人公の男の部屋に転がっていた金の大黒、これが泣きそうな顔をしているので、くっすん大黒。この物語は、男がその大黒を見ているだけで腹立たしいので捨てに行く、というだけの話である。舞台が大阪というだけで、明確なストーリーラインはなにもない。 ストーリーが明確にない物語は別に目新しくはないが、映画が映像のみで純粋芸術として成立する如く、小説もまたストーリーやドラマを排した純粋な文体のみで成立し得る。ドラマがない以上、どれだけ読ませられるかってのは、まさに文体技術にかかっている。 そういう文体に関わる実験小説は、筒井康隆編による『実験小説傑作選』に詳しいが、町田康、確実にこの本読んでるね。あるいは石川淳(マンガ家じゃないぞ)。ダラダラと長いのに読点の使い方がうまくて心地よいリズムを生み出す文体は石川さんの特徴だけれど、長文のあと、「というのは」という接続のさせ方をするあたりが町田さんの文章はそっくりだ。これが偶然の一致だとしたら、町田さん、この文体をどうやって創造したのか気になるところである。
アル中の男の一人称、という設定だから、こんなメチャクチャな文体で書いてるのかと思ったらそうではなく、同時収録の『河原のアパラ』の主人公は普通の若者だがやっぱりこんな文体なのである。やはり町田氏、意図的だ。そしてその試みは充分に成功していると思う。 『大黒』にも『アパラ』にも、主人公以上にエキセントリックな人物が登場する。自分の勤める職場の売り物を着服する吉田のおばはんや、外国帰りのおばはん・チャアミイのキャラなどは最強最悪である。 「ぅあたしのビャアーグはどこかしら」なんてチャアミイのセリフ、最初はどういう意味だか全く分らなかった。「ビャアーグ」は「バッグ」のことだったのだ。どこの何人がそんな発音するってんだ。「ゥベッドルームは、まっっっっっっ白なのぉー」と絶叫するチャアミイに主人公はこっそり「医者へ行け、医者へ」と突っ込む(これがシェイクスピアの『ハムレット』の「尼寺へ行け、尼寺へ」のパロディであることに気づいた人間がどれだけいるだろうか。いないだろう。そりゃそうだ、これは私の妄想だし)。 そうやって突っ込んでる主人公自身、イカレているし、そのイカレた頭で見ても、世の中にはもっとイカレたやつらが横行していて、しかもその象徴が捨てるに捨てられないくっすん大黒なのである。つまり、みんな狂いたがっているのだ。それが町田さんがやってたパンクの意味なのかもしれない。 それにしても、この本読んだあとは大阪人のメンタリティって、実はみんなこいつらみたいなんじゃないかという気がしてきて、ちょっと大阪人と付き合うのが怖くなってきたりもするのである。確かに大阪芸人見てるとこいつら基本的にイカレてるなって印象、強いものなあ。 ……で「アパラ」って何よ?
DVD『ミニパト』。 しげが仕事に出かけながら「一人だけ先に見て」と不満そうなジト目を私に向けるが、待ってても一緒に見る時間がないじゃないのよ。 劇場公開時は第3話しか見られなかったので、ようやく1話から通しで見る。 けれどこれ、ビデオ版もテレビ版も劇場版もコミカライズも、旧シリーズをほぼ全作見てないと全然面白くないんじゃないか。 というか、更に制作の裏事情、例えば、「原作のヘッドギアのメンバー内で、当初、押井さんはパトレイバーをあんなカッコイイデザインにではなく、いかにも土木作業用の流用、みたいなゴテゴテしたデザインにしようと企んだけれども却下された」なんて事実を知ってないと、どうして後藤さんやシゲさんや南雲さんがあんなに皮肉っぽい語りを行っているのか、意味が分らないのではなかろうか。 後藤さんの「何せ尺が短いんでね、波瀾万丈の物語とか、手に汗握るサスペンスとか、息を飲むアクションとか、そんなのはすっぱり諦めてくださいよ、ねぇ」というセリフがいかにも人を食っていて後藤さんらしいんだけれど、もちろん彼は脚本家たる押井守氏の分身である。ゆうきまさみ・出渕裕両氏が作りたかったのがまさにその「波瀾万丈」以下の物語であり、押井さんの意向とはハナから水と油だったのである。ゆえに、このたった3話のミニシリーズは、押井さんの『パト』シリーズに対するリベンジになっているのだ。 ……ラストにこんなタチの悪い作品持ってくるって、まるで宮崎駿の『さらば愛しきルパン』だねえ(←もうこれについても説明が必要な若い衆が増えちゃったね)。
第1話『吼えろリボルバーカノン!』。 銃に関するウンチクを後藤隊長が語る。 昔見たLD『GUN百科』を思い出したなあ。私は銃器に全くと言っていいほど魅力を感じないのだが、後藤さんに説明されると、おお、こんなにもタクミの技が、と感心してしまう。ターゲットを粉砕しつつもその周辺に被害を及ぼさないように弾丸は開発それてるとは、よく考えられてるものだね。でもそれを持たされてるのが結局は太田だったりするので何の意味もないのだが(^o^)。これも押井さんの皮肉か。 太田役の池水通洋さんのキレた演技が隠し味の一編。
第2話『あゝ栄光の98式AV』。 あはは、『パト』シリーズがロボットアニメのエポックメーキングになりそこなったってこと、シゲさんの言葉を借りて断言しちゃったぞ。もう変形、合体、超合金とオモチャを売るための発想でしかロボットアニメが作られないんだったらこの路線に未来はないって思ってるんだろうなあ、押井さん。もっともまさしく「レイバー」なデザインで客が付くかどうかは分らないけれど。 声優の千葉繁さん、コメンタリーで喋ってたけど、このアフレコのせいで口の中が4ヶ所出血しちゃったそうである。いやもう、怒涛のマシンガントークですがね。おトシを考えると、もしかしてこれが千葉さんの最高最後の傑作になるかも。
第3話『特車二課の秘密!』。 映画見たときに一応感想を書きはしたけれど、再度見て気になったこと。 公務員がハゼの干物作って売ったら、これ犯罪になるんじゃないか(^o^)。 そんなこと、押井さんが知らないはずはないのでこれは間違いなく確信犯だろう。管理社会と言うか、組織に対する押井さんのルサンチマンの深さが垣間見えるなあ。
押井さん、一応スタッフロールは脚本及び音響プロデュースのみの担当になっているけれど、メイキングを見る限り、このパタパタアニメの手法のアイデアと言い、主題歌を『迷宮物件FILE538』『御先祖様万々歳!』の児島由美さんに頼んでいることと言い、本作の押井色は相当強い(ついでだけど、この児島由美さん、あの『ひらけポンキッキ!』の名曲『ほえろ!マンモスくん』を作った人だ。私はこの人と谷山浩子が組んで作った『ネコじゃないモン!』のLPを持っているぞ。これは名曲揃いだからぜひCDで復刻してほしい)。 実際の監督は神山健治さんなのだが、カワイソウなくらいに影が薄い。DVDのパンフのとり・みきさんのマンガに「たくもー1人で全部やったよーなことばかりしゃべってあの人は」とニコニコしながら愚痴っている神山さんが描かれているが、「あの人」が誰を指すかは言わずもがなだろう。実際、CMのキャッチコピーも全部「押井守最新作」で、どうしてもそのように見てしまうのは如何ともしがたい。『ミニパト』は押井守の呪縛の上に成り立っているアニメなのだ。
いったい、映画における脚本の位置は奈辺にあるか。 映画構成の要であることに間違いはないが、ともすれば演出と役者がもとの脚本を原形を留めぬまでに改竄を加えることは珍しいことではない。脚本はあくまで映画の叩き台であり、最終的に映画の完成の決定権を持つのは監督(欧米じゃプロデューサーの場合が多いみたいね)というのが通り相場である。 しかし、中にはそう簡単にいかない場合もある。脚本が演出をも縛る、というか、既に脚本段階で演出が施されていて、下手に演出家が自らのささやかな個性とやらを主張しようとしてイジろうものなら、どうしようもないことになりかねない、そういう脚本もあるのである。 ……的確な表現とは言いがたいが、“巨匠”と呼ばれる方々の脚本はそうですね。アナタが映画監督だとして、『七人の侍』や『2001年宇宙の旅』のシナリオを「改稿」して再映画化する自信あります? 私はありますが(←すげえ思い上がり)。 押井守もいつのまにか巨匠になってしまった(西尾鉄也さんは「アニメ界の尊師」と呼んでいるが)。『パト』映画版のころはまだそんな呼ばれ方してなかったと思うんで、やっぱ、『攻殻機動隊』がアメリカでビデオ売り上げ1位取ったのがきっかけだろうか。おかげで『うる星やつら』テレビシリーズのころのすちゃらかギャグ作品のファンだったこちらの身にしたならば、新作が作られるたびに毎回毎回「ここはどこ私は誰」テーマが繰り返されることに、それ自体が押井さんの悪い冗談ではないかと勘繰りつつ、何か物足りないものを感じないではいられなかった。 本作は神山演出によって毒が随分薄められてはいるが、紛れもなくルサンチマンに満ちた押井作品である。銃の乱射、HOSの暴走、後藤隊長の不気味な笑みで幕を閉じる各話のラストに、ようやく懐かしさを感じた押井ファンも多かろう。 さあ、果たしてこれがホントにホント、パトシリーズの最終作になるのか。 押井さん、パンフではそう書いてるけど、コメンタリーでは千葉さんも神山監督も「ネタはいくらでもあるって言ってる」と暴露してるぞ。ちょっとくらいは期待したいなあ。 やっぱりパトシリーズは押井監督でないとね。
マンガ、『パタリロ!』74巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。 猫間天狗にサンダース部長が復活。使い勝手が悪くなると主要キャラでも出番がなくなる魔夜マンガにあって、これはなんと珍しいこと。 こうなるとプラズマXとか警察署長も復活してほしいなあ。タランテラやピョートル大帝は、作者がもうどう展開させたらいいかわからなくなって、そのままほったらかしちゃったらしいけど。
2001年07月25日(水) 福岡腰痛クラブ/『庵野秀明のフタリシバイ』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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