無責任賛歌
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| 2002年05月19日(日) |
今日は一日寝て本・ビデオ……っていつもや/『Sink』1巻(いがらしみきお)ほか |
朝寝して、午前中のアニメは殆ど見ず。 ゆっくり休まないとカラダが持たなくなってるので、寝るときはとことん寝る。 寝ていても腹は減るが、食事を作る元気がない。 近所の「めしや丼」でミックス定食を食べる。ミックスって何がミックスかって言ったら、トンカツとすき焼きなわけだね。 いつものように肉をしげに分けてやったが、そのあとしげが「腹がイタイ」と唸り出す。 いつも注意しているのだが、一気にかっ込みすぎているのである。そんなに慌てて食わなくても、誰もお前のメシを奪い取ったりはせんわい。……といっても納得しないのは、よっぽど昔、ど貧乏な生活してたんだろうなあ。 やっぱり「一文無しの貧乏は罪」ってのは正しいかもね。
『笑点』を見ていたら、柳家小さん追悼ということで、平成8年正月の映像が流れていた。 既に6年が経っているわけだが、それでもこのとき小さん師匠は八十過ぎ。年のわりにはふっくらとして若々しいと言えなくもないが、やはり落語は聞くに堪えない。 しかし、聞いていてツライとは言っても、芸がヘタなのかというとそれも簡単には言いきれないのが難しいところである。というのも、間の取り方は年季が入っているから、実にうまいんだよね。八十過ぎであれだけテンポよく話せるってのは立派なものだ。けれど、声はくぐもってるし役の演じ分けはできてないしで、噺のナカミ自体が聞いていて全く掴めない。 これが不思議なことで、会場のお客さんは実によく笑っているのである。会場の方があまり聞き取れないだろうと思うのにそれだけ笑ってるってことは、やっぱり生の迫力ってものがあるのかも知れない。 やっぱり「間」が悪いとどんなギャグも笑ってもらえないものなあ。ウチの劇団の連中、落語もあまり見ないけれど、やはり今のうちに談志の高座くらいは見ておいた方が(見れねーって)。
アニメ『サイボーグ009』第30話「未来都市(コンピュートピア)」。 まあ「HAL」モノですな。 原作発表時にも「イマドキやるかい、こんなネタ」とは思ってたけど、009のSF性を強調するためにはこの辺でこういうエピソード挟んでおかないとって判断なんだろうね。 004が語る、「自分のからだに組み込まれた機械が思い通りに働いている時には、ついそれが機械であることを忘れて、感情移入してしまう。所詮は機械のはずなのに」というセリフ、『009』シリーズのいいセリフは殆ど初期作品に集中しているように思われがちだが、これは後期シリーズの中でも特に本作の根幹のテーマに関わる問題のセリフだ。これをやっとかなきゃ、確かに『009』は「カッコいいサイボーグもの」ってことにしかならないものね。 けれど、この手のセリフって、実はほぼ004に集中しているんである。 ある意味、機械のからだになってしまったことについて余り葛藤を覚えていないようにすら見える(現実ならそんなことはありえまいが)ほかのキャラたちの悲しみを、彼が一手に引きうけているのだ(張々湖が悩む姿って余り見ないし)。 それを考えると、全身武器という最も人間離れした改造を施され、そのせいなのか、最も「機械」的で冷静かつニヒルに見える004が、一番人間としての心の弱さを持っていると理解することもできる。 後半の「機械に恋愛感情が生まれるか?」って話より、004のこのセリフをじっくり聞かせたかったんじゃないかなあ、スタッフの方がたは。 もう一つ、この話は原作者の石ノ森章太郎自身がコンピュートピアのエッカーマン博士として登場しているので(輪郭が全部白ヒゲだけど)、それもエピソードに選ばれた理由かもしれない。 ……けど、今回の作画監督の本橋秀之さん、『ヒカ碁』と平行で大変なのはわかるけど、後半Bパートの作画修正はちょっと手を抜いたんじゃないか。Aパート後半の009が襲われるあたりの絵が安定していただけに、後半の弱さが目立っちゃうぞ。
ビデオ録画していたシティボーイズのライブ『鍵のないトイレ』を見返す。 このWOWOW初放映版の時には、それ以前の「ラジカルガジベリビンバシステム」の舞台のクリップ集もオマケについていたのだった。 ……このころの大竹さん、動いてたよなあ。髪も全然真っ黒だし。 スケッチとしてはこのころの方が今よりも随分シュールではあったのだ。それでも客が引かずに笑ってたってのがシティボーイズの凄さなんだよねえ。その凄さってのが、あの三人の一人一人が表現している「狂気」がそれぞれのベクトルを持ってアンサンブルを奏でていることにあると思ってんだけど、そのへんの分析はそのうち「シティボーイズ論」みたいな形で書いてみたいな。……ンな時間ないって(-_-;)。
マンガ、えんどコイチ原作・小西紀行漫画『リトル 〜神様修業中〜』(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。 奥付を見ると、出版は去年の四月(実際は三月か)。買ったのはそのころだと思うんだが、今までずっと積読だった……とゆーか、部屋ん中のどこに行ってたかわからんかった(^_^;)。そんなこんなでまだ読んでない本、溜まってるなあ。全く日記つけてるヒマなんてホントはないんじゃないか(でも書く)。 それはさておき。 今回、えんどさんは原作のみで、マンガは別の人が描いてるわけだけれど、絵がえんどさんよりはるかにウマイのにもかかわらず(えんどさんゴメン)、読んだ印象はえんどさん本人が描いたのと殆ど変わらない。絵柄が違っていても、ストーリーラインがまさしくえんどさんだなって思えるからだろう。 話は『死神くん』の天使版。……って、コンセプトちょっと間違えてないか。 『死神くん』は、人の命を奪うはずの死神が人の命を助けることもあるという逆説的な設定が面白かったわけで、それを天使にしちゃ、なんの変哲もない。天子が人を助けるのはフツーじゃん。 神様も実は人助けの修業中、としたのが工夫のつもりなんだろうけれど、私みたいなトシヨリになっちゃうと、「それって石森章太郎の『二級天使』じゃん」と言いたくなっちゃうんだよね。もともとえんどさんの人情マンガって、オー・ヘンリーかドーデみたいな「どこかで聞いたような」話が多いんで、新味を出すのがむずかしいんである。「『週刊ストーリーランド』じゃないぞ」って感じか? 月刊ジャンプの連載だけど、1巻分の連載で打ち切りってことは人気がなかったんだろうなあ。このあとえんどさんはまた似たようなコンセプトで、自筆で『エンド・ゾーン』を描くことになる。やっぱ、絵の描ける人は誰かに描いてもらうより自分で描くべきだろうねえ。
マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』5巻(講談社/KCM・440円)。 時々ミステリ関係の掲示板やホームページ見て回ってるんだけど、子供ならともかく、いいトシしたオトナのミステリファンがこのマンガ誉めてたりしてるんだねえ。「独創的なトリック」とかなんとか。……どこがや。 なんだか今回も「ミステリマンガ」って言うより、昔の学習雑誌のフロクについてたような「推理クイズ」って感じの話が多いんだけど(-_-;)。 だからいくら「QクラスとAクラスの争いが」とか言われたって、「どっちもレベル低いじゃん」という印象しか持てないんだけどね。 でも、これはもう「小学生向け」と割りきってるので、文句をつけるつもりはない。ともかく、キュウの恩人ってのが金田一はじめではありませんように、と祈るばかりだ。
マンガ、いがらしみきお『Sink』1巻(竹書房/バンブーコミックス・980円)。 いがらしみきおがweb上で連載しているマンガの単行本化。このマンガの作者名を隠して、人に「このマンガ、誰が描いたかわかる?」って聞いても、当てることができる人、皆無に近いんじゃないか。それくらいいがらしさん、絵柄を変えて「シリアスなホラー」に挑戦しているのだ。 え? あの『ぼのぼの』のいがらしさんが? とか、ちょっと古いファンなら『ネ暗トピア』のいがらしさんが? とか意外に思うだろう。 けれどこれが面白い。 概して、ギャグの傑作を描く人にシリアスを描かせると、素晴らしい作品をモノにする人が多いけれど(山上たつひこの『光る風』とか、とり・みきの『山の音』とかね)、本作もまだ1巻のみだけれど、掛け値なしの傑作になりそうな気配。 「sink」という単語は「沈む」とか「衰える」という意味の動詞だそうな。名詞だと「台所の洗面台」という意味になるそうだけれど、第1話の第1コマ、まさしくその洗面台の排水溝に水が流れ込んでいくシーンから始まる。 ごく平凡な山下家の日常に少しずつ変化が現れ出したのは、息子の駿がガールフレンドの弓をストーカーの三浦から守ろうとして刺されてしまったことがきっかけだったのか、それとも父親が未成年者連続殺人事件の現場に偶然出くわした時に、異様に首の長い女を見かけたことが原因なのか。 その後も山下家の周りでは微妙に異様なことが起こり続ける。 両手が異様に長い男、井本。 電柱にぶら下がった自転車。 誰かが家の中に入りこんでいる気配。 大学の校舎の塀にめり込んでいる無数のタイヤ。 そして少しずつ「変化」していく息子の駿。 繰り返されるデジャ・ビュ。 友人の林教授は「バランスが崩れ始めているんだよ」と語るが、彼とて何かを知っているわけではない。これらの「異状」は何かの予兆なのか、それとも「啓示」なのか。いずれにせよ、このマンガを読んでいるうちに、読者の我々の心は我々の体から離れ、このアンバランスゾーンに紛れこんでいくことになるのだ。 ……そう、なんだかこれ、いがらし版『ウルトラQ』になりそうな気配なんだね。どういう展開を見せるのかまだまだ先の予測はできないけれど、出だしだけでこれだけ興味を引かされると、どうしても期待が膨らんでしまう。 これ、完結したら誰かが映画にしそうだけど、中田秀夫に撮らせたらいいものになりゃしないかな。キャストは余りスター的な人を選ばないで、地味でも演技力のある人を配役してほしいね。主役の山下は内藤剛志あたりがイメージかなあ。林教授役には、ぜひとも谷啓をプッシュ(^o^)。
2001年05月19日(土) 地上の星々/『狼には気をつけて』2巻(遠藤淑子)
| 2002年05月18日(土) |
世界の中心で馬鹿と叫んだ女/『彼氏彼女の事情』13巻(津田雅美)ほか |
更新が遅れてるの、ずっと風邪引いてたせいですねん。 頭痛と咳と喉イガと鼻水と下痢と戦いながら、更新……って、パソコンも基本は体力なんですねえ。 ……はふー。
ここんとこ、またウィルスメールが届くようになっている。 添付ファイルを開きさえしなけりゃ感染することはないので、片っ端から削除してるんだけど、ほかのサイトを覗いてみると、どうやら、またハヤリのようにあちこちに送られているらしい。 相当、広範囲に渡ってるみたいだから、犯人は一人ってことじゃないみたいだね。ってーと、これも同時多発テロみたいなもんなのか? 季節の変わり目の風物詩って考えるには、ちとタチが悪い。 しかしウィルスが問題になるたびにいつも思うことなんだけれど、実行者はいったい、どういう心理でこういう行為に走ってるんだろうかってことだ。 単に人が困る様子を見て喜んでるだけなのかなあとも思うけれど、やっぱりココロに何か傷をお持ちの方々かもとも思う。 私の書く文章に何か不満があって、文句つけたいのなら、堂々とウチの掲示板に書きこんで頂いて構わないんだけどなあ。そのためにウチんとこは初めから「悪口OK」を標榜している。悪口書きこんだからって決して「来るな」とか「オマエのアホな話に付きあってられるか」とか邪険にするつもりはないのよ、ホント。私の体力があれば付き合いますとも、どこまでも(^^)。 せっかくだから「なぜに私はウィルスを送ったか」というのを自己分析して書きこんでくれたら、こりゃすごく面白いと思うな。そーゆーの、滅多にあるこっちゃない。芥川龍之介じゃないが、「犯罪者が自分の心理を冷静に分析した例は余りあるまい」と自負できるぞ。 ……おっと、アレは「自殺者」だった(^_^;)。
朝寝して、昼少し前に鴉丸嬢のお宅に出かける。 しげ、劇団のHPの方に私の書いた台本を無料配信しようと思ったそうだが、自分のファイルから昔のやつがスポッとなくなっていたんだそうな。 私は自分の書いた脚本には執着がなくって、端から忘れて行くので、当然のごとく保管なんかはしてない。で、劇団の連中に聞いてみたらかろうじて鴉丸嬢が捨てずに持っていたというので、アリガタヤとばかりにそれを受け取りに行くことにしたのだ。 さて、この段階では我々にさしたるトラブルはなかった。
鴉丸嬢、春めいてきたせいか薄手な格好。 もともと浅丘ルリ子並に痩せてるヒトなんで、薄い恰好をするとますます薄く見える。よく生きてるよな。 ビンボーなことは先刻承知の上なので、ワザワザここまで来てそのままサヨナラというのもナンなので、食事に誘ってみる。 「時間はあるの?」 「夕方、大勢(其ノ他君のこと)にクッキー作って持っていく約束はしてるけど、それまでは空いてるけど」 ……「ケド」が多いぞ。このあたりの言葉遣いにすぐ反応しちゃうのが私が古い言語感覚の持ち主だってことなんだろうケド。 「どこに行くの?」 「『かに一』でどうかな?」 「ああ、あの一夜にして『スタミナ太郎』が『かに一』に変わったという……」 何だか建物自体がいきなり別の建物に変わったみたいだな。秀吉の一夜城じゃないんだから、一日で建物が建て変わるわけないじゃん。ノボリが変わっただけだよ。 鴉丸嬢にこういうヘンテコな教え方したのはもちろんしげだ。こういうモノイイが物事を針小棒大にして、ちょくちょく我々の間で事実を歪曲させて行ってる原因になってるんだが、いくら注意してもしげは自分の物語の中だけで生きようとする姿勢を改めない。 つーか、本気で自分の作った虚構の中に入りこんでたりするのだな。 それはそれで構わないけどさあ、その妄想の中に私を巻き込むのはやめてくれ。お前は『うる星2』のラムか。
それはともかく、鴉丸嬢、食事に付き合う気になったはいいが、ここで大きな問題が生じた。 実はロドリゲス(しげの車の愛称)の後部座席、この間の公演の荷物が乗っかったままなのである。しげの腰の調子が治ってから一緒に部屋まで上げよう、と話をしていたのだが、なかなか元に戻らないので、仕方なく放っぽって置いたのだ。 つまり、鴉丸嬢の乗る席がない。 「荷物のスキマに乗ってもらうしかないよなあ。この間もよしひとさん、そこに乗ってたし、平気平気♪」……とかへらへら笑ってた私であったが、もちろん、女性をそんなヒドイ目に遭わせるわけにはいかないのである。 で、頑張ってハマりこんだわけですがね、小道具で使ったゴミ袋の間に。 「どう? 苦しい?」 「いや……苦しくはないけど……」 「けど、何?」 「……あ・づ・いぃぃぃぃ」 おお、私はちゃんと「けど」の使い方を心得ているぞ。さすがオトナ……ってマジで暑いんだわ、このゴミ袋の間ってヤツが。 狭いとか、苦しいとかじゃないのね、このゴミ袋ってのが市指定の透明なヤツじゃなくて、黒一色なものだから、日に当たってるとだんだん熱を持ってきちゃうわけよ。そうなると暑いっつーか「熱い」。このままずっと放置されたら死ぬ。確実に死ぬ。 「ちょっと『かに一』まで距離あるからガマンね」 ……そこは「から」じゃなくて「けど」だろう。ガマンはするけど、早いとこ店に着いてくれ……と思ってたら、しげ、思いっきり道に迷いまくる。 「あ、さっきの道、逆に曲がった」 「も一つ手前で曲がんなきゃいけなかったんだな」 「ああ、また同じ道を走ってる!」 ……マジで私を殺す気か(-_-;)。 なのにしげのやろー、笑いながら、 「後ろの車が微妙に車間距離取ってるねえ」だと。 その後ろの車の運転手とできるだけ目を合わさないように苦労している私の身にもなれや。
しげ、車中で鴉丸嬢に向かって、他人の悪口を口汚く言いまくっている。鴉丸嬢も応酬するように悪口を言いまくる。 詳しい内容は余りにひどすぎてとてもここでは書けない。 悪口好きの私ですら閉口するほどだから、その過激ぶりは想像して頂きたいところである。「他人の悪口を聞くのは大好きだから隠さずに書け」と仰る好事家の読者の方には申し訳ないが、どうしても知りたければしげ本人に聞いて下さいな。 日頃、私に対しては「世界の中心が自分だと思ってる」とか「他人を見下して生きてる」とか散々文句をつけてるクセに、しげの態度はまさしく自分を棚に上げている。もっともコイツが自分を棚に上げるのは日常茶飯事なので今更驚きもしないが。
ただ、ヒトコトだけはっきりと言っておきたいことは、この「世界の中心」なんたら発言を、私に対して何か不満があるたびにしげは口にしているのだが、これも全て根も葉もないしげの被害妄想に過ぎないということだ。 そりゃあ、確かに私も「博多は世界の中心である」みたいなことを口にすることがあるが、こんなのは主観的なハッタリで、客観的な事実でないことはアホでない限りすぐにわかる。お国自慢、ご当地自慢というものはそこまで思いきって言わなきゃ体をなさないから語ってるだけのことで、こんなのにいちいち目くじらを立てるしげの根性自体がネジくれているのである。 だから広島人はよう(以下自粛)。 結論を言っちゃえば、「世界の中心が自分だと思っている」のは私でなくしげなのである。だから他人が自分の上に立っているように感じられるのが許せない。それは、相手が夫たる私であっても変わりはしない。 本来、人間というものは自分が言われて一番イヤな言葉を他人に浴びせかけるものである、というのは志水一夫さんもどこかで言っていたことだが、これはまさしく真実だろう。自分が世界の中心でありたいから、威張ったやつが許せないのである。自分が他人を見下し馬鹿にしているから、同じ言葉で他人を罵倒するのである。 始末に悪いのは、しげのような対人恐怖症な人間にはよくあるタイプなのだが、自分自身の心の弱さというか、他人に虐げられるかもしれないという不安を紛らすために、たとえ相手に全く悪意がない場合でも、常に他人より優位に立っていなければ気がすまないがゆえに、ムリヤリ相手の悪意をでっち上げて罵倒を繰り返し続けることである。 そんな妄想の対象にされるほうはたまったものではない。 だから私は、しげと話をしながら、しげの話に矛盾や思いこみがあると判断した時には、その根拠を示して「そりゃお前の妄想だ」と指摘をする。 冷静に事実を指摘すればしげも少しは納得するかと思って言うのだが、これがまた困ったことに往々にして、かえってしげの心の火に油を注いじゃう結果になるのだね。私にしてみれば、これはただの事実の指摘に過ぎないから、何も問題はなかろう、私自身、全くしげを蔑んでなどいないのだから、と思うのだが、しげは自分の考えが否定され、しかも反論の余地もないものだから、追いつめられた恰好になる。 で、「自分が馬鹿にされた」と思いこんで、結果、ヒステリーを起こしてしまうのだ。 なら、最初から冷静に話をせずに、しげの言うことにウンウンと相槌を打ってやってりゃいいじゃん、と仰る方もおられようが、そっちの方がよっぽどしげを馬鹿にしているというものだ。相手に理解力がないと初めから決めつけて会話するようなあからさまな差別を自分の女房相手にしたくはない。他人にならするが(^_^;)。 私がしげのことを「馬鹿だ」というのは、その会話した結果の事実を報告しているのであって、初めから偏見を持って「馬鹿だ」と言ったことは一度もないのだ。 だから私は毎日懲りもせずにしげと会話をし、そのたびに「馬鹿か」と言い続けているのである。 それともしげよ、初めから「お前のような馬鹿とは会話なんぞできん」と言ってほしいか? 何度も言うが、自分の妄想で私を極悪非道の大悪人に仕立て上げるのはよせよな。確かに私は善人ではないが、少なくともお前みたく、目の前で○○○○○○○○○○○○○○○するようなマネはようせんぞ。
「かに一」で、私としげが向かい合わせに座ったら、鴉丸嬢、しげの側に座るか私の側に座るか迷う。 しかもそのワケというのが、私の隣に座るのはいやだし、向かいで顔見ながら食うのもイヤだしと、はっきり言うのである。 この糞ナマイキなションベンくさい小娘が、と内心思うが、顔にも出さず、「向かいで俯いて食えばいいじゃん」と言う。しげに負けず劣らずこの鴉丸嬢も口が悪い。口が悪くても、これで悪意がないのだから実に始末が悪い。 なにしろ、ウチのメンバー中最も温厚なよしひと嬢のことまで無意識のうちに悪口を言っているのだ。 「よしひと姉様って、すっごくオトナだよ」 「そりゃ知ってるけど」 「いや、ココロじゃなくてカラダでも」 「……何が言いたいんだよ」 「こないだの公演でさあ、姉様、ブラウス着てたじゃん? それが結構薄くって、控え室で姉様、『ああっ! これじゃビーチク見えちゃう!』って言ってたの。『ビーチク』だぜ『ビーチク』。いやあ、姉様ってオットナあ♪」 ……二度も三度も嬉しそうに繰り返すなよな(-_-;)。 これで誉めたつもりになってるのが怖いよなあ。 何度も下ネタ連発する女性って、ツマラン男にターゲットにされる率高いぞって言ってるのに、まぁだわかってないのだ。 鴉丸嬢の過激な発言については、やはりここにはとても書けないナニだのナニに関するものもたんとあるのだが、これも聞きたい人は直接本人に聞いてくださいませな(-_-;)。ウチの劇団の公演に来てくれれば確実に会えます。
鴉丸嬢、そのままウチに来て(帰りも私はゴミの中。とほほ)、台所を借りてクッキーを作る。しげと二人で作っていて、両方の作ったものを味見してみたが、しげのはとことんガサツである。 型がうまく作れなかったからって、形状から勝手に「餃子クッキー」なんて名前つけるな。ホントに餃子の味がしてきそうじゃないか。馬鹿でかくて食いにくいし。 ……あ、考えてみたらこれ、しげの久しぶりの手料理だな(お菓子だけど)。だけどしげが料理作るたびになぜか「料理」に対する概念が私の中でガラガラと音を立てて崩れていってるんだけど、この責任はいったいどうつけてくれるつもりなんだ。
アニメ『クレヨンしんちゃん』は長編、「さらばまたずれ荘 またずれ大捜査線だゾ」の巻。 またずれ荘編完結編として、程よく纏まってる感じ。 原作と登場キャラが相当かわっちゃったのはオトナの事情というヤツなんだろうけど、それでもつまんなくはなかった。 この「つまんなくなかった」というのがクセモノで、その「オトナの事情を考慮しても面白いアニメは作れるんだから、そういう事情はあってもいいのだ」という発想にスライドされちゃうのが困りものなのだ。 表現の規制が肯定されていいわけはないんだけどねえ。
鴉丸嬢はテレビで『しんちゃん』がかかっていても、全く目を向けようとしない。ここまで「嫌い」を押し通すってのは、それはそれで徹底していて潔さそうではあるが、未だに「なぜ嫌いなのか」だけは口にしようとしない。あれだけ悪口好きなくせに、この点だけは不思議なことである。 ようやく時間がきたので、しげ、鴉丸嬢を車で其ノ他君ちまでお送りする。 ……やっぱり女性が二人以上集まると、男は勝てんねえ(^_^;)。
マンガ、津田雅美『彼氏彼女の事情』13巻(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。 今巻より「有馬編」のスタート、だそうな。 んー、ここんとこ脇キャラの番外編的な展開ばかりだったから、ようやく本筋に戻ってきたって感じかな。 確かに、プロローグとしては充分に面白い。 優等生の仮面の後ろでどす黒く蠢くもう一人の有馬……というよりそれが有馬の本性だったりするんだけれど、これが今後どのような形で「発動」して行くのか、それが宮沢雪乃との関係にどのような変化をもたらすか、適当にお茶を濁さずに描き切ってくれれば、随分面白いことになりそうだ。
考えてみれば、この物語、宮沢の「見栄」から始まった物語なのである。 何巻だったか、結構初めのころだったけれども、宮沢がイジメにあったあと、その首謀者に向かって、「私ならもっとうまくやる」みたいなセリフを吐いていたこともあった。 他人を騙し、誤魔化し、仮面をかぶってやり過ごし、巧言令色、権謀術数は社会の常識、みたいな冷徹な視点がこの作品には元からあったのだ。 リアルである。作者の人間認識がどのようなものか、窺い知れる。 しかし、奇妙なことに、その人間観においてはこのマンガ、実にリアルでありながら、同時にアンチリアルというか、いささか前近代的な要素・設定もこのマンガには見られるのだ。 なんたって、有馬は、もともと「メカケの子」であり、今の両親に貰われた「貰われっ子」であるのだもの。おいおい、そんなん小説だったら昭和の半ばあたりでもう絶滅してるような設定だぞ。『赤と黒』か『日のあたる場所(アメリカの悲劇)』か『安城家の舞踏会』かってなもんで。少女マンガにはそれがまだ生き残っている……というより、作者は何となく「ワザと」そんな古めかしい設定を作中に持ちこんでいるような気がする。 ドラマがそこまで現実から乖離していないと、有馬の憎悪はリアル過ぎて、「花ゆめ」の読者にはキツイ、と作者は判断したのかも知れない。
作者自身は、極めて「現実的」な人なのではないだろうか。 コミュニケーションとは自分を相手の前で「作る」ことであり、決して本性をさらけ出してはならないと、なんだか藤村の『破戒』を想起させるような「戒律」を自分に科して生きてきたんじゃないかって気もする。 いや、憶測でたいした根拠があるわけじゃないんだけれども、実際にこのマンガ読んでると、この人、愛だの恋だの、思春期の夢物語は余り信じていないように思えるんだよ。 だって、有馬が本気で宮沢を愛すれば愛するほど、二人の道は遠く離れるように設定されてるんだもの。有馬の本性は、かつて自分を蔑み、罵倒してきた者たちへの「復讐」にあるんだから。
この物語が「悲劇」とならずにハッピーエンドを迎える可能性はあるのだろうか。そのへんを、作者に聞いてみたいくらいだけれど、もし悲劇として押し通すことができたら、これはもしかしてスゴイ傑作になるかもしれない。 ……なんだか、このままいくと有馬、人の一人や二人くらい殺しそうな気配があるんだけど、少女マンガでそこまでやるかなあ。 やってくれたら面白いね。
2001年05月18日(金) 増えるワカメのごとく……/『鬼切丸』20巻(楠桂)
| 2002年05月17日(金) |
追悼、柳家小さん/映画『モンスターズ・インク』/『カスミ伝△』2巻(唐沢なをき)ほか |
五代目柳家小さんさん(「師匠」と言わずに「さん」付けだと愛嬌が出るなあ)が16日午前5時、急性心不全のため。享年87歳。 「落語界初の人間国宝」と書かれてあったのを見て、「そう言えばそうだった」と思い出した。師匠には悪いけれど、そういう肩書きに一番縁遠い芸風だった気はするが。かと言って、談志に与えられるはずもない称号であるし、志ん生、円生なきあと、「落語界にも一つ『人間国宝』を」てなときに小さん師匠以外に対象者がいなかったってのは事実なんだけど。……志ん朝さんがあと十年生きてりゃね。 貶してるみたいだけれど、私の落語の素養は小さん師匠から始まっている。 小学校のころ(多分5年生くらい)、母親にねだって買ってもらった初めてのLPが小さん師匠の『たらちね』だった。母親がよく「あ〜らわが君」とか「今朝(こんちょう)は怒風激しゅうして小砂(しょうしゃ)眼入す」なんてギャグを口にしていたので、モトネタを知りたかったのである。で、LPが擦り切れるまでホントに何百回も聞いた。 おかげでこの落語は今でも「小さん師匠風に」暗唱できる。 「自らコトの姓名を問いたもうや?」 「……えェ、大家さんが清兵衛だってのは分ってんスけどね、アナタサマのお名前をお聞きしたいんで……」 この「……」の間と、カタカナの発音をご想像頂きたいところだ。ただ、今にして思うに、下手とまでは言わないが、「至芸」という感じはしなかった。やはり、油の乗りきっていたころの談志や、艶のあったころの円生にはどうあがいたって勝てないのである。 しかも師匠、言い間違えてやがるし(^_^;)。 「ある夜、丹頂の鶴を、ある夜夢見るが故に千代女千代女と申せしが」って、「ある夜」が畳語になってるのもそうだけど、第一、鶴を夢見たんなら、名前は「鶴女」でなきゃおかしいじゃん。これ、録音したほうも録り直しくらいすればいいのに……って、それをしてないから貴重ではあるのだが。
てなわけで、噺家としてあまり高くは買ってなかったんだけど、テレビで『狸賽』のオチを見たときには、「ああ、この芸だけは小さん師匠に敵う人はいないな」と思った。 いわゆる「仕草オチ」の代表的なもので、八っつぁんがイカサマバクチをしようとして、狸をサイコロに化けさせる噺である。一の目を出してほしくて「天神様だ天神様だ」と唱えてサイコロのツボを取った瞬間、狸がしゃっちょこばって衣冠束帯で鎮座している、というオチね(これも解説がいるか?)。 いや、寄り目で口とんがらせて力んで赤くなってた小さん師匠、狸というよりタコに似てたね(^o^)。地顔がもともと丸いからウケただけじゃん、と突っ込みが入りそうだけれど、そういう単純な見方をしていいものかどうか。自分の肉体の特徴を生かすことを考えるのは芸人なら当然のことだと思うけど。 小林信彦や立川志らくあたりは「ヘンな顔で笑いを取るのは最低の芸」とかワケシリ顔に言いそうだけど、じゃあ、円楽の顔で『狸賽』の笑いが取れるのかってんだ。「語り」が終わって、タメずに「仕草」にサラリと移ってたのもよかったよ。 年を取って、白髪は増えたが(もともとハゲの印象が強いのに、それでも白髪があるのがハッキリ見えるのがフシギだった)、痩せ衰えた感じはなかった。 師匠、前の夜に、ちらし寿司をぺろりとたいらげたあといつものように就寝。そのまま、朝になったらなくなってたのが分ったそうだけど、いかにも「らしい」死に方で、少々微笑ましくさえある。
しげ、だいぶ体調がよくなったので行きは車で送ってもらえる。 けれど帰りはまた時間になっても迎えに来ない。 連絡を入れたら、「時間を間違えた」だと。 さすがにもうタクシー代を出す余裕はない。 「どうすんだよ、迎えに今から来れるのか」 「仕事早いからムリ」 「……じゃあ、歩いて帰れってか」 「仕方ないねえ。おカネ出してやるからタクシー乗ってきィ」 ……出してやるからじゃないだろう(--#)。
しげは仕事に出かけるのだが、私はそろそろ映画に飢えている。 たいてい映画はしげと一緒に行くことにしていたが、時間帯がズレたせいで最近はそれもままならない。で、一緒に行きたい映画は避けて、しげが余り興味がないと言っていた『モンスターズ・インク』を見ることにする。 「なんで(何を使って)行くと?」としげが聞くので「自転車で行くよ」と答えたら、しげは私のことを心配したのか「やめといたら?」と言う。 もう久しく乗っていないので、確かにカンが働かないような予感はするが、かと言っていつまでも自転車に乗るのを怖がってばかりはいられない。 第一、連日タクシー通勤をしているので、バス代ももったいないのだ。 キャナルシティまで、事故にあうこともなく到着。 福家書店で買い忘れていたマンガなどを買って、AMCへ。 公開後、既に何週間も経っているので、9時30分からの上映、観客は10人程度。 子連れがいない分、楽に見られそうだ。
本編の前に上映された短編『FOR THE BIRDS』、これがCGアニメとしてメリハリの利いた傑作。出てくる小鳥たち、デフォルメされたキャラクターなのに羽毛がリアル! 電線に止まっている小鳥たちのところにいきなり現れたイカレた鳥。小鳥たちはイカレた鳥をバカにして苛めるけれど、そのとき電線がたわんで……。 心暖まるディズニー映画の前に堂々とこういう差別ギャグアニメを上映するあたり、ピクサーという会社が決してディズニーの軍門に下ったわけでは無いことを主張しているようで嬉しい。 以前も語ったことであるが、ピクサー作品をディズニーと提携した『トイ・ストーリー』シリーズや『バグズ・ライフ』などの長編で評価してはならない。ピクサーの本質はCGを駆使したシュールでラジカルな短編の方にある。
で、『モンスターズ・インク』の本編の方だけど。 邦題が「化け物会社」とか「怪物株式会社」じゃ売れないってのは分るけど、まるで怪物が使うインクの話みたいだよな(^o^)。 もっとも、これでお子様が「インク」って「会社」のことなんだよって教えられたら、英語の勉強になるのかな。 それはそれとして問題は内容。 なんつーかねー、CGが進歩すれば進歩するほどアニメとしてはつまんなくなるって、どういうことなのかね。 なんたって、一番イイのはオープニングの「手書き」アニメなんだもの(^_^;)。 結局、オモチャだの虫だの化け物だのをキャラクターに選ばなきゃならないってとこにCGの限界があることを示した作品になっちゃってるんだよねえ。 唯一登場する人間のキャラを2歳の子供にしたのも、オトナだとCGじゃうまく動かせないし、皮膚の質感も出せないという判断が働いたからだろう。 アニメはもともと現実にはありえないキャラクターと動きを表現するベクトルを持っているのに、CGはあくまで表現のリアルさを求めているので、両者の間に矛盾が生じるのは必然なのだ。 技術はともかく、ストーリーもキャラクターもありきたり過ぎるのがイマイチな原因。オバケや幽霊が会社組織になってるなんて設定、藤子不二雄(F・A)や水木しげるのマンガやアニメでもう腐るほど見てきてるし。 主役が無骨な大男で、相棒がお調子者のチビってのも、定番過ぎる。こないだの『シュレック』もそうだったし。定番が悪いとは言わないが、こうも連続すると、いくらなんでも食傷する。 唯一、「これはイイかも」と思った「モンスターが子供に触ると解けてしまう」って設定も、結局はモンスターたちを働かせるためのただのウソだったってことがバレて、見ているこっちは拍子抜けしてしまう。それじゃまるでドラマを盛り上げるのに寄与しないじゃないの。 「どんなに人間を愛しても、触れられない」って設定にした方が絶対、感動させられるじゃん。それを「実はウソ」なんて腑抜けた設定にしちゃったのは、単に脚本家がアホなのか、それとも「やっぱり主役と子供が抱き合うシーンがないとイカンよ」とかなんとかディズニーから横ヤリが入ったのか。 見ていて退屈したわけじゃないけど、感心したりワクワクしたりするほどのシーンがまるでない。これじゃアカデミー賞を取れなかったのも仕方がない。オスカーが『シュレック』の上に輝いたってのも、そっちの方がまだマシだったってことじゃないのかな。
数ヶ月前、台所を掃除した時、買ってたパンを居間に移動させてそのまま忘れていたら、いつのまにかコバエが卵を生みつけてて、それが一斉に孵っていた。 ……どうも最近コバエがやたら部屋の中を飛んでると思ってたらそのせいだったか。 ウチは本棚から溢れた本が山になっているので、間にハマリ亜伊デたパンに長いこと気付かなかったのだ。 いや、笑いごっちゃない。 しげは今まで枕元にそんなものがあったと気付かずに寝ていたから、ふと目を開けて、そこに小さな粒粒の卵がズラリと見えて、怖気が走ったらしい。 「気色悪い気色悪い気色悪い」 と泣きながらパンを片付けていた。 忘れた私も悪いのだが、枕元やソファを一向に片付けようとしなかったしげ自身にも責任があることなので、同情はしない。 だから日頃から掃除しろってば。 ……さあ、ウチにはほかになにが隠されてるかなっ♪
マンガ、加藤元浩『ロケットマン』2巻(講談社/KCGM・410円)。 うおっ、2ヶ月連続でリリースって、結構リキ入れて売ってるのかな? 『Q.E.D.』と同じく、設定やドラマはよく練られてるんだけれど、少年マンガの限界なのか、やや荒唐無稽な要素が入りこんでるのが気になる。 冷戦終結後、世界各国の情報組織が再編成される中で起きたとされるカンボジアでの事件。そのデータが、記憶を失った主人公、水無葉と関係しているらしい。 ……うーむ、ただの推理ものならともかく、国家間の陰謀とか、加藤さんのライトな絵にはちょっと荷が重過ぎないかなあ。もっともまだ2巻の段階じゃ、これからどうなるか分らないから結論出すのは早計だけど。
マンガ、唐沢なをき『カスミ伝△』2巻(講談社/マガジンZKC・560円)。 レベルが落ちてないなあ。 いやホントにスゴイよ唐沢さん。 デビューから数えたらもう20年か? もしかしたら本当にギャグマンガ家の最長不倒距離を達成するのかも。 縮小マンガ、BGMマンガ、切り取りマンガ、塗り絵マンガ、タイピングマンガ、アメコミマンガ、左右分割マンガ、超どアップマンガ、枠線無しマンガ、実在製品紹介マンガ(でも賞品は送ってくれなかったらしい)、袋とじマンガ(男ならわかるぞ!)、気象図マンガ、後ろ向き後頭部マンガ、横向きエジプトマンガ、レントゲン骸骨マンガ……。『カスミ伝全』『カスミ伝S』と来て、まだこれだけのアイデアが出せるとはねえ。 圧巻なのはラストの『32年目の復讐』。 8歳のときの唐沢さん自身のイタズラがきと今のキャラクターを共演させるというまさしく「夢の共演」。今までも「奥さんマンガ」や「編集者マンガ」と「シロウトマンガ」をちゃんと作品として昇華させてきた唐沢さんの、これは最高傑作ではないかな。 ……できたらまた、『カスミ伝○』とか『カスミ伝@』とか『カスミ伝(笑)』とか再開してほしいなあ。
2001年05月17日(木) 少しまじめな話/『コミックバンチ』創刊号ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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