無責任賛歌
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| 2002年06月18日(火) |
狂乱の終わり……始まり?/『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店)ほか |
職場で今日はほほを紅潮させてる人というか、やたら興奮気味な人が目立つなあ、なんぞ悪い病気でも流行ってるのかと思っていたらと、今日は例のアレだ、ワールドカップ決勝リーグの日本対トルコ戦があるんだったね。 結果は1−0で負け。これで俄かナショナリストたちの狂乱が収まるとなればこちらも安心して日々の生活を営めるというものだ。 サッカー自体は嫌いじゃないが、サッカーファンは嫌い、というのは、アニメは好きだがアニメオタクは嫌い、というしげなんかのスタンスによく似ている気がする。人のシュミに文句をつける気は毛頭ないが、押しつけがましくて「自分が世界の中心」てな態度を取られてると確かに困りもんなのである。 具体的にあまり詳しいことは書けないが、ウチの職場でも今回のワールドカップに関して、下らん諍いが二、三件、起きちゃっててね。バカらしいったらありゃしないのよ。……たかがサッカーだぞ、仕事優先しろって。 サポーターだかフーリガンだか、サッカー応援してれば、それに付随した行為はたとえ社会の規範に抵触するものであっても許されると踏んでるフシがあるんだよな。んなバカなこと許されるわきゃないんだけども。 しかし私は、そういうバカ行為すら、あえて否定はしないでいようと思う。 川に飛びこむなら飛びこめ。暴動も起こして構わない。イベントとか祭というものは基本的に秩序の破壊だ。応援に熱中してりゃあ、そういうバカが出てくるのはイベントの必然なんだってば。そういうバカが出てきちゃ困るってんなら、最初からワールドカップを開催なんてしなけりゃいい。 バカを煽って作り出してきたのはまさしく過剰報道してきたマスコミなんだから、今更、「もっとマナーを」なんてったって、誰も聞きゃしないのである。コメンテーターとかいった連中がサポーターたちを糾弾するのは間違っちゃいないか? けどねえ、俄かサッカーファンのみなさんよ、バカならバカでいいから、自分がバカであるという認識くらいは持っててほしいんだよ。だってそうじゃないと、アンタら、自分がやったことのオトシマエすら付けられないじゃん。タイホされる覚悟くらいはしとけよ。警察に捕まったからって暴れてんじゃねーや。みっともない。
その狂乱騒ぎも日本敗退でようやく収束するだろう。ニュースでも、「気が抜けた」と言ってたファンが結構いたし。 考えて見れば日本は実に「ちょうどいいところ」で負けたのではないか。 予選リーグで敗退せず、ベスト16までは生き残った。これで一応の満足は日本人に与えたし、未来への希望も与えた。 韓国を先に立てた恰好になったから、韓国から「日本があんなに勝つのはケシカラン」とか難癖付けられる心配もないし、ジャッジの不公平や開催国の有利さに対する批判とかも全部、韓国に押しつけられる。 案外、計算した「負け」じゃなかったのか、今回の負け試合。もっとも、選手たちは無心に戦っていた者が多いと思うし、お膳立てをした黒幕がいるとしたらトルシェ意外にはいないだろうが。いや、黒幕のワリにゃ目立ってるが(^o^)。もし、この邪推が当たってるとしたら、なかなかの策士だね、トルシェは。サッカーの監督としてはどうかとは思うが。 でもこれでようやく、遠慮せずに「サッカーファンの9割は猿だ」と堂々と言えるようになるな。やつらが興奮してた時には、下手なこと言ったらマジで闇討ちされそうな気配だったし。 ……え? そんな「遠慮」なんか、これまでだってしてないだろうって? そんなことないですよぉ、ちゃんと人のこと気遣って、遠回しないい方しかしてませんよぉ。だって「猿」なのは「サッカーファン」だけに限定してるし(^o^)。 けど、ホントに自覚しておけよ。今回のワールドカップ、「選手と選手」の純粋なゲームでなく、「国と国」との「代理戦争」になってたことは否定できない事実なんだってことをな。サッカーファンの連中が、潜在的なナショナリストだってこと、証明されてるでしょ?。
今日もまた晩飯は「王将」。 ラーメンと天津飯のセットを頼む。 日頃は晩飯にとんこつラーメンなど食べないのだが、いつもいつも定食ばかりでは飽きが来ていたのだ。 しげは相変わらずのスタミナセットで、唐揚げだの餃子だのにパクついていたが、私がラーメンを食べ終わったころになって、いきなり箸を私のラーメンドンブリに突っ込んできた。 「何するんだよ!」 「……ラーメン、残ってないかと思って」 「ほしいなら、先に言えばよかったのに。でなきゃ自分で注文するとか」 「アンタが食べてるの見たらほしくなったんよ!」 やっと短い麺の切れ端を見つけると、舌先に乗せてにちゃにちゃ噛みながらニカッと笑うしげ。 ……人の物がほしくなるって、そりゃ誰にでもあることだろうけれど、まさか実行に移すとは思わない。いくら夫婦の間柄だからって、しげの精神年齢、ちょっと低過ぎないか。 最近しげは、職場で一緒に働いてるオジサンから「クッカーって、料理全部作れるの? 偉いねえ」と誉められたそうだが、幼稚な仕草から10代くらいに見られてるのではないか。そのことをしげは憤慨しているが、だったら、もちっとオトナな行動取れよ。たかが一本の麺を食べるのに、人のドンブリまで浚うなよ。 いや、別に私ゃ、盗まれた一本の麺が惜しかったから言ってるワケじゃなくて(^_^;)。
ドラマ『盤嶽の一生』<第8回>(最終回)「男と女」。 全9回、とあったが、新聞には今日が最終回、とあったぞ。「幻の1話」でもあるのか。どっちにしろ、8回で終わり、というのは短か過ぎる印象だが、別に打ち切りにあったというわけではないらしい。 ともかく、ここしばらくで一番上質な時代劇を見せてもらったって感じである。白井喬二の原作が入手困難な現在(それどころか山中貞雄の脚本集まで本屋で全然見かけねーぞ。タイアップぐらい考えてないのか)、貴重な映像化だった。 『盤嶽の一生』というタイトルを昔聞いたときには、主人公の侍が、死んじゃうまでを描くのか、と思っていたが、『女の一生』などとはやや趣きが違っていたようだ。つまりはこのタイトル、騙されて騙されて、それでも人を信じずにはいられないお人好しの、一生コイツは呑気なまま青空のように生きていくんだろうな、と思わせる侍の「性格」を象徴しているのであった。 融通が利かない無骨さ、それでもどこか爽やか、というキャラクターならば、本当に往年の三船敏郎に演じてもらいたかった感じではある。けれども役所広司、無骨さの中の軽みを今一つ出しきれていない恨みはあるものの、通して見れば、よく頑張ったと言えるのではないか。 コアな時代劇ファンなら、殺陣などにもいろいろ注文をつけたくなるところだろうが、役所広司の殺陣は近年の腰の座っていない役者の中では、随分見応えがあるほうである。至芸とも言うべき戦前の嵐寛寿郎、近衛十四郎、昭和3、40年代の三船敏郎、若山富三郎あたりと比較したりするのは酷というものだろう。
「騙す」物語となればいつかは出てくるだろうと思っていた宗教ネタ。 教祖が桃井かおりってのは、どうなんだか。人を騙す新興宗教の教祖としては 呑気過ぎるんじゃないかと思ったが、教祖自身も騙されてたって役だから、まあいいのか。昔と違って、近年の桃井かおり、悪女役が似合わなくなってきてるけど、役者として小ぢんまりと収まってしまいそうで、ちょっと心配である。 阿地川盤嶽(役所広司)は、源助(梨本謙次郎)とおりん(広岡由里子)という農民夫婦の家に厄介になっていた。 村の周辺では、お蝶(桃井かおり)という女が「正直庵」という額を掲げて、霊験あらたかというお札を農民たちに売りつけ、農民たちから「生き神様」とあがめられていた。盤嶽は珍しくも、お蝶に疑いをかける。実際、「正直庵」は裏で久左衛門(國村隼)という、怪しげな男が糸を引いていた。 盤嶽はお蝶に、「人の弱みにつけこんでお札を売るとは」と怒るが、お蝶に「盤嶽さんは強いからいいが、弱い人には神様との間を仲立ちする人が必要」と言い返す。 実はウチの母親も、晩年、似たようなことを言っていた。若いころは死ぬのも怖くない、と嘯いていたものだったが、病状が進んで、死を覚悟しなければならなくなってきて、信心が芽生えたらしい。気持ちは分らないではない。母が危篤状態に陥った時、私も神様にマジで祈ったし。もっとも、結局、母は助からなかったから、キリストさんもお釈迦様もマホメットさんも、「アンタは神様なんて信じなくていいよ」と言ってくれたんだなと思って、無宗教なまま、今に至っているが。 もちろん、盤嶽もまた強くなんかない。だから騙され続けている。人を信じないではいられないのは、とりもなおさず自分自身が弱いからだ。 あえて騙されることに身を投じる人間がこの世に存在するのは、人がみな弱いことの証明である。その何か強いもの、自分のようなちっぽけな存在をすら包んでくれる大きなものに包まれたいという願望は、誰にだってあるのだ。そういった人のニーズに一番手っ取り早い形で答えているのが宗教なのだから、一概に否定できないってのは私にだって分るのである。 しかし、盤嶽同様、私は自問自答せざるを得ない。 ならばなぜ宗教は庶民に安易な夢を見させる方向にばかり転んでいくのか? 人間の苦しみは、そう簡単に消えてなくなるものではない、信心すれば救われるというのは幻想だ。実は有名どころの宗教の教祖はキリスト教にしろ仏教にしろ、たいていそんなシビアなことを語っている。「人間、諦めが肝心」。宗教の教義は実はこんなものだったりするのだ。 しかし、それでは宗教は広がらない。儲かりもしない。だから「継承者たち」は、たいてい民衆に甘いことばかりを言う。呪文だけ唱えてれば、お布施をあげてれば、それだけで救われる、という安易さは何なのだろう。 そんな安易さに引っかかってしまうほど、追いつめられている人が多いのか。そんなに自分に自信のない生き方を、覚悟のない生き方をして来た人が世の中には多いのか。それはその人の強さ、弱さとは関係がないようにも思うのだがどうか。 例えばしげはムチャクチャ弱くてバカな人間だが、それでも宗教にハマることだけはないと思う。人間、どんなに弱っちくても、神様に頼ったって損するだけじゃん、くらいの理性は働かないものなのか。
生糸問屋の清兵衛(石橋蓮司)が、自分の娘・お糸(田中規子)と久左衛門を娶わせるために、邪魔なお蝶を始末しようと企む。盤嶽の活躍で、清兵衛の陰謀は阻止されるが、不思議なことに、お蝶を殺そうとまでした久左衛門が、またお蝶とヨリを戻し、旅に出る。 「男と女とは何だ」と考え込む盤嶽。 男女の中に疎いのはこういうキャラクターの定番だけれど、『人情紙風船』の山中貞雄脚本を元にしているのなら、もう少し深刻な展開になっても、というのはまあ無理な希望か。『紙風船』は山中貞雄の遺作だし、到達点をもって過去の作品を評価していいはずもない。 サラリと流したその手際も、リライトした脚本家に帰されるべき称賛だろう。
本を少し片付けようと、書庫に篭ったら、つい、藤原昌幸(現・富士原昌幸)の『刑事戦士Xカリバー』全4巻とか、蛭田達也の『コータローまかりとおる!』全59巻とか読み返してしまう。 そんなことやってたら、本の整理なんかできねえって(-_-;)。 けれど『コータロー』、やっぱりおもしれーわ。自慢じゃないが、私はテコンドーもグレイシー柔術の存在もこのマンガから学んだ。っつーか、日本でそれらの武道が人口に膾炙するようになったのは、このマンガが取り上げた以後のことだ。『コータロー』は、明らかに、日本に武道を普及させるのに一役買っているんであるが、そのワケは、しょーもないギャグを交えながらも、そのアクション描写が的確であるからにほかならない。……実はホントに「的確」かどうか、格闘技に詳しくない私には断定はできないんだけれど、少なくともそう思わせるだけの密度を持った描写をしていることは間違いないのだ。 けど、KCコミックス版はもう絶版なのかね。ワイド版だけでも30巻越えてるから、全59巻なんてとても新しい人の購買意欲をそそらないってのは分るんだけども。
角川書店編『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店・1995円)。 横溝正史生誕100年を記念して出版された三冊のうちの一冊。そうだよなあ、まず角川がこういう本を出さないとなあ。何しろ金田一耕助シリーズはおろか、『蔵の中』まで映画化くらい入れこんでたんだし(もっともコレだけはさすがにヒットしなかったが)。 文庫もカバー一新で12冊が復刊されるみたいだし、今まで横溝正史の探偵小説(やっぱりホントはミステリーとか推理小説って言いかたじゃなくて、この表現に拘りたいよな)に触れたことがない若い方には、ぜひ、この機会に一冊でも多く、横溝作品を読んでほしいのである。 坂口安吾が「アガサ・クリスティーに匹敵する実力」と評価した世界探偵小説のベストテンに入れてもおかしくない傑作群を横溝氏は量産してきたのだ。 復刻される文庫本を、名探偵金田一耕助の事件簿順に並べてみる。 昭和12年『本陣殺人事件』 21年『獄門島』 22年『悪魔が来りて笛を吹く』 23年『夜歩く』 『八つ墓村』 24年『犬神家の一族』 25年『迷路荘の惨劇』 26年『女王蜂』 30年『悪魔の手毬唄』 『三つ首塔』 34年『仮面舞踏会』 35年『白と黒』 『悪霊島』と最後の事件である『病院坂の首縊りの家』が復刻されないのは残念だが、これだけでも充分横溝正史の真骨頂は伺えるラインナップだ。 特に、これまで過小評価されることの多かった『白と黒』が含まれているのは、その慧眼を声を大にして称えたい。横溝正史賞を受賞した小川勝己が、本書のインタビューで、「おそろしくフェアに書かれている」と評価してくれているのがラインナップに影響を与えたのかもしれない。 しかも、カバーデザインまでが「白と黒」のシンプルなカラーで統一されているのだ。これがもう、美しいったらない。横溝正史は全冊持ってるけど、もう一冊、買っちゃおうかな。 未読の方は、この機会にぜひ、時代順に読んでもらいたい。
特集記事の中で、個人的に一番の目玉だったのは、やはり江戸川乱歩との往復書簡だろう。乱歩と正史のほぼ全作を読んでいる私も、書簡までは手が回らない。これだけで、しょうもないインタビューだの対談記事の多いこの本を買った甲斐があったというものだ。 この偉大なる二人の探偵作家が、終生親友であり、同時に憎悪も抱きあったライバルであることは、意外に知られていない。丹念に両作家の作品を見ていけば、必ずしも関係者から話を聞かなくても、お互いを意識しながら作品を書いていったことが分るのだが。
驚いたのは、正史が、『屋根裏の散歩者』を乱歩が書いた時点で「『明智(小五郎)』はもうそろそろお止めになってはどうでせう」と書き送っていることだ。 もうそろそろも何も、『屋根裏』は、『D坂の殺人事件』『心理試験』『黒手組』『幽霊』に続く明智小五郎シリーズ第五作、「もう止めたら」というほど作品を重ねているわけではない。これらは全て大正14年に一気に書かれたが、第一作の『D坂』が「いい主人公を考えつきましたね」と人から口々に誉められたから、本来初めの二作で終わる予定だったのがシリーズ化されたのである。乱歩は「誉められないと書かない」といういささか困った性格の作家だったが、つまり誉められれば誉められただけ、傑作を書いてしまう人だったということだ。 横溝正史がそれを知らないわけはない。しかも、『屋根裏』は、前二作の『黒手組』『幽霊』のような腑抜けた凡作と違って、紛れもなく明智小五郎の事件簿の代表作でもあるのだ。 横溝正史はこのとき江戸川乱歩の才能に嫉妬し、彼を落とし入れたのではないか。あまり信用してはもらえないかもしれないが、一応、根拠と言えるものがいくつかはある。 一つは、この直後、乱歩が長いスランプに入ったことである。 次作『一寸法師』で明智はいきなりそれまでの和服の貧乏書生から、洋装のハンサムに変身する。しかも、どうやら本作を明智シリーズ完結編にしようとしたフシまであるのだ(何しろ最後にはあんなことしちゃうし)。更に『一寸法師』の出来映えに嫌悪を覚えた乱歩は、このあとなんと失踪してしまう。これも正史の手紙がきっかけになったと考えるのは穿ち過ぎだろうか。 もう一つ、正史は、金田一耕助の造型に明らかに初期の明智を流用している。随筆では一切そのことに触れようとしなかった正史だが、『横溝正史読本』での小林信彦との対談で、「明智が変わったから、金田一をああいう男にできた」とハッキリ語っている。……常識的に考えたら、「金田一は明智のパクリですか?」とは分っててもとても聞けない。小林信彦、よくぞ聞いてくれたってなものだ。
正史が金田一を造型したのは、明智が変わってから20年を経過した戦後のことだから、その連関性は薄いようにも思える。 しかし、その「変わった」明智シリーズに、実は横溝正史をモデルにした人物が新たに登場していた、と言えば、驚く方もおられようか。と言っても、それなりに根拠はあるのだが、これもまた私の邪推ではあることを先にお断りしておきたい。でないと熱心な正史ファンの方の中には、ショックを受ける方もいらっしゃるかもしれないので。 それは明智の妻、文代夫人である。 ……あ、そこの人、コケたりしない(^_^;)。 女じゃん、と突っ込まれそうだが、この文代夫人、初登場からしばらくは、スパイ顔負けの女探偵として活躍していたのだが、小林少年が登場してからは体を悪くして療養生活に入ってしまうのである。 実は正史のデビューは乱歩より早い。しかし、横溝正史は若いころから結核を患っていて、乱歩が招聘するまで、兵庫で引退して薬局の主人をしていた。それを乱歩の旺盛な活動に触発されて、上京してきた。雑誌『新青年』の編集長もやった。作家活動も再開したにもかかわらず、再び喀血して、正史は岡山に隠棲してしまう。 そのあと、乱歩は衆道趣味の知人である岩田準一と、ソチラ方面の資料収集に深く関わっていく。しかし、もともと乱歩が「美少年に会いに行く」趣味を共通して持っていたのは、正史とであったのだ。しかし正史は乱歩から「捨てられた」。明智が、その伴侶を文代夫人から小林少年に移していったように。 これを正史はどう受け取ったか。 明智は乱歩だ。 文代は正史だ。 乱歩が呼んでくれたから、正史は作家になった。なのに乱歩は、もう自分のことは忘れているかもしれない。 戦後、正史の体調が回復し、明智を自分のものにしようと考えたのは、乱歩自身を取り戻したいとする、モトカレとしての代償行為ではなかったか。 ……長くなったので、続きはまた明日の日記で。
2001年06月18日(月) オンナノウラミ/『うる星やつら 努力、女の道!!』(高橋留美子)
| 2002年06月17日(月) |
范文雀はプロレスラー!?/『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを造った男たち』(武田康廣) |
仕事が立て込んで来ているので、チョイと気張ってバタバタと片付ける。 体調がいいときはこの程度の仕事、難なくこなせるのだ。 迎えの車の中で「オレってやればできるよな」と言ったら、しげが「つまり普段はやってないってことじゃん」と突っ込む。 やってないんじゃなくて、やりたくてもできないんだよ。仕事遅らせてる事実に変わりはないが。
しげが「今日はなんだかスシ気分」と言うので、回転すし屋を目指す。 もっとも、夫婦揃って金欠病なので、いつものボッタクリの「すし大臣」には行かない。一皿100円オンリーの「しーじゃっく」に向かう。3号バイパス沿いには適当な間隔を置いてメシ屋の類が結構あるので、食事には事欠かないのである。これで本屋さえあればなあ、というのが我々夫婦のいつもの述懐。マトモに本を買おうと思えばどうしても博多駅かキャナルか天神まで出ねばならぬのである。 細野不二彦の『ギャラリー・フェイク』の新刊も浦沢直樹の『アナザーモンスター』も未購入。週末は本屋回りしないとなあ。
「マリンポリス」と前は言ってた「しーじゃっく」。結構あちこちにあるチェーン店だけど本社はどこなんだろな。ネタはやはり「すし大臣」とは比べものにならないくらい「薄い」。厚さも味も。 けれどマズイと言うほどではないし、何より安いので庶民は本来こんなもんで充分なのである。「すし大臣」を行き付けの店にするなど、言語道断。と言っても所詮はどっちも回転寿司なんだけどさ。そう言えば普通の寿司屋もすっかりなくなっちゃったねえ。 ふと気づくと、しげが店内のソフトクリーム販売機をチラチラと物欲しげに見ている。 その態度で何を望んでいるかは一目瞭然だが、無視するのも何なので、一応「食べたいの?」と聞いてみる。しげ、コクンと頷いたあと「アレ、食べ放題かなあ」とつぶやいて指を舐めている。 「シズラー」じゃあるまいし、ソフトクリームだけバイキングってわけないじゃん、と思うが、しげがいつまで経っても販売機から目を離さないので、仕方なく従業員のねーちゃんに「あれ、おかわり自由なの?」と聞く。 ねーちゃん、「あの、1回だけなんですけど」と困ったように答える。ほーら見ろ、店のねーちゃん困らせちゃった。ある意味、私よりもしげの方がよっぽどクレーマーだ。 でも結局、一回こっきりのソフトクリームも注文。二人で1個を分ける。 味はまあ、普通のバニラでしたね。それで値段が210円というのはちょっと高いぞ。
唐沢俊一さんの裏モノ日記を読んでいたら、奥様のソルボンヌK子さんが、酔っ払って「ジュン・サンダー杉山清貴とオメガトライブ」とダジャレを飛ばしているのを読んで、大笑いする。 いやね、ギャグが面白いからってんじゃなくて、このギャグ、しげもしょっちゅう言ってるからなんだけどね。もっともしげは「ジュン・サンダー杉山」までしか言わないけど。 「おい、ちょっとこっち来てみな、ソルボンヌさん、オマエと同レベルのギャグ言ってるよ」 「なに? なんのこと?」 面倒臭そうにパソコンの画面を覗きこんだしげ、憮然とした顔をする。 「思いついてもフツーは言わないけどなあ。ソルボンヌさんも酔っ払ってるからこんなしょーもないこと言ってるんだよな。つまりシラフのお前とヨッパライのソルボンヌさんのギャグレベルがどっこいどっこいってなワケで……」 「オレ、ギャグなんか言ってないよ」 「……え?」 「だから、ジュン・サンダー杉山でいいじゃん」 「……マジか? お前」 「だって、どこで名前を切ったらいいかわかんないし」 「自分で勝手に名前くっつけてんだろうが!」 どうやらしげのアタマのなかでは范文雀とサンダー杉山は同一人物らしい。なんでや(-_-;)。
俳優、室田日出男が15日、肺がんのため死去。享年64。 まだ64だったのか。ここしばらくの老け込み方がひどくて、見た目は80歳くらいに見えていたのだが、やはり病気だったんだろうなあ。 室田さんについては「ワリを食ってる人」という印象が常にあった。 役者として演技力はあるし、幅の広い人だったとも思う。なのにその実力を生かす役に恵まれてはいなかった。ピラニア軍団の中では、川谷拓三はドラマで主役を張るほどに「出世」したが、本来、室田さんがそのあとに続くべきではなかったか。悪役・脇役に留まらない存在感が確実にあったからだ。 なのに、映画での使われ方は主役の「引き立て役」以上の役が与えられない。代表作のように言われている『仁義なき戦い』シリーズをまともに通して見たことがないので、何とも言えないが、ほかの『白昼の死角』『影武者』『マルサの女』と言った作品も、室田さんが何の役で出ていたのか、すぐには思い出せないのだ。 今、思い出せるのは『魔界転生』の宝蔵院胤舜。魔界衆の一人だと言うのに、何ら見せ場を作る所がなくやられていた。あんな役なら出す必要もないだろう、というくらいの軽い扱いである。 『悪霊島』などはもっとひどい。室田さんが演じた磯川警部は、原作では「磯川警部自身の事件」と言ってもいいくらい、重要な役割を担っている。なのに映画ではただの刑事役に格下げされて全く見せ場がなかった。 重要な役でも、室田さんが演じるとなると、役が小さくされてしまう。アクが強過ぎて監督たちに嫌われてるんじゃないか、と邪推したくなるくらいである。室田さん自身はそのことをどう考えていたのだろうか。
武田康廣『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを造った男たち』(ワニブックス・1470円)。 今でも覚えているのは、ガイナックスが『王立宇宙軍』を製作している最中に、宮崎駿が「アレは若い人たちがバンダイを騙して作ってるんです」とかなんとか『アニメージュ』にコメントを寄せていたことだ。宮崎さんはほかにも「まさかアニメーターでメカや爆発は描けても人間が描けないやつがいるとは思わなかった」とか、庵野秀明さんを想定して揶揄したりしている。 宮崎さんの韜晦癖を知っている人には、これが遠回しな援護射撃であることはわかるだろう。「DAICON」オープニングアニメなどで、その実力はオタクにこそ浸透していたものの、世間的には、全く無名の新人たちがいきなり8億の巨費を投じて長編アニメを作ったのである。ヒットする保証はどこにもない。しかし、成功しなければ、彼らに未来はない。 当時、『アニメージュ』は『王立宇宙軍』に破格のページを割いていた。人気アニメーターの新作や声優がらみならばともかく、このようなことは異例だったが、恐らくそこにも宮崎駿の「押し」があったのだろう。 『王立』は、当時のアニメファンに、なんとしても見ておかなければならない作品だと刷り込まれることになった。そして、『王立』で盛名を馳せたガイナックスは、その後も『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』というヒット作、超ヒット作を生み出して行くことになる。
著者の武田康廣氏は、ガイナックスの取締役で、ガイナックスの前身、ダイコンフィルムで『快傑のーてんき』を演じたその人でもある。 アニメ創世記ならばともかく、一介のアマチュアグループがプロダクションを作り、世界的にも最高レベルのアニメを連発することになるとは、まさに奇跡。その裏事情が読めるとなれば、矢も楯もたまらず飛びついてしまうのはアニメオタクならば当然だろう。 モノ造りに順風満帆ということはない。 人は常に離合集散を繰り返す。それはアマだろうとプロだろうと、モノ造りに集った者たちの運命なのである。今やガイナックスの顔となった庵野秀明、山賀博之、赤井孝美の各氏も、常にガイナックスの中心にいたわけではない。自ら恃む者たちが集まれば、イニシアチブを誰がとるかという命題から目を背けるわけには行かないのである。 結果、多くの人々がガイナックスから去った。追い出された人も大勢いる。元ガイナックス社長の岡田斗司夫さんもその一人だ。「何もしない社長を社長として頂くわけにはいかない」、武田氏の主張は確かに正論だが、正論なだけにそこにはかえって「逃げ」の姿勢が見られる。負い目のある人間は、攻撃的に出ることが往々にしてある。さりげなく自分のことはオブラートに包んだように書かれているが、武田氏も相当各方面から「何もしない」ことで憎まれていたのではないか。例の脱税事件において、同じく取締役の澤村武伺氏に「任せきり」で、「経営に対する無関心」を生んだことが事件の原因、と殊勝に聞こえるようなことを書いているが、反省しているようでいて、責任を澤村氏に押しつけた恰好になっている。こういう「優しげな逃げ腰」の文章は、読んでいてあまり気持ちのいいものではない。 しかし、誰が悪者か、なんてことを追及したところでそれはしかたがないことだ。確かに、どんなに丹念に読んでいっても、武田氏がガイナックスにおいてどれだけ重要なのかさっぱり分らない。要らないんじゃないか、このヒト、とも思う。おかげで、批評のしようがないのだが、そういう「何の仕事をしているのか分らないヒト」も組織には必要なのだ。人と人との緩衝地帯として。
それにしても、『おたくのビデオ』も脚本は岡田斗司夫さんになってるけど、実は山賀博之さんだったとはねえ。岡田さん、もしかしたら自分では一本も脚本書いてないのかも。
2001年06月17日(日) 父の日延期(^_^;)/映画『高校教師』
| 2002年06月16日(日) |
悪態つくのは照れ隠し/『おしのび倶楽部』(横山えいじ)ほか |
朝、10時ごろ、父から電話。 ちょうど仕事が空いたので、しげの散髪をしてやろうとのこと。 もともと今夜は、父の日ということで一緒に食事をする予定にしていた。しげが、「ピアノの生演奏を聞きながらステーキが食べられる店」というのをワザワザ予約して、この日に備えていたのである。 ホントは、夕方5時頃に、店でしげを散髪してもらうように約束していたのだが、もしかして夕方、客がたて込んで忙しくなるかも、と気を遣ってくれたのだ。 本来第三日曜は姉の店は休日なのである。 なのに今日もしっかり開店しているのは、冗談ではなく、休日も営業しないことにはやっていけないということらしい。客商売の浮き沈みはとことん激しいのだ。 早目に出かけるのに私の方は否やもないが、あいにく肝心のしげがまだ寝ている(-_-;)。休日となるホントにとことん寝やがる。 寝てて起きないから、昼ごろになると思う、と伝えて、あとはしげの覚醒待ち。20時間くらい軽く寝るときもあるやつなので、果たして昼までに起きられるか、と懸念していたが、幸い、ちょうど12時にトイレに起きてくる。しげを早く起こすためには、寝る前に水分をたっぷり取らせておく必要があるのかも。
しげを散髪してもらったあと、一旦ウチに帰って昼寝。 DVDで『ラヂオの時間』を見返す。舞台版より面白くなっているところもあるが、減っているのもあるので、評価はトントンというところか。 ちょうど見終わろうかというあたりで、父から再度電話。 仕事が忙しくて、約束の時間に間にあわないとのこと。だったら慌ててでかけることもないかと思い、ゆっくりしていたら、今度はしげが「まだ出掛けんと!?」とやきもきし始める。 「遅れるって言ってたから、時間ちょうどに出掛けりゃ間に合うよ」 「そう言っといて、時間通りに来たらどうするん!」 あまりうるさく言うので、仕方なく腰を上げる。……けど、こういう時の女のカンというものは当たるようになっているのだろうか。「遅れる」と言っていた父と姉、ちょうど私たちと同じ時間、8時ぴったりに予約していた店に自転車で来ていた。 私の顔を見るなり、「時間より早目に来とかんや!」 と、父に怒鳴られる。 しげは「ほら見てん」と勝ち誇ったよう。でも時間に遅れたわけじゃなし、なんでこうも悪し様に言われなきゃならんのだ。
ピアノ演奏は10分程度の間を置いて、数曲ずつ、やはり10分程度演奏される。 ピアニストの方の物腰が柔らかいので、父は「あれ、女か?」とシツレイなことを言う。田舎オヤジはこれだから(^_^;)。 でも確かに、ちょっとアレ入ってる感じはあった。姉がまた、ワザワザ手首をくねらせて、おかまポーズを取って見せるものだから、こちらはピアニストの方に気付かれやしないかとヒヤヒヤもの。どうしてこう、オヤジ世代は無遠慮なんだか。 明りが暗い、とか、童謡ばっかり演奏してる、とか、父、自分が招待されてる立場なのに文句をつける。 普通、こういうところの明りが煌々としてたら、ムードもへったくれもないと思うのだが。例えば、店に来たカップルは、暗いからこそ、必然的に顔を近づけあって喋ることになり、そこでまあ、何やかやと気分が盛り上がって、次は二人っきりになれる場所へ……となるのである。 もっとも父とムードが盛りあがったってしょうがないのだが。 演奏だって、その日その日でいろんな曲を弾いているんだろう。たまたま今日が童謡が多かった(厳密に言えば唱歌ばかり)ってだけの話だ。『早春譜』とか、そんなのね。 これって、いちいち文句の付けるほどのことじゃないよな。昔から父は、どーでもいいことに細かいのである。 コース料理はまあ、こんなもの。出された酒が美味しいと、これは父も気に入ったよう。最後に「ありがとうね」と言ってたから、まあ、満足してもらえたのだろう。 姉が「自分の分は払う」というのを断って、全額四人分払う。このときのためにナケナシの金を取っておいたのだが、これでまたしばらくは食事も切り詰めた生活を続けなけりゃならない。少しは計画性を持たなきゃなあ……って、できたためしもないことを夢想(^_^;)。 しげ、父に喜んでもらえたかどうかをやたら気にするが、よっぽどひどいところでない限り、怒ったりはしないものだ。やたら愚痴を言うのは、ウチの血なんでしかたがない。アレで実は喜んでるのよ、オヤジは。 腹蔵があるわけではないので、聞き流してりゃいいだけなんだけどね。
アニメ『サイボーグ009』第34話「ファラオウィルス」。 一応原作にあるエピソードなんだけれど、より003がフィーチャーされているストーリーになっている。ブラックゴーストはまだ復活していないので、ウィルス培養の真犯人は企業の陰謀という形に変更。原作ではブラックゴーストが単なる死の商人ではないことを示すエピソードの一つだったので、この変更はちょっと惜しい。敵のボスキャラも、石森さんの別の短編からの流用。 オリジナルな味付けをするのを否定するつもりはないけれど、たいした能力のない003が一人で飛び出していく動機付けが今一つ弱い。脚本も少し疲れてきてるんじゃないか。そろそろ短編シリーズは一区切りして、長編シリーズに入ってほしいんだけどなあ。
マンガ、横山えいじ『おしのび倶楽部』(秋田書店・897円)。 出版されたのは昭和60年、おいおい、もう17年も前かよ(-_-;)。 ずっと買い損なっていたこの本、単行本リストには載っていたので、欲しくてたまらなかったのだが、横山えいじの本が再刊されることなどありえようか(断定しちゃいかんが、実際、二刷されてたのなんて見たことないぞ)。 吾妻ひでおの遺髪を継ぐ(まだ死んでないって)のはとり・みきと横山えいじだと、私は常々主張していて、衆目も一致するところだろうが、悲しいことに、その「衆」に会ったことがない。え、えすえふまがじんに連載までしていたというのに、ど〜して横山えいじの知名度はこんなに低いのだ。 だから、ジュンク堂でこの本を見つけた時にはマジで狂喜した。初版だったのでちょっと泣きたくなったが。 人の変身願望を満たすための秘密の地下組織・「おしのび倶楽部」。虐待願望を持つ女子高生・佐渡密子、説教魔のヤクザ、二宮金次、水戸黄門願望の「おやじ」、そしてムリヤリ仲間に引き入れられたヒーローマニアの浪人生、中野大作。四人は人の迷惑顧みず、自らの願望を満たすためとちょっだけ世の中の平和を守るために、もっぱら夜ばっかり戦い続けているのだ!……何と? マニアックなSFギャグが炸裂する『マンスリー・プラネット』や『ルンナ姫放浪記』と違って、キッチリとシチュエーションコメディをやってる本作は、近作のファンにはチト物足りなく感じるかもしれないが、やはりSFオタクな味わいは「さりげなく」散りばめられている。恐らく連載当時は、マニア嫌いな編集部と横山さんとの間で丁々発止の戦いが繰り広げていただろうことは想像に難くない。そんな作者の苦労を思うと、涙を禁じえない。 『七色仮面』も『鉄人28号』も『まぼろし探偵』も、今時の若い子はじぇんじぇん知らないからな〜。 え? それはSFじゃなくて、ただの「なつかし番組」だろうって? その偏狭な発想がSFをマニアでオタクな範疇に閉じこめちゃってるんだよ。「ガンダムはSFじゃない」とか「ゴジラはSFじゃない」なんてタワゴトこきゃあがるスットコドッコイは、エセハードSFファンと野原ひろしだけでたくさんだ。
『アニメージュ』(徳間書店)7月号、富野由悠季の新作、『オーバーマン キングゲイナー』にタイアップして、「ニュータイプ人生相談 富野に訊け!」といういささか熱過ぎる連載が始まっている。 山本弘さんのSF秘密基地の掲示板で、富野さんがまたトンデモなことを言ってる、とかなんとか書き込みがあったので、そんなにヒドいこと言ってるのかと思って読んでみたが、別に全然トンデモじゃなかった。 「29歳でアニメーターに転職したいんですけど、甘いですか?」という質問に対して、富野さんの答えは「甘い! そんな根性のやつは来るな!」ってなもの。身もフタもないと言われりゃそれまでだけれど、私だって、富野さんの立場だったら「今の仕事を続けなさい」と同じことを言うがね。どうもSF秘密基地に集まってる人たち、トンデモ漁りをするあまり、自分自身がトンデモになっちゃってることに気づかなくなってんじゃないか。ミイラ取りがなんとやらだね。 2ページだけだけれど、水民玉蘭さんが『クレヨンしんちゃん アッパレ! 戦国大合戦』の美術を特集している。当たり前の話だが、美術についても戦国時代の考証は綿密に行われている。当時の関東地方では城に石垣を作らずに土塁の上に城を建てていたこと(小田原北条氏の拠点だった逆井城というのがモデルだとか)など、感心したことも多い。濃い特集をやってくれてるよなあ。アニメ雑誌もようやく『クレヨンしんちゃん』の価値を認識してきたってことかな。
2001年06月16日(土) 通産12時間睡眠/『QUIZ』下巻(浅田寅ヲ)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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