無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年06月21日(金) やっぱりカネがあると肉/映画『ウォーターボーイズ』/映画『アイ・アム・サム』

 待ちに待った給料日。
 これでようやく極貧生活から脱出である。もっとも、二、三日あとにはまた、その日のメシにも事欠く生活に戻っちゃってるだろうけれど。……って、数日でン十万も使い果たすつもりか。
 実の親が、この不況のせいで日銭稼ぐのにも汲々としているというのに、何をバカ学生のような生活をしてるというのか。
 あー、なんかアレですね、私が日記に書きちらしてることをですね、いかにも重い経験に基づいた立派なモノイイのように捉えてる人がたまにいるみたいなんですけど、私ゃ昔っから全然変化のない、生活無能力者の性格破綻者なんですから。人生舐めてかかってるおおバカものなので、あんまり本気に取っちゃいかんですよ。


 今日は7時からの映画に間に合うように、1時間だけ仕事を早引け。
 有休もこんなふうにチビチビ使っていきゃ、そんなに減ることはないんだけれど、たまに二、三日、連続してぶっ倒れるからなあ。本当は今日も半日ぐらい休みを取って、余裕を持って出かけたかったんだけれど、あとあとのことを考えると、そうもいかない。多分と言うか、毎年確実に夏場には倒れているので、そのためにも今はあまり休まずに頑張っとかなきゃいけないのである。
 給料が出たら「すしでも食いにいこっかー」とスーパーミルクちゃんみたいなことをしげは言っていたのだが、改めて「すしにするか?」と聞くと「肉!」とヒトコトで即答する。
 ……レパートリーというかバリエーションというものがないのか、この女には。ということで、「肉のさかい」で早めの夕食。
 けれど、確かに肉系の店に行くのはしばらくぶりである。
 この店はいつも割引の金券を500円分呉れるのだが、前に貰った分は4月で期限切れになっていた。つーことは2ヶ月近くこの店に肉食いには着てなかったってことか。
 しげはどうせ赤身肉しか食わないだろうと思っていたが、珍しくそれ以外にも冷麺を注文。不味いモノは食いたくない主義のくせに、たまにちょっと珍しいものがメニューあると、後先考えずに食べたくなる悪いクセもしげにはある。こういう店の冷麺って、絶対辛いと思うんだけどなあ。しげに食いきれるのかと思ったら、やっぱり、「麺は美味しいけど辛い」と食い残しというより、ほとんど手付かずの冷麺を押し付けられた。
 昼飯を抜いてて正解だったなあ。私はダッカルビ定食を注文していたのだが、腹が空いていなければちょっと食べきれないところだった。

 外に出て車に近づくと、しげが急に目を輝かせて、「見て見て!」と私の袖を引っ張る。何ごとかと思えば、車のボンネットにうっすらとネコの足跡が付いているのである。
 「かわいいねかわいいねかわいいね」としげはしゃいでるがつまりはヨゴレじゃん。ヨゴレでもネコならいいのか。


 ワーナーマイカルシネマズ大野城に6時半に到着。
 時間的にはちょうどいい感じ。有休取らずに来れたんだったらもっとよかったんだけどね。8時間労働ったって、昼休みも職場に拘束されてるんだから、こいつも時間の中にカウントするのが本当じゃないのか。だから「9時から5時まで」ってアメリカじゃ言ってるんだし。8時から4時までにしてくれりゃ、映画ももう少し行きやすくなるんだよ。景気快復を本気で考えるなら、そういう措置も取ったらどうなんだ、小林信彦も昔そんなこと言ってたぞ、と内心愚痴りながらリバイバルの映画『ウォーターボーイズ』を見る。
 ……去年、見逃してたのが惜しかったなあ。西田尚美をスターダムに押し上げた(^^)『ひみつの花園』の矢口史靖(「やぐち・しのぶ」と読むのだ)監督だと気付いてたら、絶対見に行ってたのだが。
 コメディはとにもかくにも基本アイデアで勝負が決まるところがあるので、「男子のシンクロナイズドスイミング」というのは、それだけで半分は成功したようなもの。期待は弥増してしまうが、期待外れに終わらないどころか、実に爽やかな青春映画にもなっていたことに驚く。かと言って、「これが青春だ!」みたいな気恥ずかしい作りにもなってはいないのでご心配なく。ヒトコトで言えば、これ「バカっていいじゃん」映画なのだ。
 若い役者さんたちには基本的にコメディ演技はできない。だから一所懸命になればなるほどバカに見える「若さゆえの過ち(^^)」を、そのまんま映画にしたのだ。

 今や部員は三年生がたった一人、潰れかかった唯野高校水泳部に新しい顧問がやってきた。それがまた真鍋かおり似の(って本人だけど)美人教師。釣られて、入部希望者が殺到したはいいものの、先生の専門はなんとシンクロナイズドスイミング。あっという間に部員は五人に減ってしまうが、今更やめるにやめられない事情のある五人は、一大決意をして文化祭でシンクロを披露することを決意する。ところが直後に先生は妊娠して産休に入ってしまった。
 コーチもいないどころか、カナズチばかりの水泳部の明日はどっちだ?!

 真鍋かおりの代わりのコーチがイルカ調教師の竹中直人というのも相当、人を食っているが、小出しのギャグが重層的に積み重ねあげられてストーリーが構成されているのがいい。柄本明がゲイバーのママ役ってのはハマリ過ぎててかえって笑えないが。
 恋愛ネタが絡むのはまあこの手の青春ものの定番だから仕方がないが、それほど物語の流れを阻害しない程度なのでこれもよし。っつーかそれもちゃんとギャグになってるし。ヒロインの平山綾もかわいいことはかわいいが、個人的にはメガネっ子三人娘のまん中の秋定“「あぐり」の少女時代”里穂がイチオシだ。自分たちを少しでもかわいく見せようと、メガネを取って、目を顰めながらウォーターボーイズたちを誘うシーンはメガネっ子萌えの心臓を打ちぬくことは必至。思わず私も映画に向かって心の中で応援しちゃったもんね、「違うぞ里穂ちゃん! メガネ取らなくったって君は可愛い! かわいいんだああああ!」。
 アホですか? アホですね。
 でも、やっぱりバカっていいよ。「なんでシンクロ?」って疑問、アタマのいいやつはどうしても考えちゃうだろうけれど、これを去年見ていたら、絶対邦画のベスト3くらいには押してたろう。去年はホントに日本映画豊作の年だったんだなあ。
 ちなみに、水泳部員の一人に、『ウルトラマンコスモス』の主演、杉浦太陽がチョイ役で出ていたぞ。でもどこに出てたか全然わかんないから、この映画までオクラ入りになることはあるまいて(^o^)。


 続けて映画『アイ・アム・サム』をハシゴ。
 予告編を見たときには、知恵遅れのパパと賢い女の子との愛情生活を描いた感動モノかと思ってたら、ちょっと違ってた。確かにそういう要素はあるけれど、基本的にはこれ、全編が裁判ものだったのだ。
 つまり「知恵遅れのパパに子供の養育を任せていいのか?」ってことが児童相談所の訴えで裁判になったところからドラマは始まるのね。
 物語自体はそれを結局は「愛情」の問題にスライドさせていくので、予定調和でいささかつまらないのだけれど、それよりも見ている間ずっと気になってたのは、こういう映画が成立してしまうってのは、やっぱり訴訟社会であるアメリカのお国柄だからってことなのかってこと。
 「親が知恵遅れでも子供を任せていいのか」って問題自体についての答えは簡単だろう。「程度による」。違うか?
 で、映画のサムの様子を見る限り、任せてはいけないレベルとは思えない。サム自身は安月給ながらもスターバックスでちゃんと給仕の仕事をこなしているし、子育てに悩みあぐんだら、近所の人に助けを求める知恵も持っている。もしもこれが日本の場合だったら、と想定してみたが、この国もだんだんと訴訟社会となりつつあるから簡単に断言することはできないが、この程度のことなら、まず問題にすらならないのではないか?(つーか、日本の場合、もともと知恵遅れの人が結婚できるかどうかという問題の方が大きいんだけど)。
 この映画が「甘い」のは、そういう問題について真剣に考えるなら考えるで、学力のみでサムを親として不適格とする検察側の主張に対して、弁護側が、通り一遍の愛情論でなく、現実に知恵遅れやヒキコモリの人たちがよってたかって娘のルーシーを育てていけたのはなぜか、という点をキチンと検証・主張していないところだ。
 『白雪姫』中の「七人の小人」をモデルにしたと思しい、知恵遅れの仲間たちは裁判でサムに有利な証言をすることができない。しかし彼らは一人一人がどこかで日常生活に支障をきたす部分を持っていも、それを補いあうことでルーシーを立派に育ててきたのだ。それは「愛情」のひとことで括れるような単純なものではなく、もっと複雑な要素がそこにはあるはずだ。
 弁護士役のミシェル・ファイファーが無能にしか見えないのは、彼女自身がヒステリーに悩まされているからではない。彼らの中に愛情を越えてもなお人間としての尊厳を訴えることのできる「何か」を全く見出せていない点に理由がある。
 それはつまり、この映画の制作者たちが「妥協」した結果なのである。脚本の「放棄」だと言ってもいい。おかげで、物語はいわゆるありきたりというよりは逆に現実から目を背けた「『白痴』=純真無垢な心の持ち主」みたいな偽善的な方向にしか進んでいかなくなってしまった。そこのツメが甘かったのが、この映画のなんとも惜しいところだった。

 しかし、「演技」というレベルにおいては、この映画、世界でも最高のレベルに達していると言っていいだろう。
 サム役のショーン・ペンももちろんだが、何より信じられないほど豊かな演技を披露してくれたのは、ルーシーを演じた7歳の少女、ダコタ・ファニングちゃんだ。自分が父親よりも賢くなってしまう孤独感、けれどそれゆえに父親から何を受け継いで行けばいいかを学んでいく様子を、ほんのわずかな表情の動きで表現していく。……私ゃ、かつてのマコーレー・カルキンもハーレイ・ジョエル・オスメントくんもべつに「てんさい」とは思わなかったけれど、ダコタちゃんは天才だと言いたくなっちゃったね。結構穴のある設定なのにそれが気にならないのは、彼女の演技によるところが大きい。見て損はしないですよ、この映画。

 しげの評価は2本ともまあまあ。『ウォーターボーイズ』にしげが感情移入しないのは分らないでもない。あまり「男の子」に対して幻想持ってないものな、しげは。若い男のバカってのはあまり笑って許せないだろうし。
 いつもの如く、帰り道の車の中で、しげは「どこかへいこうか?」とか言い出す。
 「温泉にでも行くか?」と答えたら、しげ、なんだかクスクス笑っている。またどうせバカなことを考えてるんだろう、と思ったが、聞いてやらないのも悪いかと、一応聞いてみる。
 「何がおかしい?」
 「……ラブホと伊香保は似てるね」
 ……聞くんじゃなかった(-_-;)。

2001年06月21日(木) つーきも、おぼーろに、しらーああうおの、/舞台『黙阿弥オペラ』(井上ひさし)


2002年06月20日(木) 癒してくれなくていいってば/映画『怪盗ジゴマ 音楽編』/『夏のロケット』(川端裕人)ほか

 朝方、寝床の方からヘンな呻き声が聞こえる。
 なんとなくリズムはダース・ヴェーダーの「すーぱー・すーぱー」(私にはそう聞こえるんですけれど、みなさんにはどう聞こえてますか?)に似ている。しかし朝目覚めてみたら側にダース・ヴェーダーが寝てたって、こんなにエズイ(=怖い)ことはないな。
 そんな声を出すのはもちろんしげ以外にはいないのだが、いったい何を言ってるんだと思って耳を傾けてみると、「すーぱー」ではなくて、「はーげー。はーげー」。
 ……誰がハゲやねん!
 そりゃな、確かに最近、天頂あたりが薄いよ。抜け毛も多いし、だんだん額も後退してきてるし、髪の毛自体も細くなってきてるよ。こないだ散髪したときにオヤジから「オレそっくりの頭になってきたなあ♪」なんて言われちゃったよ(そんなとこまでムスコが似てきたのが嬉しいか、父よ)。
 けどなけどな、「まだ」ハゲちゃいないんだよ。
 谷村新司にもさだまさしにもなっちゃいないんだよ。
 いや、ハゲになったっていいじゃん。ハゲのどこがいかんのよ。ハゲが魅力的だった人たちだって、今までにたくさんいたぞ。ユル・ブリンナーの立場はどうなる。島田勘兵衛(←『七人の侍』)はあえてハゲになったぞ。宇宙刑事ギャバンだって一時期はハゲだったのだ。コペンハーゲンは立派な都市じゃないか(意味不明)。
 くそ、今度はしげが起きてるときにしげのことを○○○○とか○○○○○とか○○○○○○って寝言言ってやる。


 今日も今日とて、しげに車で職場まで迎えに来てもらう日々。
 これが職場の同僚に羨ましがられることが多いんだけども、困ったことに、「私に視力がないから車の免許取れないんですよ」とか「以前、自転車で子供ハネちゃったもので、通勤に自転車使いづらくなっちゃって」とか、正直に事情を話すと、たいてい相手が「引く」ことである。
 軽い会話を楽しむつもりがいきなり重くなったと感じるんだろうけれども、私ゃ別に重い話題を振ったつもりはないんだけどなあ。

 病人が病気なのは実はカラダだけではなく、ココロが病気って場合がほとんどなので、だからこそ周囲の人間は病人を「気」遣ってしまうのである。重病患者に「オレはもうすぐ死ぬんだ」とか沈鬱な表情で言われたら、たとえ家族だって声のかけようもないだろう。「オレ、もうすぐ死ぬけどそれまで精一杯生きるよ!」と言ってくれりゃ、「その意気で頑張れ!」ってエールを送ることもできるんだけどね。でもそういう覚悟ができてる病人は少ない。たいていは内心どこかで同情を買いたがってるからねえ。

 私にしたところで、病気だのケガだので余命いくばくもないと医者に言われてから既に30年が経っているが(^_^;)、自分で自分の病気を吹聴するのは「これが『憎まれっ子世に憚る』ってことか」、と笑ってもらえりゃいいと思っているからなんである。同情はしなくていいし、惜しまれるだけの価値のある人間でもないから、実は激励だって要らない。
 世の中、苦労してない人間なんていないのだから、病気だからって他人と比べで自分は不幸だなんて悲観するこたあないのだ。「なんでオレだけこんな目に」ってブルース・ウィリスみたいなこと言ってるからかえって落ちこんでしまう。その「オレだけ」ってのが傲慢というものなのである。周囲も遠慮は要らないから「別にアンタだけが苦労してるわけじゃないよ」って言ってやれや。
 他人より早死にする人間だって、いくらでもいるんだから、死期が迫れば「ここまでってことか。まあ、自分なりによくやったほうかな」と本人が素直に諦めりゃすむことなんである。

 私の言質に周囲が引いちゃうのも、「そんな強がり言ってるけれど、本当は心の奥底ではツライに違いない」と勝手に憶測して対応に困ってるせいなんだろうね。かと言って、私が「ホントはつらくてつらくてたまらないんです、ボクはこれからどうなってしまうんでしょう」なんて言ったら、そっちの方がどんな態度を取ったらいいかすっごく困っちゃうと思うんですが、いかがですか(誰に向かって言っとんの)。
 実際に死にかけたら、私ゃ根性ナシだから、ホントに「し、死にたくねえよう、た、助けてくれよう」とか言って慌てふためくかもしれないけれども、そのときゃそのときで「みっともねえなあ」と蔑んで突き離して「勝手に死ねば?」とか言って頂ければいいのである。どんな形であれ、他人に関わろうとする行為には、「甘え」が生じるのだ。「甘え」をムリに受け容れなくたっていいでしょう。
 
 私なんかより、しげの方がよっぽど地獄を見てきている。
 しげのすごいところは、話を聞くだに「そんな経験したら生きちゃおれんわ」と思うようなことでも、サラリと受け流すというか、場合によっては忘れようとしてホントに忘れてしまっていることだ。別に偉いわけではないどころか、ハッキリ言ってバカなんだけれども、自分の不幸に執着してる人間よりはよっぽどマシだ。
 しげもまた、かつて「かわいそう」と言われたことが何度もあったそうであるが、もちろんしげは少しも喜びはしなかった。そんなこと言ってたやつにしげの心が理解できるはずもないし、実のところ本気で「かわいそう」なんて思ってたかどうかもアヤシイ。
 全く、世間の人々はどうしてああも平気で病人や身障者に対して「かわいそう」とか「お気持ち分ります」とか言ってしまえるのかね。テレパスかお前は。分るはずもないことを簡単に口にできることに、偽善と相手に対する優越感と差別意識が含まれていることに気付かんのか。ほかに言うコトバがないから、気付いててもあえて言ってるとしたら、よっぽどアンタらのほうがココロの不自由な人だよ。かわいそうだね同情しちゃうね。
 ……ね、「かわいそう」って、実質的な「拒絶」でしょ?


 そんな埒もないことを車の中でぼんやり考えていたら、しげが、「どうしたと?」と聞いてくる。
 しげは私が考え事をしていると必ず声をかけてくるが、考えてるのはたいていはこんな取りとめもない「よしなしごと」だし、聞かれたときには相当頭の中で未整理な考えが乱舞している状態になっているので、返事のしようがないのだ。
 それを愛想がないとか嫌ってるとか言われてもこっちが困る。
 で、今度はこちらが「メシはどうする?」と聞くと、「どうしよっか?」と聞き返してくるのだ。質問に対して質問で返されたんだから、自分では意見がないのかと思って、じゃあ、『すきや』にしようか」と言うと、不満そうな顔をして「アンタだけ行きぃ、オレは行かんから」と言う。
 「なんだよ、文句つけるんなら最初から聞くなよ」
 「オレ、言ったよ、『どうしよっか? 王将?』って」
 「聞こえてねーよ。『王将』がいいなら、『どうしよっか』なんて言う必要ないじゃん。最初から『王将』に行きたいって素直に言えよ。テキトーな日本語使うな」
 日記にも「いい加減『王将』に飽きた」みたいなこと書いてたから、しげも言葉を濁したのかもしれないけれど、言葉を濁そうが、「ここに行く!」と決めたら、しげは私の意見なんか聞きゃしないのである。
 私もそれが分ってるから、食事をどこでするかなんて主張、日頃はしていないんである。そんな態度でエスコートだけはしてほしいってのは、思いあがりも甚だしい。頑固なくせに優柔不断な態度を取るって、支離滅裂じゃんかよ。
 ……で、しげが車を乗り入れたのは「すきや」でなくて「王将」。
 ほら、私に聞く意味なかったじゃん。
 昨日、急にラーメンを食いたくなったしげ、いつものなんとかセットのほかに更にラーメンを頼む。「食い切れねえだろう」と止めるが、ヤケになってるしげ、口に目いっぱいコメツブを詰めこんで、グチャグチャ小汚く食っている。……そんな食い方したって美味くもなんともないと思うが。いつもいつも思うことだが、ヒステリー起こしたって自分が損するだけだとわかってるのに、どうしてこう、自分のコントロールができなくなるのかなあ。


 『クレヨンしんちゃん』の映画版に飢えるあまり(シンエイ動画、早くDVD出せ)、LDで『ヘンダーランドの大冒険』を見返す。
 エンディングテーマの雛形あきこ『SIX COLORS BOY』はすっげえ名曲なんだけれども、何度練習しても音程をうまく調節できなくて歌えない。男が歌って楽しい曲でもないんで、しげが歌ってくれると嬉しいんだけどなあ。……ってカラオケにそうそうしょっちゅう行く余裕はないのだけれども。

 音楽に飢えてるのかな、ついでにビデオ『怪盗ジゴマ 音楽編』も見返す。
 和田誠のアニメ、というより、寺山修司の短編ミュージカルに監督の和田誠自身が「曲」をつけたという、もう私にしてみればこんなゼイタクな作品はないってなくらいの傑作なんだけれども、当然、カラオケにこんな曲が入ってるわけもない。
 由起さおりの演技力は、『家族ゲーム』やドリフのコントや『お江戸でござる』なんかでも証明ずみだが、その最高傑作はこのアテレコだと断言する。最初にこのアニメ見たのは広島アニメーションフェスティバルでだったけれども、前説に出てきた和田監督が、「キャスト見たら驚きますよ」と言っていたのが、事実、「由起さおり」の名前がテロップで出た途端に「おおおおおっ!」と歓声があがった。
 全詩をご紹介したいところだが、怪盗ジゴマに盗まれた、少女の歌を一曲だけ。

 呼ばないで 流れ行く雲を
 呼ばないで さすらいの町を
 ああ 呼ばないで 私の名前を

 呼ばないで 悲しい酒場を
 呼ばないで 古いピアノを
 ああ 呼ばないで 私の名前を

 いくら呼んでも振り向かない
 私の心は闇だから 闇だから

 ……実は私が寺山修司ファンになったのは、この詩に感銘したからである。闇を持つ女じゃなきゃ、魅力なんてないよな(だから誰に同意求めてるんだよ)。


 マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』25巻(小学館/ビッグスピリッツコミックス・530円)。
 表紙のフジタ、クチビルがえらく赤くてカマっぽいんですけど、何かあったんですか、細野さん(^_^;)。
 「ジョコンダの姉妹」を読んで初めて知ったのだけれど、盗難にあった美術品は、それと知らずに購入して二年経つと、もとの所有者に返さなくていいって法律があるんだね。しかもそんな泥棒天国な法律作ってるの日本だけなんで、美術窃盗犯は、せっせと絵画なんかを日本に持ちこんで「二年間」寝かせてるんだとか。
 こりゃアレだね、そんな法律が有効だってことは、もしも「盗難されたものは須らくもとの持ち主に返さなければならない」って法律ができちゃったら、お偉いさんで、コレクションを手放さなきゃならなくなる奴がやたらいるってことなんだろうね。でもそれだけ日本人には本当の審美眼がなかったってことじゃないの。ツケは返そうよ。
 ……って全然作品批評になってないけど、最近は知識的な好奇心でしかこのマンガ、読んでないからなあ。どうしてもこういう感想になっちゃうのよ、ご勘弁。


 川端裕人『夏のロケット』(文春文庫・670円)。
 あさりよしとおのマンガ、『なつのロケット』が本作の影響化に書かれていたことは知っていたのだが、実はそれほど期待していたわけではなかった。改作されたマンガがおもしろかったからと言って、そのもとネタたる小説もまたおもしろいとは限らないからである。
 ……いや、狭量な考えでした。これもまた「男の子必読」の小説です。と言っても女性を差別するわけではないけれども、「なぜ人は宇宙を目指すのか?」という質問に対して、「考えるまでもない、そこに宇宙があるからだ」と言いきれる人間でないと、この小説、楽しめないのではないか。

 新聞社の科学部担当記者である「ぼく」=高野は、過激派のミサイル爆発事件を調査しているうちに、そのミサイル製造に、かつて所属していた高校天文部の友人が関わっているのではないか、と疑問を抱くようになる。
 「ぼく」と四人の仲間は、かつて、本気でロケットを打ち上げようとしていた過去があったのだ(もちろん非合法)。そして今、オトナになり、科学者、技術屋、企業家、歌手となった彼らは再び結集し、「個人レベルで飛ばせるロケット」の開発・打ち上げを計画していた。
 いつか火星に行くために。

 常識的に考えれば、たった五人で有人宇宙ロケットを打ち上げるなんてことは絶対に不可能であろう。これを一つのファンタジーとして考えるなら、それはそれでドラマとして成り立たせる方法はいくらでもある。細かい設定は無視して、「こんなこともあろうかと」、新開発の技術でも超合金Zでもでっちあげればいいのだ。
 しかし、作者はあくまで、「現在の技術だけでも、宇宙ロケットを製造することは可能」という点に徹底的に拘った。資金、材料、ロケットの規模、実効性、全てに拘り、そのディテールを重ねて行くことによって、企業にその気さえあれば、超低予算(と言っても何十億かはかかるけど)でロケットを打ち上げることが可能であり充分ペイすることを証明していくのだ。何しろ、合金製造のために日本の「刀鍛治」に依頼にまで行くのである。そのアクロバティックだがリアリティのある設定に何度酔いしらされたことか。
 もしあなたが、かつて「流線型のロケット」に憧れた過去を持つなら、本書を読みながら、知らず知らずのうちに五人に感情移入しながらロケットの実現を「本気で」応援している自分の姿を発見していることだろう。実際、読了後に思ったものだ。どこぞの企業、法律違反無視、会社つぶす覚悟でロケット打ち上げる度胸を示してはくれないものかと。
 物語中、彼らの計画は何度も頓挫しかける。最大のピンチは、爆破事件を追う警察に、ロケット製造をミサイル製造と勘違いされ、秘密の実験を繰り返している島を発見されそうになるクライマックスである。
 時間との戦い。近づく嵐。マスコミのヘリコプターが上空を迂回して行く。警察はもうすぐそこだ、早く打ち上げなくては間に合わない、ところがそんなギリギリの状態のときに、メンバーの一人がとんでもないことを言い出す。果たして打ち上げは成功するのか。
 ……これ以上はネタバレになるので言わないが、彼がある瞬間「笑った」時、私は読みながら「泣いて」いた。

 プロローグでは、火星に着陸しようとする宇宙飛行士たちの描写が紹介されているが、この小説のラストは、直接このプロローグにリンクしてはいない。このプロローグがただの夢なのか、それとも主人公たちの未来の姿なのかは明示されないまま終わる。その間の物語を補完するのは読者の手に委ねられた。ということなのだろう。

2001年06月20日(水) べとべと、ぬめぬめ、もわああっ/『トガリ』3巻(夏目義徳)


2002年06月19日(水) VS借金取り(^o^)。って、笑ってる場合かよ/『卓球戦隊ぴんぽん5』(桑田乃梨子)ほか

 指揮者・作曲家の山本直純さんが18日、急性心不全のため死去。享年69。
 どの記事を見ても、音楽番組『オーケストラがやってきた』とか、「大きいことはいいことだ」の森永のCMとか、『男はつらいよ』の作曲とか、長髪、口ひげ、黒縁眼鏡とか、小沢征爾とのやりとりとか、そんなもんばかり取り上げているが、オタクとして真っ先に挙げなければならないのは、東映動画『どうぶつ宝島』の作曲だろう。山本さん、この映画ではムッツリの声までアテている。ムッツリだからほとんど喋らないんだけれども(^_^;)。
 カラオケに入ってないのが悔しくてしかたがないのだが、『ちっちゃい船だって』はアニソンベストテンを選出するなら私は絶対に上位に入れる。もっとも入ってても私が歌っちゃ雰囲気ぶち壊しだが。しげはコドモみたいな声してるんで、いっぺん聞いてみたいんだがなあ。
 ……歌を知っている人がいたら、私のために歌ってください(←黒澤明『素晴らしき日曜日』的演出)。

 (作詞:石井浩一 作曲:山本直純 歌:ヤングフレッシュ)
  ちっちゃい ちっちゃい ちっちゃい ちっちゃい船だって
  大きい 大きい 大きい 大きい夢のせて
  どこまでも どこまでも どこまでも ゆくぞ ゆくぞ パイオニア号
  ちゃっぷん ちゃっぷん ちゃっぷん ちゃっぷん 波のうえ
  ざんぶら ざんぶら ざんぶら ざんぶら こいでゆく
  どこまでも どこまでも どこまでも ゆくぞ ゆくぞ パイオニア号

  なみも かぜも おひさまも みんな みんな みんな
  みんなともだちだ ゆくぞ ぼくらのパイオニア号
  ひゅう ひゅう ひゅう ひゅう 風きって
  希望を 希望を 希望を 希望をおいかける
  どこまでも どこまでも どこまでも ゆくぞ ゆくぞ パイオニア号

  なみも かぜも おひさまも みんな みんな みんな
  みんなともだちだ ゆくぞ ぼくらのパイオニア号

 昔はこの「パイオニア号」というところが聞き取れなくて、てっきり「フロンティア号」だと思っていた。『宇宙大作戦』の連想でそう思っていたのかも。
 でも本気で思ってるんだよ、200本を越える山本さんの映画音楽の中で、これが最高傑作だったって。……あ、涙出てきちゃった(T.T)。
 アニメの最高傑作が『ど宝』なら、特撮の代表作は『怪奇大作戦』。
 主題歌の「恐怖の町」は、作詞・金城“ウルトラマンの生みの親”哲夫&作・編曲・山本直純という超強力コンビ。サニートーンズの低い声を思い出して歌ってください。

 「ギャーッ!」

  闇を引き裂く 怪しい悲鳴
  誰だ 誰だ 誰だ 
  悪魔が今夜も 騒ぐのか オー!
  SRI SRI 謎を追え
  SRI SRI 怪奇を暴け
  Let's go!

  「フフフ・・・」

  墓場の影で 怪しい笑い
  誰だ 誰だ 誰だ
  死神が 歌い踊るのか  オー!
  SRI SRI 悪を討て
  SRI SRI 正義を守れ
  Let's go!Yeah!

  「ウグッ!ア アアーッ!」

  街角を走る 怪しい影が
  誰だ 誰だ 誰だ
  妖怪が獲物を 狙うのか オー!
  SRI SRI 謎を解け
  SRI SRI 平和を築け
  Let's go!

 あと、『マグマ大使』(テーマソングよりガムの歌の方が好きって人、多いような)や、あの伝説の時代考証無視のトンデモ番組、NHK『天下御免』(平賀源内=山口崇&杉田玄白=坂本九!)も山本さんの作曲。「船出だぞ〜、船出だぞ、この浦ふ〜ねに帆をあげて♪」って覚えてる人いるかな? なんだかね、山本さんの曲って、どれもサビの部分でちょっと転調するところがあるんだけれど、そこがなぜか切なくて泣けてくるのよ。鈴木清順の『殺しの烙印』も山本さん。あのダークな音楽が山本さんとはちょっと信じられないくらいだが、こうなるとその作品世界の広さに驚嘆しないわけにはいかない。
 オタクにカルト、御用達って感じな人なのに、意外にオタクな人たちがその死に反応しないのは、やっぱりご本人のキャラクターの印象が強すぎて、曲の価値を我々が見誤っていたということではないのか。


 某信販会社から職場に電話。
 「あなた冷蔵庫の代金払ってないでしょ。払ってよ払ってよ払ってよ」
 「……あれ? 振込用紙で払いましたけど」
 「それは5月分でしょ? 4月分がまだなのよ。払ってよ払ってよ払ってよ」
 「4月分の振込用紙って届いてないんですけど」
 「送ったわよ。今日までに払わないと、後は一括で払ってもらうわよ」
 「用紙があればお送りするんですけど」
 「4月分のはもう送れないのよ。後は銀行振込しかないの。払ってよ払ってよ払ってよ」
 「でも銀行に行く時間ないんですが」
 「だったら来月まとめて十万払ってね払ってね払ってね」
 で、ガチャッと電話切られた。払ってないこっちが悪いんだろうけど、振込用紙の再発行もできないってどういうリクツなのか。
 察するに4月分の振込用紙、新聞かなんかの間に挟んで捨てちゃったんだろう。本とビデオとゴミの中に暮らしてるとこういうことはままある(だから片付けろよ)。しかしいきなり十万の出費は痛いことは痛いが、もともとローンでものを買うのって嫌いなので、一括して払っちまえるんならそっちのほうが楽だ。今回はいきなり冷蔵庫がぶっ壊れて仕方なくローン組んだんだけど、今後はローンでものを買うことなんてまずなかろうから、実際ほとんど痛痒はないのである。
 けれど今月はDVD買うのはちと控えよう(^_^;)。来月はまた別だが。


 しげ、迎えの車の中で延々と職場の愚痴を垂れる。
 なんでもただでさえクソ忙しいところにもってきて、いきなり人件費削減のお達しが出たそうで、時給も出ないのに残業させられることが増えそうなんだと。
 「夜2時半で上がるはずが1時間もただばたらきしなきゃなんないんだよ」
 景気は底入れしたはずじゃなかったのかなあ。客が来てるから忙しいんであって、更に人件費を減らそうってのは単にけち臭くなってるだけって気もするが。
 バイトやパートが辞めようかどうしようか相談してるそうだけれど、経営の基本間違えてんじゃないか、リ○○○ハ○ト(今更伏字にする意味もないな)。


 帰宅したら、ちょうど新聞屋さんが契約更新のお願いに来ていた。
 新聞に特に好みというのはないので、引っ越し以来10年、某新聞を取っているのだが、更新のたびごとに結構なモノをくれる。確かあまり高価なものはあげちゃいけなかったんじゃないかと思うんだが、実際にはいろいろ貰っている。
 今回貰ったのはダイエー戦のチケット。けどしげは広島カープ以外の球団はクソだと思ってるからなあ。一緒に行ってくれるかどうかは心許ないのである。


 アニメ『ヒカルの碁』第三十六局「オレの名は」。
 各話ごとにヒカルがオトナになったりコドモになったり激しいけれど、今回はまた随分と丸っこくて目の大きいヒカルになっちゃって……と思ってスタッフを見たら原画がみんな中国の人。けれど、一昔前だったら「外注=どヘタクソ」という図式が成り立っていたものだったけれど、今や技術の彼我の差はそれほどでもない。
 今回もやや演技の付け方にぎこちなさは残るものの、外注だとは言わなければ分らないのではないか。もっとも、演出や絵コンテ自体は日本でえんどうてつやさんが担当している。原作とは微妙に構図を変えて、ヒカルに置いていかれそうになる佐為の不安を演出しているあたり、ちょっとした工夫だけれど効果が効いている。
 けれど気がついたら、原作もかなりの量を消化している。この分だとクライマックスは案外近いかも。


 ドラマ、『女と愛とミステリー 痴漢冤罪殺人連鎖 私はやってない! 教師現行犯逮捕の恐怖体験 伊良湖岬の変死体は痴漢を自供した銀行マン 二つの事件を結ぶ謎に挑む美人弁護士』。
 ……タイトルなげーよ(-_-;)。
 つーか、これだけで充分ストーリーの説明ができちゃってるよ(^_^;)。
 痴漢に間違えられる教師役は、村上“今更言われたくないだろうがスカイライダー”弘明。
 で、美人弁護士役が田中“ゴジラ×メガギラス”美里。
 てっきり法廷ものになるかと思ったら、途中から痴漢に間違われて自殺した会社員の謎を、裁判ほったらかしで追いかけることになるアクロバットな展開。……っつーか脚本がデタラメだよ、これ。
 石野真子と故・伊藤俊人さんが出演していたので、つい見ちゃったけど、こんなテキトーなのが伊藤さんの遺作だとしたら悲しいなあ。


 マンガ、桑田乃梨子『卓球戦隊ぴんぽん5』(白泉社文庫・630円)。
 おおおう、ついについに、くわ太さん(←桑田乃梨子さんの愛称だよ)が文庫に!
 でもてっきり、『ひみつの犬神くん』か『おそろしくて言えない』が先だと思ってたけどな。特に『おそろしくて』はCDにまでなったし(塩沢兼人さん主演。合掌)。けれど出たら出たで、あとがき書き下ろし魔の桑田さんのことだから、また、オマケマンガ描いちゃうんだろうな。実際描いてたから新書版持ってるのにまた文庫版まで買っちゃったわけなんだけども(もっとも買ったのはしげだ)。
 しかし、オマケマンガが描ける、ということは、それだけキャラクターに「余韻」があるってことでもあるのだ。桑田さんの物語は、一応の結末を迎えはするのだけれど、いつも「このキャラはこれからどうなるのかな?」ということが気になる。このマンガも、なんたって連載時は「ぴんぽん5」が結成されるところで終わっていたのだ。……これから話が始まるとこやん。というわけで、短期連載された続編、『超卓球戦隊ぴんぽん5R』と『合宿戦隊ぴんぽん5』、それに描き下ろし『戦隊だもの』を加えて全1冊に構成した「完全版」がこれ。でも、描き下ろし加えても、まだ「先」がありそうな感じで終わってるんだよなあ。主役の兄まで登場させるし(主役が裕次郎だから兄さんは当然、慎太郎。弟が軟派だから、兄さんは……って結構アブないネタになりそうだよ、コレ)。
 ……続編描こうよ、桑田さん。タイトルは『卓球戦隊ぴんぽん5すーぱーず』とかで(^o^)。


 昨日の『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』の続き。

 乱歩と正史の因縁は更に続く。
 戦後の金田一耕助のシリーズ化は、かつての明智のシリーズ化の時と実に事情が似ている。初め、シリーズ化の予定がなかったのを、増刷が出るほどのヒットを飛ばし、金田一は続編が書かれるようになった。類似点はそれだけではない、金田一の第一作『本陣殺人事件』、第二作『獄門島』と続くあの傑作群を、江戸川乱歩は手厳しく酷評したのだ。曰く、「殺人の動機が不自然過ぎる。もっと穏便な方法がとれたはずだ」。
 ……ハッキリ言って、難癖に近い。その穏便な方法が取れないことが『本陣』のメイントリックと言ってもいいので、それを否定されたとなれば、他の点をどんなに誉められても「駄作だ」と言われたのと同じだからだ。
 その批評を読んだあと、正史が「エドランめ、エドランめ」と絶叫して激怒する様子を、家族が目撃している。正史は、「もうそろそろパクってもよかろう、もう自分は江戸川乱歩を越えたのだ」と思っていたところに、「動機が弱い」などと言われて、乱歩がかつて自分に作品を酷評されたことの復讐をしている、と感じたのではないだろうか。いや、それまでにも乱歩は、正史の『真珠郎』などを「本格探偵小説ではない」と切って捨てていたのだが、自信作をそこまで断じられた場合、恨みは骨髄だろう。
 もちろん、そこには愛憎両方の感情が渦巻いていると思われる。乱歩に負けたくない、乱歩を落とし入れたいという思いと、乱歩にもっと書いてほしい、叱咤激励したい気持ちも当然あっただろう。
 実際に戦後の乱歩は、『怪人二十面相』シリーズのほかはほとんど小説を書かなくなっていた。雑誌『宝石』の編集長となったことをきっかけに、正史に対抗する気概に燃えて、ようやく長編本格探偵小説『化人幻戯』を書いた。そして、通俗アクション小説の主役となっていた明智小五郎が、初期の理知的な名探偵として帰ってきたのだ。
 誰もがこれを誉めそやし、乱歩に次作を書かせようとした。しかし、乱歩の「誉められないと書かない」クセを知らない若手作家が、あるとき『化人幻戯』を酷評してしまった。
 乱歩の本格探偵小説は、これが最後になった。

 横溝正史は、乱歩が死んだ時、遺体にしがみつき、号泣した。
 以後、正史は10年間、創作の筆を折る。角川書店が仕掛けた横溝正史ブームにより、再び新作を書きはじめるが、実はその正史ブームの前に「江戸川乱歩ブーム」があった。
 正史の、本当の復活の理由は実はそこにあったのではないか。
 70歳を越えた作家が、なおも創作意欲を抑えることができなかった理由は、死ぬまで乱歩に勝つことだけを創作のモチベーションにしていたからではなかったか。

 正史の長編最後の遺作、『悪霊島』は、乱歩が、そして乱歩の尊敬する谷崎潤一郎が、そして正史自身もかつて題材として扱った、「双生児」にまつわる確執の物語である。
 乱歩と正史が、同じ探偵小説の両巨頭として、常にずっと、お互いを鏡のように映しあっていたように。

2001年06月19日(火) 孤独な自転車乗り/『となりのののちゃん』(いしいひさいち)



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