無責任賛歌
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| 2002年03月01日(金) |
福岡デパート事情/映画『吸血鬼ハンターD』(1985)/『20世紀少年』8巻(浦沢直樹)ほか |
福岡の老舗のデパートに「岩田屋」ってのがある。 んーと、江戸時代から続いてるのかな、最初は確か呉服屋だったはずで、それが百貨店になって発展してったってのは、よくある話。 天神の目抜き通りにドドンと面積占めてて、福岡のデパートの中じゃまあ、一番の古株、っつーか、ほかがつぶれまくっててもう岩田屋しか残ってない、そういう状況だった。 バブルが弾けても、ほかの地区と違い、福岡は元気だとは言われていた。なんたって、キャナルはできるわ、ホークスタウンはできるわ、リバレインはできるわ、どこからそんなカネが流れてくるんや、みたいな状況だったんである。 デパート競争も激化の一途をたどっていて、岩田屋と手を切った西鉄福岡線が三越と提携して最大のフロアを誇る巨大ビルをおったてる、対抗して岩田屋は裏手に「Z−SIDE」を建てる、アオリを食らったマツヤレディスはついに今度撤退を余儀なくされる……。 なんかスゴイことになっていたのだ。 結果として「勝った」のは三越だった。 岩田屋は「老舗」であることに慣れ過ぎていたのか、「ZーSIDE」はまあまあの集客は見せたものの、当初の予定ほどではなく、本館・新館の客は激減した。 そして、今度、社長の引責辞任が決まった。 そして岩田屋は「伊勢丹」に吸収される。屋号の「岩田屋」は残すという話だが、江戸時代から血族運営して来たN一族の撤退は大きい。何しろよかれあしかれ、彼らはまさしく福岡の「顔」だったからだ。毀誉褒貶、激しい人たちではあっても、「福岡の百貨店は岩田屋」、そういうイメージを築き上げていたのだ(オレは博多人なんで「玉屋」派だったけどな)。 地元に密着した経営が結果的に破綻をきたしたということは、ぶっちゃけた話、「福岡の人間に裏切られた」結果として、こうなった、ということなのだ。
福岡人は、情に厚いと言われる(自分たちで言ってんだが)。 そのことを否定はしないが、この「情」って、必ずしも「義理」に縛られたものではないよなあ、と昔から常々思っていた。 いったん見切りをつけたら、「乗り換え」が実に早いのだ。 「淵上」が「ダイエー」に吸収された時も、ライオンズがホークスにとってかわった時も(厳密に言うとちょっと違うが)、いとも簡単にみんな「乗り換え」たしな。 この実利的というか、粘着質でない妙にサバサバした気質は確かに私自身もそうかなとは思うし、まあいいとこだと言えはするのだろうが、反面「福岡人のナミダは信用できん」ということにもなってるのだ。 つまり、感動してくれはするが、約束守ったり責任取ったりはしてくれない(^_^;)。「人情はあるが義理はない」って、そういうことなんだよね。……ある意味、サイテー? かも。
岩田屋もがんばった(放埓経営と批判はあっても)。玉屋だってリバレインだってがんばった。けど、一度行ってみてつまんなかったら、もう足は運ばない。実にハッキリしている。それは「仕事に厳しい」、あるいは「結果を出すこと」を何より重視しているのだと評価することもできる。 けど、それってホントに「情が厚い」って言えるんかな、とは思う。「義理と人情」は本来不可分なものではないのかなあ。どっちかが重いってことでなく。 私ゃ岩田屋自体に義理はなかったから別にかまわんのだが、昔ながらの岩田屋ファンはどうしちゃったんだろうかね。三越に乗り換えて、はいオシマイ、かね。三越が岩田屋に比べて格段なサービスを提供したとも思えない。「新しいもの」「見栄えのいいもの」「イメージのいいもの」に飛びついた、それだけじゃないのかね。 実は私も三越は話のタネにいっぺんしか行ったことがない。本屋がつまんなかったので興味をなくした(それだけで判断するかね)。 私も福岡の人間である。移り気なところは確かにある。けれど「福岡人」とは言っても、「博多」の人間、実を言えば「博多の職人」の血筋である。「福岡は商業の街」とは言われるが、「商売人の血筋」ではないのだ。はっきり言わせてもらえれば、イメージ戦略のみに騙し騙される福岡の商売人気質を嫌ってもいる。 岩田屋が敗退したことを口惜しいとは思わない。下手に岩田屋に百貨店業界の一党独裁みたいなことをやらかしてもらっても困るからだ。けれど福岡の人間たちが選んだその「目」が確かなものかどうか、そこに疑義を差し挟む必要はあるのではないか。 不況だろうがなんだろうが、使うときにはパアアッと散財するところが多い福岡の人間である。そんな気質だからこそ、目先のイメージにまんまと乗せられて高い買い物させられてるところはあるんじゃないのか。 インケツな商売人にとってはオイシすぎる購買層になっちゃってるぞ、きっと。
庶民なもので、お高く止まった岩田屋の思い出はそう多くない(まだつぶれてないって)。 両親が友の会に入っていたので、会員観劇コースとやらで、両親の時間が取れないときは代わりに芝居を見に行ったことはある。 ちょうど市川右太右衛門の『旗本退屈男』で、生前の右太衛門丈のあの豪快な笑いをナマで聞けたのは(オトシを召しててちょっとカスレてたけど)嬉しかった。 経営陣が伊勢丹に代わっても、観劇コースでいいのやってくれたら入ってもいいかな(やっぱ移り気じゃん)。
さて、今日は仕事でちょっと泣くことがあった。 しかも人前でだ。 つらい涙ではない。 嬉し涙ではある。 ただ、自らを「泣く」方向にあえて持っていったことは事実だ。 曲がりなりにも役者のハシクレであるこの身にしてみれば、涙を流すことくらい、演技の基本だ。感情を高ぶらせればできないことではない。 では、ここで流した涙が「ウソ」であるかと言えばそうではないのだ。 「ウソ」をつきながら泣くことなんてできはしない。 実際、私はそのとき本気で嬉しくて、そして口惜しくもあって、それで泣いたのだ。感動の涙であるには違いない。 ただ。 「ここで泣かねばならない」と判断したもう一人の自分がここにいる。 その「自分」が別の「自分」に「泣けよ」と指示を出した。それゆえにこの涙は紛れもなく「打算」の上に流された涙であると言える。 詐欺働いてんなあ、と思う。 実際、ウチの職場、詐欺師の集団だし。 ただ、彼ら同僚と私の違いは、私が自分が詐欺師であると自覚を持っているのに対して、彼らが全くの無自覚で詐欺を働いているということである。 ……どっちが罪深いか即断はし難いが、私は彼らが羨ましくはある。 なぜって、彼らは少なくとも自分に「心」があると信じていられるから。 自分が善人であるという錯覚の中に無意識のうちに浸っていられるから。 私のように、自分自身の苦悩すらも「演技」であると自覚している人間に、果たして「心」というものがあると言えるだろうか。……ああ、こんなこと考えてるから「押井守のしっぽ」と言われる(誰が言ったんだ。それは私です)。
なんだかんだで今日は半ドン。 しげに人前で泣いた話をしたら「ケチ」と言われる。 「なんでケチなんだよ」 「私には涙を見せてくれん」 「映画見てるときなんか結構泣いてるよ、オレ」 「映画見てるときはオレも映画見てるじゃん。アンタの方見てる暇ないよ」 「だから泣けるんだけどな」 「ホラ見てん。やっぱし、隠しとるやん」 「なんでそんなに見たがるんだよ」 「日頃見せんもの、見たいやん。たまにはサービスしてくれたっていいのに」 「……サービスで涙を見せるんか。『ほーら今日はサービスだ、今から泣くからね〜」って言って涙見せるんか。……アホか」 「やっぱケチやん」
なんだかんだ言いあって、結局私が悪かったことになったらしい。 お詫びにスシをおごることにする。 回転寿司のくせにくそ高い、でもネタは極上の『すし大臣』。 特別メニューとやらで「カニの味噌汁」のチラシが貼ってあったので注文。……なるほど、身をケチらずに使ってあって、味噌汁の味にカニが負けていない。味噌汁の味のあと、舌にカニの風味が残って美味い。 今日はできるだけ安いネタを食おうと、中トロ、大トロ、イクラにウニも見逃す。一番たかいネタでサーモントロの400円ほど。なんとか五千円以内に抑えようと必死である。 努力の甲斐あってか、支払いは3700円。しげと合わせても20皿ちょっとしか食べてないから、今日はしげも控えたのだろう。 カウンターで、何気なくしげに「3700円だからおまえ、1700円でいいよ」と言ったら、しげ、ウカウカと乗せられて何も考えずに1700円を出す。 300円安くなった、と喜んでいたのかもしれないが、モトモトはおごりだったはずなのになあ(^^)。これぞ「朝三暮四作戦」。ってしげは猿か(^o^)。 ひどい夫だと思われるかもしれないが、ほかのところで結構搾取されているので、これもたまにはサービスである。だいたい、割り勘が普通だろうがよう。
帰って数時間、疲れて寝る。 と言っても最近はそんなに体調が優れないので、二、三時間寝ちゃ起きで、まとまった睡眠時間を確保できていない。 夕方には目覚めてしまうが、しげはまだ爆睡状態。 しげがいつ起きるかわからないので、その間にパコパコと日記書き。更新もここまで遅れると殆ど自分の記憶力との戦いである。 ……ボケ防止にはいいかもなって、もうそんなトシかよ(ーー;)。
CSファミリー劇場、アニメ映画『吸血鬼ハンターD』(本編での表記は『VAMPIRE HUNTER D』)見る。 先日公開された川尻善昭監督、マッドハウス製作版ではなく、これは1985年の芦田豊雄監督、葦プロダクション製作版。当時、ビデオで見たか劇場まで足を運んだかは忘れたが(イベントかなんかで見たような気もするがうろ覚え)、ともかく見はした。で、誉めていいんだか貶していいんだか当惑した記憶がある。 なぜってねえ、「天野喜孝キャラデザイン」と銘打っておきながら、実際にキャラデザインを担当したのは『ナジカ電撃作戦』の山内則保、しかもこのころは芦田豊雄の絵柄の影響が濃厚で、天野キャラとは似ても似つかないんだもの。 ……芦田系の絵って、どんな絵かわかります? あれですよ、『Dr.スランプアラレちゃん』とか『銀河漂流バイファム』、『超力ロボガラット』。丸っこくって、ホームベースがふにゃっとした感じの輪郭線が特徴的な絵柄。……天野さんの絵とは水と油なのよ。 もちろんこれは確信犯で、メイキング映像で「子供にもわかる絵柄で」と山内さん自身が語っていた。更に『スレイヤーズ』のサムシング吉松さんが、「天野さんの繊細な線と、芦田さんのイヤらしい絵とをどう近づけるか」なんてはしゃいでインタビューに答えてる。無理やん、そんなの(^_^;)。去年のマッドハウス版だって天野キャラとはとても言えない絵柄だったのに、ましてや芦田豊雄……。 いや、芦プロはね、決して悪い会社じゃないのよ。実際に制作してるのはスタジオライブなんだろうけど、その後エンタテインメントに徹したアニメの秀作を発表し続けてることを考えたら、この『D』だって悪くはない。 けど『D』じゃないんだよ〜。明らかに。 それは原作を結構改変した脚本もそうだしねえ。 麗銀星、あんなにあっさりとした殺し方しちゃ、せっかくの「空間をゆがませる」特殊能力の意味がないでしょ。あれは絶対に原作通り、その能力を逆手に取った殺し方をしなけりゃねえ。伏線の張り方ってものが解ってないよな、平野靖士。 このころのOVAに定番の女性キャラのシャワーシーンも今見るとなんとかしてくれって感じだが(どこが子供向けだよ)。
でも、これって明らかにプロダクションの選択ミスだものなあ。当時から今に至るまで、原作ファンの怒りの声は高いが、芦田豊雄に文句つける前に、原作の菊地秀行、製作のムービックやCBSソニーの責任を追求すべきじゃないのか。 仮にスタジオジブリで高畑勲が作ってたらどうなってたか(^o^)。 Dも天野キャラのような美形はリアルじゃない、もっと現実的に、とか言っちゃってさ、柳葉敏郎をモデルにデザインされたりしたら困るだろう。 名倉靖博にさせときゃなあ、絶対すげえDになってたんだが。今回のマッドハウス版も、『メトロポリス』に名倉さん使うくらいだったら、どうして『D』に回さなかったか。……私ゃマッドハウスも傑作作ってるんだか、駄作作ってんだか判別しづらいところがあるのだ。
あ、それと声優はDに故・塩沢兼人さん。これは当時の声優界を見渡してみてもベストに近い形でしょう。ヒロインのドリスは、まつざか先生や神崎すみれみたいなおねえ様的役が多くなってる富沢美智恵さんなんだけど、これは気丈だけど可憐な美少女って設定なんで、もうブリブリしてる。本人もインタビューではすっげーブリブリしてるし。もう声が半オクターブ高くて見るからに不思議ちゃん。 やっぱり宗○に走る人は……ああ、いやいやいやいや(^_^;)。 、
アニメ『クレヨンしんちゃん』、「運命の合格発表だゾ」「アパートに大集合だゾ」の二本。 年度末になったせいか「区切り」をつけるエピソードが増えてきた印象。 四郎くん(これを「よんろう」と読ませるムリヤリギャグからして好きなんだが)の大学の合格発表、靴ひもが切れたり、バナナの皮ですべったりと不吉な状況が立て続けに起きる定番ギャグ(『奥様は魔女』だの『じゃじゃ馬億万長者』だのでイヤというほど見せられてきたヤツ)だけど、でもオモシロイ。放送コードがあるせいなのか、余り過激なギャグができない代わりに、ツッコミで間を取る演出で着実に笑わせてくれる。文章で書くとその面白さが伝わりにくいんだけどね。 オチもまあ、予測はできるんだけど、アメリカのシットコムのパターンを、ヘタなコント番組よりよっぽど『しんちゃん』の方が再現してるってのが嬉しいような、日本の喜劇の層の薄さが悲しいような……。 ……あ、でも、予告編で「四月から『あたしんち』放送開始」ってあったけど、ま、まさか『しんちゃん』終わるの?!(と思ったらただの時間移動でした。土曜日の夜なので、外出したら見られない日も出るかも。クスン)
晩飯はロイヤルホスト。 初めタンタン麺を頼んだが、品切れと言われ驚く。 今時分、ロイホでわざわざタンタン麺を頼む客って、そんなに多いのか。 ファミレスの中でもロイホはちょっと「高級」ってなイメージで売ってたように思うんで、客もそれに合わせて料理注文するもんだと思ってたけど……。 でも、ロイホが高級なら初めからタンタン麺なんかメニューに入れないか(^_^;)。 しかたがないのでハンバーグとトンカツ定食を頼む。 しげはステーキ丼。ハンバーグとトンカツをいつものように分けてやる。こうやって外食のときでも食事はちゃんと控え目にしてるからそんなに太らないはずなのになあ。なかなか痩せないなあ。
食事中、しげが唐突に「聞きたいことがあるんだけど」と言い出す。 「なんだいったい?」 「だめ。今ここでは話せない」 「なんでだよ。そんなにヤバイことか」 「うん」 しげ、いつになく真剣な面持ちなので、私もそれ以上は聞けなかった。 食事を終えて車に乗って、改めて、しげに切り出す。 「で、聞きたいことって?」 しげ、深呼吸して、一拍、間を置いてヒトコト。 「……忘れた」
「……は?」 マジメな顔して聞いて来たの、つい10分前だぞ?! それをいきなリ忘れるかあああ?! しげも必死になって思い出そうとする。 「ええっと、ともかくロイホでは話せないことだったんよ、『アニサキス』じゃなくてぇ、『パリダちゃん』じゃなくてぇ」 「なんじゃそりゃ?!」 結局、しげは聞こうとした中味を全く思い出せなんった。 ……読者のみなさん、私がしげのことをアホだアホだと言うのを誇張だと思ってるでしょう。 違います。 しげはモノホンのあほです。 だいたい、しげには「大切な話」なんてものがもともとなかったのです。つい、しげの話に真剣に耳を傾けようとした私もアホでした。 今度からしげの話は常に話半分で聞くことにします(^^)。
家に帰ってみて、しげがまた唐突に「そう言えば『やややんやん』は『愛して愛して愛しちゃったのよ』だったねえ」と言い出す。 「何だよまた」 「あー、こないだからずっと、『やややんやん』って口について出てたから、これ、なんの歌だったろうって思ってたんだけど、あとのフレーズが出てこんかったんよ。で、今思い出して」 それなら、「アニサキス」の正体もいつかわかるだろうよ。百年先かもしれんけど。
「そう言えば、アンタ優しくなったね?」 「またいきなリなんなんだよ、もう(ーー;)」 「ガメラの人形、どこかにやったやろ? 俺が怖がるから隠してくれたんやないんね」 「別に隠してないよ」 「じゃあ、どこにやったん?」 「寝室の棚の上。ちょうどおまえの頭の上かなあ。死角になってたから気づかなかったんだろ」 「……いやん!」 ガメラのどこが怖いと言うのだ。ガメラは子供の味方だぞ。
マンガ、浦沢直樹『20世紀少年』8巻(小学館・525円)。 う〜、第2部になって、すごく好きな展開になってきたなあ。 人によっては好き嫌いが分かれると思うけど、私はプッシュするぞ、小泉響子(^o^)。 第1部でとことん真剣になっちゃったケンヂたちをやや影に引かせたのは展開が重くなるのを恐れたせいだろう。悲劇であってもコメディリリーフは必要なんである。 いかにもなコギャルのコイズミだけれど、名前とは違って、これ、モデルはフカキョンじゃないかな。63ページの絵を見るとそう見えるぞ。 で、この全くのパンピーである彼女が、「ともだち」の内部に潜入、その実態を探索する羽目になっちゃうわけだけど、これがモロにヒッチコックばりの「まきこまれ型サスペンス」で楽しいのよ。 なにか危機に陥るたびにこのコイズミ、ショックを受けて「楳図かずお顔」になる。このギャグを使うマンガ家さんって腐るほどいるけど、まさか浦沢直樹さんまでやるとはねえ(^^)。いやあ、意表ついてるよ。『モンスター』読んだ人がこっちに来ると、ちょっと唖然としちゃうんじゃないか。おもしろい。 「春 波夫」のギャグなんか、明らかにいしかわじゅんの『約束の地』を借りてきてるものなあ。はっきり過去の「ギャグマンガ」を意識しながら浦沢さんはこの作品を描いているのだ。 こういう楽しい展開が作れるなら、できることならあまり人は殺さないでほしいなあ。特にコイズミ。実はケンヂは死んでてみんなはその遺志を継いでレジスタンスしてるって展開もありえるけど、そんなことにしてほしくはないのだ。 もしかしたらこのマンガ、マンガ界での『オトナ帝国』になるかもしれないのだから。
2001年03月01日(木) ダブルマインド/『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』(上遠野浩平)
| 2002年02月28日(木) |
つっよいっぞガ〜メ〜ラ〜/『モーツァルトは子守唄を歌わない』2巻(森雅裕・有栖川るい)ほか |
今朝の新聞記事より。 『ジュラシック・パーク』と安達祐実で有名な(^o^)暴君竜(昔ながらの恐竜ファンにはこの通称じゃなくちゃねえ)ティラノサウルスが、実は走ることができなかった、とする分析結果が『ネイチャー』に発表されたとか。 要するに6トンと試算される全体重を支えて走るだけの脚の筋肉がなかったということなんだな。 『ネイチャー』に載る論文は必ずしもマトモなものばかりでなく、トンデモ系のやつも多いって話を聞いたことあるけど、記事を見る限り、これはまあ信頼できる研究結果じゃないのかな。 少なくとも、その「証明方法」が、科学にゃドシロウトの我々にもわかりやすい、ごく簡単なリクツで説明されてるからだ。
今回の研究の中心になったのは、カリフォルニア大学バークリー校の大学院生、ジョン・ハッチンソンという人だそうだ。 骨格や筋肉と動きの研究をもとに、動物が走るために必要な脚の伸縮筋の量を計算するモデルを作ったところ、ワニは片脚につき体重の7.7%以上の筋肉が必要だが、実際にはその筋肉が3.6%しかなく、結果として走ることができない。それに比べて、ニワトリは4.7%の筋肉が必要であるのに対して実際には8.8%あり、走ることができる、というように実際の事例とよく適合したんだと。 ところが、これをティラノサウルスに当てはめると、片脚につき体重の43%、両脚では86%の筋肉が必要になってしまう。全身の86%を脚の筋肉が占めるなんてことはまずありえないわな。筋肉大移動でもせんかぎり(c.『3年奇面組』)。走れて時速40キロが限度なんだと。 んじゃ、走れなかったら草食恐竜捕まえて食えないじゃん、ということになりそうだが、他の恐竜たちはもっと遅いので大丈夫なんだそうな(^o^)。
しかし、そうなるとだよ、これまで「Tレックスは時速70キロで走れた」って言ってた科学者たちは、何を根拠にンなこと言ってたんだろうね? いや、昔から「恐竜は自重を支えきれなかったから滅んだ」って説は結構耳にしてたぞ。あえてそういう説も無視して恐竜を「走らせた」のは誰のどういう思惑があってのことなんだろうか。 昔は直立型が多かった恐竜の骨格標本、あれがいつの間にやら、例の尻尾でバランスを取るような前傾姿勢に変えられて行ったのも、その方が「走るのに適している」と判断されたからだろう。更に言えば「恐竜恒温動物説」だってそうだ。 まあ、恐竜の姿勢は他の動物との骨格の比較から考えても、まだ前傾姿勢のほうが自然かもしれないが、「恐竜が走れなかった」とすれば少なくとも「恒温動物説」は揺らいじゃうんじゃないか。ましてや「羽毛があった」とする説に至っては。
私ゃ文系ど真ん中の人間だから、理系の人たちに対して多少失礼な憶測をしているのかもしれないけどね、科学者が本当に「論理的な思考の持ち主」かっていうと、違うんじゃないかなあって思うこと多いんだよね。大槻教授見ててもそう思うし。タトエが悪いか。 けれど実感として思うのだ、私は高校時代、体重は58キロだったが今は8×キロだ。……マジで、体動かくなってるんだよ〜(T∇T)。 ましてや恐竜だ。 私のイメージの中には、もともと素早く走る恐竜ってのが全然イメージに無かった。『ジュラシック・パーク』を最初に見たときも、あのティラノの「素早さ」が、まったく「重量感」を感じさせてくれなかったから、幻滅してたのだ。どこがリアルなんだよ、この非現実的な特撮がって思ってて。 思うに、科学者たちはある意味、文系の人間よりもよっぽどロマンチストなところがあるのじゃなかろうか。やっぱり、ティラノには猛スピードで疾駆してほしい、そういう「願望」が、現実を見ることから目を背けさせてる面がなかったかどうか。例のピルトダウン原人騒動だって、その「願望」で目が曇ってさえいなけりゃ、ドーソンの死亡以前にあの頭蓋骨がニセモノだって気付かれてたんじゃないかな。近くはわが国での旧石器捏造事件だってそうだ。 「騙されやすい人」って、結局は自分自身に「騙されたがってる」ところがあるから騙されちゃうんだよね。我々は夢を見たがる。だからその夢をちょっとでも叶えてくれそうな言説には簡単に飛びつきやすい。けれど、すぐ覚める夢に取りついてもしょうがない、と考えるのが本当の理性なんじゃないかなって思うんである。
アニメ『七人のナナ』第8話「英語で告白!家庭教師をやっつけろ?」。 まあ、なんつーかねー、「日本語のヘンな外人の女の子」ですかあ。 今川監督〜、今更こんなべったべたな定番やっちゃうんですかあ〜。 で、カウボーイスタイルだし。 なつかしのスパゲッティ・ジェーン(『ハレンチ学園』)を思い出しちゃいましたね。脱いでないけど。 ヘンな大阪弁喋ってるし。 レギュラーになるんじゃなくて一回きりのゲストだったからまだよかったけど、これ、ずっと出てくるんだったら見るの辛かったろうなあ。
母から届いたエアメール。 その手紙には、母が、知り合いの女性にナナの英語の家庭教師を頼んだという衝撃の事実が! そのヘンな関西弁を喋る家庭教師・メロディーの滞在期間は一週間。果たしてその間、ナナたちは分裂してしまったことをメロディーに隠しとおせるのか……。
いや、できないんですけどね(^^)。 でも、今回の話でようやくシリーズの流れが見えてきたなあ。 つまりこれ、かわいい女の子キャラを使って、『セロ弾きのゴーシュ』をやりたいんだね。七人のナナが経験したことが、今はそうと気づかないけど、結局、本人のためになるっていう教育的なお話。 ……ちょっと興味が減退しちゃったな。ネタが割れちゃうと。 まあ、でも一番好きなナナさま(メガネっ娘)のエピソードをまだ見てないし、もちっと続けて見てみよう。
そういえば本編とは関係ないが、「ポトリス」のCM、「あなたのポトリスが目覚める」って言って、子供の半ズボンの股間をアップにするってトンデモナイやつだったんだが、以前はそのジッパーの間からポトリスがはみ出てるって絵だったのに、最近はそれがなくなっている。……何ぞクレームがついたんだったらやだなあ。これくらいのギャグ、笑って見過ごせってば。
昨日あたりからまたしげが「スシ食いてぇ」とうるさかったので、近所のマリンポリスでたらふく食う。 ここの店にはなぜか出入り口にアメのキャッチャーがあるんだが、焼肉ならともかく、どうしてスシに? やっぱり生臭いんだろうかとか考えながら、100円で10個ほど取る。 しげに一つあげようとしたけど欲しがらない。 こういうのも「ちょっとした愛情」ってやつなんだが、鈍感なしげは全然気がつかないのであった。
しげが買ってきたプレステ2のゲーム、『いただきストリート3』を二人でやる。 モノポリーと双六をコキ混ぜたようなものなんだけど、カジノのコマがあって、9枚のカードをめくると1から9までの点数が出てくる仕掛けになっている。といってもめくれるのは3枚だけ。 で、私が3枚めくったら7、8、9だった。 しげがいきなり怒って「あんたインチキしたね!」。 いや、どうやって……(ーー;)。 ゲームやってると必ずこういう難癖つけるのやめろよ、しげ。 結局勝ったのはしげなのに、ふてくされて寝てしまったのであった。
先日UFOキャッチャーで取ってきたソフビのガメラ、ようやく組み立ててどこに飾ろうかと思案してたんだけど、ちょっといい場所がなくて、枕元に置いておいた。 そいでもって、日記でもつけようとパソコンに向かってパコパコやっていた。 突然、寝室から異様な声が。 「はなあああああああああ!」 なんだと思って覗いてみたら、ガメラがひっくり返って倒れている。 しげは布団を引っかぶってて下半身がまる見え。 絵に描いたような「頭隠して」なんとやらだ。 どうやらしげがふと目を覚まして、目の前にガメラがあったんでびっくりしたらしい。ガメラが倒れてるのは突き飛ばしたかどうかしたんだろう。 「おい、どうした?」 声をかけたけれど反応がない。 てっきり飛び起きたのかと思ったのにどうしたんだろうと近寄ってみると。 「……グー……」 寝てるし(ーー;)。 つーか、イビキまで掻いてるし。 これじゃ、びっくりして気絶するマンガのキャラそのまんまや。 ……驚いたんなら目ぇくらい覚ませや。
マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』36巻(小学館・410円)。 あ〜、いつもいつも穴だらけのミステリ、ありがとうございます。 ……シナリオライターつけろよ、大概で。 今でもある程度トリックのブレーンなんかはいるみたいだけど、トリックのためのトリックに堕してるぞ。いくら少年マンガだからって、人間描写ってのは必要だろう。 いっぺん、『コナン』のどこがどうヒドイか、事細かに全部解説してやりたい気になるんだがなあ。ミステリのルール守ってたらそれもできないしなあ。 渚のトリックは時間が経てばすぐにバレるものだし、犯人が途中で罪の意識に駆られながらなおかつ連続殺人を試みる心理も理解しがたい。 物理的にも心理的にも成立しようがないのだ。こんなあんぽんたんなトリックをみんなホントにおもしろがって読んでるのか? ……やっぱ、ただのキャラ人気なんだろうなあ。 青山さん、絵柄に個性はあるんだけどさあ、肝心のキュラクターの描写力がないんだよねえ。松田陣平? このいかにも松田優作と陣内孝典を足して2で割ったみたいなキャラ出して、恥ずかしくないか。今までにどれだけのマンガ家がそれやってきたと思う? マンガが安っぽくなるだけだよ。
マンガ、森雅裕原作・有栖川るい作画『モーツァルトは子守唄を歌わない』2巻(エニックス・580円)。 ああ、『コナン』のあとでこんな上質のミステリを読むと心が洗われるナァ。 いや、マジでね。 もっとも、作中の暗号は楽譜にアルファベットを組み合わせたものだったんで、どうやって解いたらいいか見当もつかなかったけど(ーー;)。日本人の読者相手にそりゃちょっとヒキョーってもんだろう。 モーツァルトと来ればサリエリ、というのはピーター・シェイファーの『アマデウス』以来の定番になっちゃったけど、今巻でもサリエリ、モーツァルトの死の謎を探るベートーヴェンを裏から妨害する。 黒幕と見せかけて実は、という展開なのかそれともストレートに怪しいのか。こういう時代ミステリは、有名人をキャラとして使える分、無理にキャラを作りこまなくても、「ああ、こいつは怪しいぞ」と勝手に読者が思いこんでくれる利点があるのだけれど、言い返れば、それをどうひっくり返して意表をつくかってのも作者の技量にまかされている。 しかし、今んとこ、探偵ベートーヴェンに退行できるだけの際立ったキャラってのが登場してきてないんだよなあ。だからと言って、これで「モーツァルトは自殺だった」みたいなオチだったらつまらないんだけど。 チェルニーもただベートーヴェンに突っ込むだけじゃなくてもう一つ二つは「企んで」ほしいもんである。
2001年02月28日(水) せんと・おぶ・うーまん/『妖怪馬鹿』(京極夏彦・多田克己ほか)
| 2002年02月27日(水) |
さらばウルトラマン/『よろずお直し業』(草上仁)/『クロノアイズ』5巻(長谷川裕一)ほか |
『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の怪獣デザインで知られる成田亨氏が、26日午前9時半、多発性脳梗塞のため死去。享年72歳。 ……もう、そんなお歳だったのだなあ。 「ウルトラマン」という伝説を作ったのは脚本家の金城哲夫さんだったとしても、昭和40年代、子供だった私たちに「目に見える形」、即ちデザインとしてのヒーロー、怪獣のイメージを一変させる作品を生み出していったのが成田さんだったのだ。 前にも書いたことあるような気がするが、成田さんや池谷仙克さんが数多くの怪獣、宇宙人のデザインを残してくれたおかげで、私たちの世代は「スター・ウォーズ・ショック」に会わずにすんだ。 あれだけすばらしいデザインの数々に出会ってると、スターウォーズの世界なんてダサイとしか思えないもんね。ジャージャー・ビンクスなんてガンダーのパクリじゃないのか。しかも更にカッコ悪くなってるし。 いたしかたのないことかもしれないが、ウルトラシリーズが続けば続くほど、独創的な怪獣デザインというものも減ってくる。しかし、それが必ずしもたいていのパターンが考えつくされたということではなく、デザイナーの才能と努力の差によるところも大きいのではないかという気がしてならない。 ウルトラマンショップのソフビなどを見ても思うが、かつての作品をリメイクした新怪獣のデザインより、旧シリーズの怪獣の方がパッと目立つのである。 クール星人にしろゴドラ星人にしろペガッサ星人にしろビラ星人にしろチブル星人にしろ、どこをどう捻り出したらあんなデザインを考えつけるものかね。「人が中に入る」ことを前提としない宇宙人も数多くデザインしているのだ、成田さんは。 70年大阪万博の、太陽の塔内部の「生命の樹」のデザインも成田さんだったのだね。するとあれは、岡本太郎の皮を被った成田亨だったわけか。すげえ組み合わせだね。 10代、20代の人にとっては、生まれる前のことなんて全て「歴史」でしかないのだろう。けれど、我々昭和30年代生まれにとっては、ウルトラマンも万博はついこの間の出来事だ。なのに、それがはるか昔のことのように言われてしまうことが多いのは、淋しくて仕方がない。 その当時活躍していた人の死は、もはや過去は元には戻せないという現実を、否応なしに私たちにつきつけてくる。……ウルトラマンコスモスのバルタン星人は、やはり旧ウルトラマンのバルタン星人とは似て非なるものだった。言葉でうまく言い表すことができないのがもどかしいが、新作のバルタンは、結局は中に人が入った「ぬいぐるみ」に過ぎないのである。 昔のもそうだろう、なんていう声も聞こえてきそうだが、そんなことはない。たとえヒューマノイドタイプの宇宙人であっても、中に人が入っているとは思えない……それが成田さんのデザインのすばらしさだったと思う。 合掌。
体調はやや回復してきたものの、半日、仕事していると、どっと疲れが。 のどアメ舐めても舐めても咳が止まらないのよ、これが。 実はなあ、もうちょっとしたらシャレにならないくらい忙しくなることがわかってるからなあ、こりゃ、今日は休んでその日に備えないとなあ、ということで有給取る。 でももうこれ以上は休まないぞ。 帰宅したらいつものようにしげは寝ている。 けど今日は迎えのために起きる必要はないから楽じゃないかな。 私もグデンと夕方まで寝る(そりゃ酒飲んだあとの擬態語だ)。
シティボーイズのきたろうさんのHP、「PINKY YELLOW」にようやく次回公演の告知が載る。 今回のタイトルは『パパ・センプリチータ』。 いつもながらシティボーイズのタイトルセンスってすごくいい。意味不明なとこがだけど(^^)。 きたろうさんの解説がまた振るってる。 「パパは意味はないですが、 センプリチータは意味がありそう。 調べてみてください。 調べたらがっかりします。」 どこで調べるの、これ(^_^;)。 「センプリ」と聞くとどうしてもモンティ・パイソンのギャグ、「センプリニ」を思い出しちゃうんだけど、あれはたしかグレアム・チャップマンのデタラメ造語のはずだ。タモリのハナモゲラ語みたいなもんね(もう誰も覚えてないか)。 「チータ」ってのは水前寺清子か。昔、テレビドラマ『ありがとう』を見てたころは、水前寺清子が私の美人の基準だったなあ。 いやまあ、そんな思い出話はどうでもいいのだが(+_+)。 残念ながら今回の公演、いとうせいこうさんは出演しないが、代わりに出演されるのが、『ポケモン』のニャース、『マンキン』のまん太の声などでお馴染み、犬山犬子さん。もちろんもともと舞台の役者さんである。テレビドラマでも『ケイゾク』なんかに出てたからご存知の方も多かろうが、実はシティボーイズの前身、「ラジカルガジベリビンバシステム」の時代にも共演されていたのだ。 きたろうさんのコメントは続く。 「今まさに、外務大臣を筆頭に女性の時代だなという観があります。 そこで犬山さんがゲスト。 セクハラとか下ネタをいっぱいやりたい感じです。」 いいなあ、セクハラ(^^)。 でも犬山さんのご尊顔をご存知の方はお解りだろうが、セクハラのイメージとはちょっと結び付かないんだけれども(失礼)。 けれど、これはもう、WOWOWで放送されるときにはP音で不適切用語が消えまくることは確実そうだ。 やっぱりナマで見なきゃなあ。
アニメ『ヒカルの碁』第二十局「プロへの道」。 うーん、止め絵がまたちょっと増えてきたかな。 けど一枚絵としての密度はそうは落ちてないので、不満を感じるほどではない。派手に動かすアニメじゃなくて、日常の描写を積み重ねることが主眼だから、作画枚数を抑えても微妙な表情を描くことができれば充分OKだろう。 第1話のころに感じてた原作の絵との乖離もあまり感じなくなってきたし。 声優の大仰なアニメ発声も聞き慣れてきて、以前ほどにはシツコイとは感じなくなってきたんだけれども、それでもヒカルと岸本のやりとりはちょっとクサクて閉口した。岸本役の櫻井孝宏さん、009を演じてるときは作画自体が派手だから気にならないんだけど、こういう静謐なキャラだと、どんなに抑えて声アテてても、妙にキザったらしくしか聞こえないんだよなあ。 で、ヒカルの川上さんがいつもの能天気なウテナ声だから、もうなんか噛み合ってなくてねえ。アタマの中で一所懸命声を原作のイメージに近い形に修正して見てるんだけど、そこまでして楽しまないといけないのか(^_^;)。 ともかくいよいよプロ試験編っつーか、「院生編」に突入だ。 今んとこまだ出て来てないけど、越智の声は誰がやるのかなあ。私のイメージじゃ、田中真弓がピタッと来てるんでほかの声が思いつかないんだけど、ルフィで忙しいから無理かな。 昨日に引き続き、今日もガストで食事。 もちろん目当てはドリンクバーのアイスココアである。シツコクない甘さがいいわ、これ。 しげは「たしか前食べた時、おいしかったよね」と言って、小エビのフリッターをオードブル(って大層なもんじゃないけどよ)に注文。 前に私が注文して、少し分けてあげたので、やみつきになったらしい。中華料理屋の小エビのチリソースなどは、ムキエビをそのまま調理してあって、食感がプリプリしてるけれど、ここのは腹を裂いてヒラキにしてある。プリプリ感は失われるけれど、小エビのわりに大きい、という印象になるのだね。塩胡椒もそう利きすぎているほどではなく、酒のツマミには最適だろう。やみつきになるほどのものではないようにも思うが。 小エビだのアイスココアだの、こんな程度のものでも何となくシアワセ気分になれるのだから、夫婦揃って安上がりっつーか、小市民なんである。 しげ、よっぽど美味しいのか、いつもは遠慮がちにでも「分けてあげようか?」と言うのに、今日は黙々と食い続ける。メインディッシュのハンバーグもペロリと平らげる。 私は自分の頼んだオムライスシチューを少し分けてあげたのだが、こちらはしげの好みではなかったと見え、いつもなら「もうひと匙」と、二口目を食べるのに食べない。確かにちょっと油っこくてしつこい味ではあったが、でも別に腐ってるわけじゃないのになあ。 小市民のくせにこのあたりのスキキライはゼイタクである。 こういうスキキライさえなけりゃ、しげのために料理作ってやるのもイヤじゃないんだけど。
食事帰りにセガワールドに寄ったが、調子が悪くてUFOキャッチャー、全く取れない。ほんのちょっとしたタイミングを逃すと、取れるものも取れないしなあ。気がつくと千円つぎこんでたので止める。 このヘンで止めちゃうのが小心者なとこだが、別に私ゃギャンブラーじゃないのでこれでいいのだ。
マンガ、長谷川裕一『クロノアイズ』5巻(講談社・560円)。 クロノアイズのメンバーの中で、唯一、まだ正体がわかっていなかった野性のエルザ(^o^)、実はミトコンドリア・イブであったことが判明。 でもこの「ミトコンドリア・イブ」っての、私ゃガセっぽいと思うんだけどなあ。アフリカ人の女性って言ってたのもなんかあとで違ってるかもって、説が揺れ動いたみたいだし。第一、ミトコンドリアがパラサイトだって説だってまだ仮説の段階でしょ? 長谷川さん、前の「毛皮の生えた恐竜」の時もそうだったけど、ちょっと新説を取り入れるのにせっかちなところがあるんだよなあ。でも、「あとで恥かいても、今、この説が新しくてオモシロイからマンガに描く!」という前向きな姿勢は好きだな。 で……。 主役が死にました(^_^;)。 けど、なんたって作者が前向きな長谷川さんだからなあ。 絶対助かるよなあ。 たとえタイムパラドックスありまくりの設定になっちゃったとしても(^^)。今、臆面もなく「ヒーローは勝つ!」と言いきるマンガが描けるのは長谷川さんと島本和彦くらいのものだと思う。 ……でも、二人とも女性のヌード描くとき、貧乳にする共通点があるのはなぜなんだろうな(^^*)。
草上仁『よろずお直し業』(徳間デュエル文庫・530円)。 日本のフレドリック・ブラウン、草上さんの連作短編集。英語タイトルがついてて、『MAGICAL Mr.Fix−It』とあるんだけど、こっちのタイトルで売ったほうが売れるんじゃないか(^^)。 デビュー当時のような、一読三嘆、これぞSF!と、読むものみな随喜の涙を流したという(ホントかよ)溢れる才気は薄まったものの、それでもSFの神髄を感じさせてくれる数少ない作家の一人が草上さんだ。 目に見えない「命のネジ」を回し、「時を戻す」ことで、一度壊れたものを元の姿に戻す特殊能力を持つサバロ。 彼のところには、思い出の彫刻や、名酒の壷や、恋人からの手紙など、「元に戻るはずのない」ものを復元してほしい、と願う依頼者がひっきりなしに訪れる。……あ〜、あれだね、『ドラえもん』の「タイム風呂敷」。あれのネタそのまんまだ。 それはそれで、先行するアイデアがあったからって、小説として出来が悪くなきゃそれは構わないことなんだけど、ちょっとラストがなあ……。 「あなたが直して来たのはモノじゃないわ、人と人の絆よ」って、登場人物の口から直接言わせるのは、いくらなんでもクサイし恥ずかしいよ〜。 それって、言われなくても解りきった事実じゃない? そんなんただの「説明」にしかなってないよ、小説家が一番やっちゃいけない手だ。昔の草上さんならこんな安易な結末は作らなかったのに、40代半ばを過ぎてついに才能が枯渇したのかなあ。 ちょっとした文章の匙加減の失敗で、感動を呼びそこなうことって、現実にあるのだ。最初の1、2話が面白かっただけに、惜しいなあ。惜しすぎるぞ。
2001年02月27日(火) 毛の話/『オトナでよかった!』(唐沢よしこ・唐沢なをき)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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