無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年06月12日(水) 悲しい日/『B型平次捕物控』(いしいひさいち)/舞台『笑の大学』ほか

 こんな夢を見た。
 私はある女の子とつきあっている。
 ヤバいことにこれが女房ではない(^_^;)。夢だから怒るなよ、しげ。
 髪の毛を右と左で結んで垂らして(つまりシッポが二つってわけやね。『メガロマン』の高嶺ラン(杉まどか)を思い浮かべてくれい。……って知ってるヤツどれだけいるんだ)、ちょっと小生意気そうな彼女だ。
 学校帰りの彼女(どうやら女子高生らしい。なんてことしてんだ、私)を出迎えて、一緒にさびしい田舎道を歩く。あたりは一面、田んぼしかない。はるか彼方に山並みが見えるだけ。
 私は彼女のことが好きなのだが、彼女は私の気持ちに気付いていながらはぐらかしてばかりいる。えいくそ、この小生意気な悪魔っ子め。
 突然、彼女がこんなことを言い出す。
 「知ってた? 藤井隆って、この辺の生まれなんだよ?」
 「知らなかったな」
 「私、よく知ってんの。彼のこと」
 「ふーん、よく会うの?」
 「うん」
 私の心の中に嫉妬の気持ちがムクムクと湧いてくる。
 ふと、向こうを見ると、ポツンとバス停があって、そこにひとりの男が立っている。
 藤井隆だ。
 サングラスをかけていたが、それを外してこちらを見ると、彼女に挨拶をした。彼女は返事をしない。
 私は少しホッとする。彼女が愛想がないのは、なにも私相手に限ったことではないのだ。あの藤井隆に対してですら(なぜそこまで藤井隆を持ち上げているのかは謎)、彼女はツンとした顔しか見せないのだ。
 ちょうどそこにバスが来て、彼女はそくさと乗りこむ。
 彼女は、私を無視して、藤井隆にだけ「じゃあね」と声をかける。
 てっきりバスを待ってたと思っていたのに、藤井隆は立ったままだ。何しに来たんだ、藤井隆。
 バスは彼女を乗せて彼方に去って行く。
 私は藤井隆と二人きり、バス停に残された。
 ……ここに置いてきぼりにされた方が負けだ! そう察した私は、別に帰り道にでもないのに、藤井隆をそこに置いてバスの去った道を歩いていった。

 で、どういう夢なんだ、これ。
 何かそんなに藤井隆を気にしなきゃならない理由でもあるのかなあ……と思って気がついたんだけど、こないだ見た映画『少林寺サッカー』で、ハナクソほじってるオカマの美容師が出て来たんだけど、あれがちょっと藤井隆に似てたんだね。
 で、多分私は、「藤井隆って、オカマ演技してるけど、ホントにそうじゃないよなあ」とか考えてたんで、「藤井隆はちゃんと男だ」ということを証明するために、こんな夢を見たらしい。
 そんな藤井隆の弁護してやるためだけに夢なんか見るなよ、私(-_-;)。


 腹が減ったがカネがない。
 一応カネの出所は某所にあるのだが、忙しさにかまけて、取りに行っていない(こういう書き方したら不正なカネみたいだがそんなことはありません)。
 しかたなく、しげにココアとサンドイッチ分けてもらう。
 今日の食事はこれだけだ。少しは私のカラダ、痩せてくれるかな?


 アニメ『ヒカルの碁』第三十五局「勝者はひとり」。
 ヒカルと佐為の分岐点を示すエピソード、韓国の少年棋士、洪秀英(ホンスヨン)との対戦編。
 マンガ版では、韓国語をカタカナ表記にして、日本語との違いを表してたが、さて、アニメではどうするかと思ったら、日本語のまんまでやりやがった(-_-;)。
 子供も見てるし、韓国語で字幕を流すのもどうかって判断したんだろうけど、こういうところを安易に吹替えにしないって姿勢も大事だと思うけどなあ。
 洪秀英役の伊東みやこさん、なかなか個性的なイイ声をしている。少し小生意気な少年のオファーが続けば人気が出るんじゃないか。


 夕刊を読んで驚愕。
 消しゴム版画家のナンシー関さんが死んだ。
 1962年生まれの同い年、しかも大学が同窓(私は一部で向こうは二部だけど)。
 先日の伊藤俊人さんの死去のニュースもショックだったが、これはもう、なんといったら言いのか言葉が見つからない。
 「11日夜、知人と食事の後、帰りのタクシーの中で具合が悪くなり、そのまま都内の病院に入院、急死した」とのこと。
 死因は「虚血性心不全」と言うことだが、そんなよく判らん病名で説明しなくても死因はハッキリしている。太りすぎだ。見るからに100キロは越していたし、100メートル歩いただけで息切れがしてたって言うし、あれで心臓が持つほうが奇跡のようなものだ。
 けれどまさかナンシーさんが死ぬなんて予想もしていなかった。
 あの人の消しゴム版画は全然おもしろくなかったけれども、社会に対するキャッチーとしては有効だった。そしてあの毒舌たっぷりのエッセイ。
 同じ「毒」でも、ビートたけしのエッセイとは明らかに質が違う。
 たけしの時評は「いっそのこと○○しちゃえば」みたいなムリヤリギャグに仕立てようとして、失敗してハズしてるところが多々あるが、ナンシーさんの毒舌は実は「芸」ではなかった。いや、「芸」には違いないのだが、「芸」であるようには見せていなかったのだ。

 厳密に言えば、ナンシーさんのエッセイは「批評」でも「評論」でも「解説」でもなかった。客観的な真実を探ろうとするのが「評論」なら、ナンシーさんのは主観的な「印象」に過ぎない。
 しかし、ヒョーロンなんてシチメンドクサイ行為を日常行ってる庶民なんていはしない。ナンシーさんのエッセイに我々が拍手を送ったのは、それがどんなに主観的な思い込みに見えようと、誰もが「そうだよな」と納得する「絶対多数の」主観だったからである。主観も、そう思う人間が多ければ、客観となる。
 それゆえにナンシーさんの文章は、まさしく「時代観察者の証言」たりえていたのだ。

 ナンシーさんの文章は、テレビを見たときのストレートな庶民感情の発露であり、そこには、マジメな人間なら自分が悪人に見られたくなくて言い控えてしまう悪口を「思ったこと言って何が悪いの? みんな同じこと思ってんでしょ?」とサラリと言ってのける「粋」さがあったのだ。
 ああ、そうだよ!
 ナンシーさんは「粋」だったんだ!
 もちろん、ナンシーさんに対して批判がなかったわけではないだろう。
 ネットを散策してみると、小倉智明が「事実無根のことを書かれて……」とかコメントしてたそうな。ファンが追悼してる最中に自分のこと弁解するのか、小倉。……まあ、小倉は言うよな、そういうヤツだってことはナンシーさんも指摘していたことだ。
 「事実無根」って、おまえのヅラ疑惑か?(`▽´)
 別におまえが本当にヅラかどうかなんてどーでもいいんだよ。
 「ヅラに見える」、つまりは、エラソウなことコイてるけど、お前みたいなソトヅラだけ作ってるのがミエミエの胡散臭いヤツの喋くりの中身なんか、いっこも信用しちゃいねーよってことを言ってるんだよ。
 だからナンシーさんの言ってたことは「事実無根」でもなんでもないのだ。
 コラ小倉、テレビに出て、大衆の好奇の目に晒されるのは当たり前なのに、悪口言われたり陰口言われることにいちいち憤慨してんじゃねーよ、みっともないぞ。その程度の悪口を受け止める覚悟もねーのに、キャスターなんてやってんじゃねーや。

 いろんな人のナンシーさん追悼の言葉がネットに散乱している。
 大月隆寛のコメント、「単なるテレビコラムニストの死ではなく、思想的な事件であると思う」。それはその通りだけど、今それを言うか。そんな人が死ねば「持ち上げる」行為をナンシーさん自身が、嫌ってたんじゃないのか。
 なんだかピント外れなコメントが多い中、岡田斗司夫さんのコメントには打たれた。

 「コラムニストのナンシー関さんが亡くなりました。 
  ショックで悲しいです。 
  単行本は全て持っていました。 
  でも、いま悲しいのは「新作が読めない」というのとは、違う気がします。  ああ、僕はナンシー関が好きだったんだなぁ。」

 ナンシーさんのことを「消しゴム版画家」と言ってない(大月さんも「コラムニスト」と言ってるけれど、「テレビ」と付けていたのが惜しい)。
 わかってらっしゃるのだ、この方は。
 なんだかもう、一緒に生きてた人が亡くなった。そんな気持ち。
 悲しいよ。
 

 マンガ、いしいひさいち『B型平次捕物控』(東京創元社・630円)。
 いしいさんのマンガにはまとめてみると面白いものとつまらないものとの二種類があるが、『B型平次』は後者。
 だってハチが「てーへんだっ!」って言って、ダジャレが入って、平次がハチを蹴飛ばすだけのギャグが延々続くんだもの。なんだか鈴木義司『サンワリくん』並のツマラナサだ。
 4コマ漫画を革新させたのがいしいひさいちさんであることは言を待たないが、それが『バイトくん』や『がんばれ! タブチくん』ではなく、この『B型平次』だったら、ブームになるのはちょっと苦しかったのではないか。
 後半『忍者無芸帖』も収録されていて、こちらの方は相変わらずの忍者の間抜けぶりが楽しくて、買って損したって思わずにすんだけれど、結構やっつけ仕事もしてるんだな、いしいさん。


 ビデオで録画してた三谷幸喜の『笑の大学』を見返す。
 西村雅彦と近藤芳正の二人芝居。
 太平洋戦争時、浅草の喜劇団の座付き作者をしている椿(近藤)が、なんとか上演中止に持ちこもうとしている検閲官の向坂(西村)の支持通りに台本を改訂していくうちに、なぜか話がどんどん面白くなってしまうというもの。
 1996年の読売演劇大賞を受賞した作品だけれど、案外構成に破綻のあることが多い三谷さんの喜劇の中では、よくまとまっているほうだ。
 ことに、近藤芳正の熱演は、今までの中でもベストではないだろうか。映画やドラマでは気弱な小市民を演じることが多いけれど、その影に秘めたる熱意、演劇に賭ける情熱、そんなものまで感じさせてくれたってのは、もう、演劇関係者にとっては応援のエールを送られたようなもの。大感激だ。
 ……急に見返したくなったのは、やっぱり自分の心を慰めたくなったってことなのかなあ。
 しげが、仕事から帰ってきて、「また見よん」とかほざきやがった。
 そうしょっちゅう見返してるわけでもないのに、何を文句つける必要がある。それに見返すこと自体、別に悪いことでもなんでもないじゃないか。
 『ブルースブラザース2000』を20回以上劇場に見に行ったアホに言われたくなんかないんである。

2001年06月12日(火) マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)


2002年06月11日(火) 有久家の崩壊……直前?/『パタリロ西遊記』4巻(魔夜峰央)/『くらたまのお蔵だし』(倉田真由美)ほか

 今日も残業も頼まれるがきっぱり断る。
 いくら私がお人好しだからって、二日も連続して騙されやしないって。
 しげから「今日はちゃんと断ったの?」と聞かれたので、「ああ。もちろん!」と威張って言う。
 別に威張ることでもないどころか、同僚との間に気まずい関係を作っただけなんだが(^_^;)。

 なんだか急に気温が高くなって暑い。
 日中、びっしょり汗を書いてしまったが、お風呂はやっぱり水のまま。
 水風呂も気持ちよくはあるのだが、熱くなったと言っても、真夏日ほどではないから、腰から下までつかるのが限度。
 心臓の上までだと死ぬかも。
 早いとこカネ入れてガス復帰させてもらえりゃいいじゃん、と言われそうだが、あともうしばらく日々の生活をやり過ごさなきゃならんのと、しげに「どうせガス来なくっても平気なんでしょ」なんて言われたので、私も意地になっているのだ。

 そのしげ、私に言われた通り、ポットのお湯を使って、体を流そうとしたらしい。
 「湯舟にお湯入れたけど、暖かくならんかったよ!」
 「当たり前だろ!? ポットのお湯の量じゃ、焼け石に水じゃん(←タトエが逆だが)」
 「じゃあアンタどうやったん!?」
 「洗面器にお湯移して、水で薄めて使うんだよ!」
 口で言ってもよく理解できないようなので、実演して見せる。
 「ホラ、こうやって、お湯と水の量を加減して……」
 「そんなん、水の量間違えたら熱いやん!」
 「間違えなきゃいいだろ!」
 「間違えるんよ! オレは!」
 「威張って言うなあ!」
 その後もお湯の量が足りないとか文句を言うので、タオルにお湯を浸してカラダを拭けばそれで充分、と教える。
 「な、これでお湯が少なくても充分カラダが拭けるやろ?」
 「そんなんで大丈夫と?」
 「大丈夫だよ。オレは大学時代、こうやって半年にいっぺんしか風呂に入らんかったけど、別に病気にもならんかった」
 「……うそくさ」
 まあ、ホントはちょっと病気になったが。


 昨日覗いてみた、あずまきよひこさんのHP『A−ZONE』。
 今日覗いてみたら、「雑誌に載っていた『九月から新連載』というのはホントですか?」という質問に対して、あずまさんがおーさかの口を借りて「あれ、うそ」と答えていたのが、ちょっと問題になっている。
 つまり、これを本気に取った読者の一人が、「出版社がウソの情報を流したのか?!」と怒ってきたというのだ。
 ……ギャグマンガのファンなのに、ギャグが理解出来ないのかよ、コイツは。
 表紙であずまさん、「雑誌に載ったときは、編集者さんとの間で『できたらいいですね』というやり取りをしていた段階なので、確実とは言えませんでした」と謝罪しているが、謝罪しなければならないことじゃないよ。
 だいたい新連載を始める時期が遅れたからと言って、そんなに騒がなきゃならないことなのか。もともと、連載予告、とは言ってもどうやら正式な発表ではなくて、そのころになるかもって情報にすぎなかったみたいだし。なのに作者にメールを送りつける神経過敏さ、これだけでも充分トンデモさんだと思うのだが、どうか。
 ギャグをギャグとして受け取れない人間には、私もしょっちゅう出会っているが、なにが困るって、こういう「マジメな奴」ほど「自分は善人」だと思いこんでるから、自分の方こそ世の中をキュウクツにしている加害者だってことにも自分の愚かさにも、いっこうに気付かないのだ。
 昔はこういう連中をバカにする「野暮」っていう適切な言葉が日本語にはあったんだけど、最近は通用しなくなってるからねえ。つ〜か意味自体知らないやつばっかだし。「野暮」に替わるイイ言葉を発明しないといかんかなあ。


 買い置きの食料がもはやラーメンしかない。
 しかし金欠病がいよいよ深刻になってきているので、ここでムダ遣いは出来ないのだ。
 喜多方ラーメンのコシのある麺を一本一本啜りながら思う。
 生活がどんどん大学時代の貧乏なころに近づいてきているが、内心、それを楽しんでる部分が自分にないか。
 あのころに戻ってみたい、バイトをしながら、今とは比べモノにならないくらいの微々たる給料でも、おカネを手渡されるのを心待ちにしていた日々を懐かしんではいないか。
 ある意味これもまた緩やかな現実逃避なのだろう。
 トバッチリはしげに来てるみたいだけれども(^_^;)。


 マンガ、魔夜峰央『パタリロ西遊記』4巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 原作にもある三蔵法師の妊娠話(^o^)。
 昔のドラマじゃ、夏目雅子がウンウン唸ってたなあ。あのドラマの功罪はいろいろあって、あれ以来、三蔵法師は女性が演じるものと決まっちゃった。ホントの三蔵は、ガッシリした肉体派だったらしいけど。女が男のフリして臨月シーン演じるのって、なんだか妙に可笑しかったな。
 マライヒは一応男だから問題ないのか。
 でも本編ではフィガロ生んでるし、もしかしてフィガロをここで生んで一行に加わるなんてことになりゃしないかって、心配しちゃったよ。
 このペースで行くと、原作を消化するのに軽く10巻以上はかかりそうだけど、ちゃんとそこまで連載を続けさせてもらえるのかなあ。『パタリロ』本編は確かに70巻を越して未だに終りそうな気配もないけど、それ以外の連載は『ラシャーヌ!』と『妖怪始末人トラウマ』(&『トラ貧』)がちょっと続いただけで、あとは軒並み数巻で打ち切られてるからねえ。
 私は魔夜さんのしょーもないギャグが好きなので、ぜひ人気が出て続いてほしいんだけど。
 ついでに山本貴嗣の『西遊少女隊・完全版』も読み返す。これも続いてほしかったのに打ち切られちゃったやつ。美少女三人組と「最終教師」こと茶羽顔八のバリエーションであるアルピニスト三蔵とのコントラストが楽しかったんだけど、牛魔王も金角銀角も出せずに終わっちゃったんだよね。残念。


 マンガ、倉田真由美『くらたまのお蔵だし』(扶桑社・900円)。
 『だめんずうぉーかー』がヒットしなければ出るはずもなかったことが確実なくらたまさんの初期作品集。
 けど、出なくてもおかしかないよな、くらたまさん本人が「西原理恵子のマネをした」と告白してたけど、どうしてどうして、まついなつきやら中崎タツヤやら内田春菊やら臼井儀人までパクリまくってるよ。
 「どこかで見たような」マンガじゃオリジナルとして評価はしてもらえないよねえ、やっぱし。
 けれど、私がくらたまさんを「面白い」と思ったのも、昔、巻頭収録の『マンガ家への道』を読んでからだった(『だめんず』以前から注目はしてたんである)。
 有名大学を出ているというだけで就職は楽勝!と錯覚し、受ける会社受ける会社ことごとく落ち続け、藁にもすがる思いで描いたマンガが「ヤンマガ」の奨励賞に引っかかり、なんとかマンガ家デビューはしたものの、全く単行本が出る気配もなく、カツカツの生活をしながらいつかヨメに行ける日が来るのだろうかと不安な日々を過ごしているって……。
 なんだかねー、ここまで馬鹿女だとねー、むしろかわいく思っちゃうのよ、男は。つきあうとしつこそうだからコナかけはしないけど。
 やっぱり作ったマンガはたいしたことない。くらたまさんの真骨頂は自分切り売りマンガである。せっかくリコンという楽しいイベントも経験したんだし、そのへんの事情をマンガにすればまた化けると思うんだけどな。今こそ内田春菊を見習おう(^o^)。


 なんだか三谷幸喜を見返したくなって、劇場映画第一作でキネマ旬報の脚本賞を受賞した映画、『12人の優しい日本人』を見返す。
 今は亡き演劇雑誌『しんげき』にこれの舞台版の脚本が載っているのだが、それと比較しても細部に渡って変更が加えられているので、俄然面白くなっている。本家の『十二人の怒れる男』ほどのインパクトはないけれど、実は同じ陪審員劇とは言っても、社会派ドラマを目指した『怒れる男』と、単純な推理劇である『優しい』とは似て非なるものなので、比較してもあまり意味はないのだ。
 映画用にキャストを一新(オリジナルキャストは相沢一之と梶原善のみ)したとは言っても、そのほとんどは舞台俳優。故・村松克己のような重鎮もいるが、一般の人はほとんどキャストの名前を知るまい。けれど、だからこそいかにも陪審員として集まりそうな普通の人たちが集っている、という印象があって、穏やかないい映画になっている。
 かつての東宝「金田一耕助」映画『悪魔の手毬唄』に出ていた林美智子と、後に『八つ墓村』で「金田一耕助」を演じることになる無名時代の豊川悦司が共演し、協力し合っているのも面白い。
 何より「優しい」と言いながら、登場人物がみな島国根性まるだしの小市民と言うのがコメディタッチの中にもリアルさを出している。
 三谷幸喜の原点はここにあるな。

2001年06月11日(月) 誰だってどこか変なんだし/『ぶたぶた』(矢崎存美)


2002年06月10日(月) 騙されて騙されてどこへ行く/『ありえない物語』(ポール・ジェニングス)/『マンガ狂につける薬21』(呉智英)ほか

 同僚の一人から、仕事の都合とやらで、急な仕事を頼まれる。
 「たいして時間がかからないから」という言葉に騙されて、気がついたら、勤務時間を1時間もオーバーしてしまう。
 おかげで駐車場で待ってたしげが怒るまいことか。
 「いや、騙されたんだよ、同僚に」
 「つまりあんたは悪くないっちゃろ! そこで謝らんやん! だけん怒っとうとよ!」
 「だってオレのせいじゃないし」
 「ほら見てん!」
 なにが「見てん」なんだか。
 「仕事なんだから仕方ないじゃん」
 「仕事なのはわかっとうよ。アンタが謝らんのがハラ立つと!」
 「謝ったよ」
 「謝ってない!」
 「謝ったよ」
 「謝ってない!」
 キリがないのでやめよう。
 ともかくこちらは迎えに来てもらわなければならない立場なので、あまり強くは言えない。最近はあまりしげを待たせることがなかったから、つい油断したのが敗因だった。もう少し状況を聞いていたら同僚の申し出、断っていたろうに。
 「じゃあ、お前は絶対オレを許さんってこと?」
 「アンタが優しくないんやん」
 しげはすっかりご機嫌斜めだが、いつものことで数時間もすれば怒りもたいてい忘れてしまう。とりあえずこの場をやり過ごせばなんとかなる。
 「じゃあ、明日、同僚に文句言っとくよ」
 「『騙された』って?」
 「言うよ。その通りなんだから。時間とかそういうのはちゃんと言ってください、困りますって」
 しげ、ようやく機嫌を直したよう。
 しかし職場のことで家庭にこれだけトラブルが起きるってのは、困りものだ。
 いっそのこと転職しようかとも考えるが、転職するにはもうトシがイッちゃってるからなあ。今日の件でも分る通り、簡単に騙されちゃうタイプだから、お人好しは使いものにならんと判断されちゃうかも。阿地川盤嶽か。
 っつーより病気持ち雇ってくれる奇特な会社なんてそうそうないよなあ。
 え? 病気のことよりオマエの根性悪の方が問題だって? コリャマタ、シツレイイタシマシタ。
 

 しげ、今日は早出で私を家の前で落とすなり、リンガーハットに向かう。。
 これから、早い時間の出勤が多くなるそうで、そうなるとますます残業ができなくなる。仕事のスピード自体をアップしていくしかないんだよなあ。でもそんなに簡単に行くこっちゃないのよ、これが。
 晩飯に買い置きの冷凍ラーメンを作る。
 ガスは止まったままなのでポットのお湯を注いで、電子レンジにかけるだけ。
 一度のお湯では解凍しきれないので、二度注いで、電子レンジは30秒。
 これだけでラーメンは充分美味しいどころか、茹ですぎることがないので、麺も伸びずコシがあるまま。……ホントにガス要らないんじゃないか。


 山本弘さんのHP「SF秘密基地」の掲示板で、『あずまんが大王』のあずまきよひこさんのHP「A‐ZONE」が紹介されていたので、覗きに行ってみる。
 コンテンツは少ないけれど、センスがすごくいい。
 コンテンツをたくさん設けるだけ設けて一つ一つの内容が薄くなり、ゴタゴタし過ぎて見るに耐えなくなってるHPがザラである中で、このセンスのよさは貴重だ。こんなHPが作れたらなあ(性格的にムリだろうけど)。
 特にFAQ(よーするに質問コーナーのことなんだが、私ゃてっきりFは“fan”、Aは“answer”、Qは“question”だって思いこんでたよ。ホントは“frequently asked questions”「しょっちゅう聞かれる質問」ってことなのね)がよくできてる。
 Q.このホームページにリンクしてもいいですか?
 Q.あずまんが大王のコミックスの絵を私のHPに載せていいですか? 許可はもらえませんか?
 Q.メールの返事がきません。
 Q.榊や神楽の名前はなんていうんですか?
 Q.「あずまんが大王」の主人公は誰ですか? ちよちゃんが主人公ですか?
 などなどの質問に対して、全て『あずまんが大王』のひとコマで答えているのだ。
 例えば最初の「リンクさせて」の答えは、おーさかの「ええよー私は心が広いから許したげるでー 海のように広い心ー」。
 いいなあ(^^*)。
 あとの答えはどうぞみなさんで確かめてください。

 http://www15.xdsl.ne.jp/~azuma/menu210.htm
 

 しげ、12時前に帰宅、二人で「めしや丼」に向かう。
 とっくの昔にしげはウキウキしていて「これからラブラブになろうね」とかアホなことをこいている。
 これだからしげと真剣にケンカになることがないのだ。


 ポール・ジェニングス、吉田映子訳『PJ傑作集1 ありえない物語』(トパーズプレス・1121円)。
 オーストラリアの作家、ジェニングスの短編集第1弾。
 あと『とても書けない物語』『がまんできない物語』『想像もつかない物語』『先の読めない物語』『信じられない物語』『やってられない物語』と続いてるらしい。
 ヒトコトで言えば、現代版オー・ヘンリーと言った趣きのアイデア小説集。
 なぜか言葉の最後に「シャツも着ないで」と付けなければ喋れなくなってしまった少年の物語や、時限つき接着剤を売りつける詐欺師の運命を語る話や、便所に出る幽霊の話など、設定は面白いんだけれど、「どれもどこかで読んだことがあるような」という印象がしてしまうのがちょっとネックか。
 もうここ7、8年のロングセラーになってるらしいけれど、この手の小説が読みたければ、フレドリック・ブラウンの短編集をまず読んでほしいね。『天使と宇宙船』とか。


 マンガ、石ノ森章太郎『歯車 石ノ森章太郎プレミアムコレクション』(角川ホラー文庫・820円)。
 『マスカーワールド』に続く角川ホラー文庫の石森章太郎アンソロジーの第2弾。第1弾の方は全作読んでたんで買わなかったのだけれど、今回は『石森章太郎読切劇場』の完全収録を初めとした、雑誌掲載のみの作品の単行本化。これが嬉しいね。
 何より巻頭が名のみ有名であった小松左京原作による『くだんのはは』!
 正直な話、私は『くだんのはは』がそれなりの佳作だとは思うけれど、ホラー中のホラー、大傑作とまでは思ってない。ギャグとホラーは紙一重、とは言うが、その「ギャグ」の方にちょっと傾いちゃったかな、というのが私の印象だ。
 ましてや「絵」で見せるマンガが、アレを笑わずに見せることができるのか、と考えたら、むこりゃ結構難しいんじゃないかと私が危惧するのも原作を読まれてる方にはご理解いただけると思う。
 一読して見て、途中までの展開はナレーションに頼り過ぎている面はあるものの、油の乗りきっていたころの石森さんのテクニックが縦横無尽に駆使されていて、戦時中を舞台にした原作の厚い雲に閉ざされているかのようなどんよりとした雰囲気をうまく出している。でも肝心のラストは……やっぱりいただけない。やっぱりちょっと笑ってしまった。怖い人には怖いのだろうけれど、アレを怖く見せるにはやはりページが足りなかったのではないか。つーか、アレをはっきり絵にしちゃ、やっぱり笑いしか起こんないような気がするんだけれど。
 ホラーとしては『読切劇場』のいくつかの短編の方がよっぽど怖い。
 石森章太郎自身をモデルにした『鋏』。新進マンガ家と、そのファンである二人の少女の淡い恋。けれどそれはマンガ家の婚約で無残にも引き裂かれる。
 その大半はフィクションだろうが、もしかして本当にあったことかも、と思わせるのは、少女の一人が、自分の身に起こったことを、まるでもう一人の少女の身に起こったことのように語る、その「虚構性」のゆえにである。
 ほかにも『怪談雪女郎』や『遠い日の紅』などはまるで一編の映画のようだ。
 これだけの傑作シリーズが今まで一部を除いて埋もれていたというのは、なんとモッタイナイことであったか。
 ラストの『マタンゴ』はもちろん東宝映画とのタイアップ企画。
 ページ数が少なすぎてとても映画ほどのインパクトは与えられないが、これはまあ、CDならボーナストラックと言ったところか。
 

 呉智英『マンガ狂につける薬21』(メディアファクトリー・1260円)。
 日本にはこれだけマンガが氾濫してるってのに、マンガ評論家としてコンスタントに本を発行してる人は意外と少ない。
 雑誌の書評自体はあちこちで見かけるんだけれど、単行本として纏まっちゃうと売れなくなるのかもなあ。
 だいたい、評論ってのは読んでてそんなに面白いものではない。
 ただの感想なら「ふーん、アンタがそう思ってるだけでしょ?」と言われりゃそれまでだから、評論それ自体が「読み物」として面白くないと読者はワザワザ手に取って見ようという気にならないのである。
 いしかわじゅん・唐沢俊一・米沢義博の諸氏も、それぞれにマンガ評論があるが、あとが続かない。となると、今、最も意欲的かつラディカルに評論本を出し続けているのは「呉智英」ということになるのではないか。
 呉氏は評論の有効性について次のように語る。
 「もちろん、最終的な評価は読者一人一人が決めることである。しかし、評価を決めるに際し、適切な評論や解説は必要なのだ。外国の小説を原書で読むには辞書が必要である。これと同じことだ」
 当たり前のことを普通に語ってるだけなんだけれど、これが現実問題として過激な言質に受け取られてしまうのは、それだけ受け手である読者が傲慢になっている証拠だろう。あるいは脆弱な自分の精神を守るために頑なになっているのか、自分の好き嫌いだけを絶対に主張して、他人の価値観を入れようとしない。
 マンガ読者にはその傾向が特に強いように思う。その風潮を吹き飛ばすためにも呉さんにはもっともっと頑張ってほしい。

 『ダ・ヴィンチ』連載のこのマンガ評論集、秀逸なのはマンガと活字本とを同一の俎上に乗せて、多角的な視点で作品世界のモチーフを浮かびあがらせていく手法だ。
 作品世界の中には実に様々な情報があり、必ずしもそれがメインテーマとは関わりがなくとも、「時代の象徴」として作者自身、無意識のうちに表出してくることがある。それを小説との比較によって明確化することで、飛ばし読みをしていた時には気づかなかった新しい視点を読者は得ることができるのだ。
 例えば唐沢なをきの『怪奇版画男』と森鴎外の『百物語』を比較し、「くだらない、意味がないから面白い」と説く。活字史上主義者が聞けば、「文豪鴎外とどこの馬の骨かわからぬマンガ家とを同等に扱うとは何ごとか!」と激昂しそうだが、ホントにこの『百物語』という小説、徹頭徹尾作者の分身と思しい主人公がぼんやり取りとめもないことを考えてるだけの作品なのだ。
 というか、実は鴎外にはこの手の小説が意外に多い。『舞姫』や『阿部一族』、『高瀬舟』と言った作品ばかりが云々されて、鴎外は近代の苦悩の象徴みたいに言われることが多いが、「別に難しいこと考えたって人生面白くないしー」と、本作や『寒山拾得』みたいな小説も書いているんである(『寒山拾得』は日本文学史上屈指のまぬけ小説なので、まぬけギャグが好きな人は読んでみよう)。
 人生の苦悩を描くものがブンガクだ、と思い込んでいた人にとっては、目からウロコであろう。多分この本読んだあとはウロコが軽く10枚くらいは落ちると思うから、マンガ好きはぜひ読んでみよう。ただし、評論という性格上、ネタバレが圧倒的に多いので、まだ読んだことない本の批評を読む時には気を付けるように。
 『くだんのはは』も、引用の絵も文章でも、しっかりオチをバラしてるんだもんなあ。 

2001年06月10日(日) ハカセ、負傷?!/『少女鮫』2〜5巻(和田慎二)ほか



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